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柘榴の封印  作者: 御影
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第一章 隻眼の女戦士 1

1


 猥雑な活気に満ちた旅籠の一階、食堂と酒場を兼ねる場の一隅に、彼女は座していた。その場の雰囲気に溶け込んでいるようで、そのどこか一線を画している、そんな一種独特な鬼気を発している。室内でありながら、程よくくたびれた革のマントを外していないところから、平生から気を抜かない事が知れる。それがまた、他の客との間に溝を作っていた。年齢としの頃は二十代前半だろうか、肩先まで長く伸ばした――というより伸びた感の――白灰色アッシュの髪、厚手のシャツにズボン、無骨なブーツと、その年齢の女性が好んで身に付けるとは思えぬ服装をしている。そして何より、卓に立てかけられた細剣クレイモアーが彼女の生業をはっきりと物語っていた。と、そんな道連れもなく、一人静かに食事をする彼女に周りの酔客すら声をかけられずにいる中、その様子をしばらく階段上から見つめていた黒髪の美少女が、女の卓へとゆっくりと歩を進める。

「――少し、よろしい?」

「……」

 穏やかな問いかけに返されたのは無表情な一瞥だったが、拒絶ではないと見て少女は卓の反対側に座した。それを無視して女は簡素な食事を続ける。構わず少女は、正面の剣士をやわらかな視線で観察した。同時に、無関心を装いながら剣士もこちらを観ている事はひしひしと感じている。だが少女は、そのプレッシャーをはねのけて、女ににこりと微笑んで見せた。ちろり、と女が目を上げる。

「……」

「無口な方ですのね。私、スピカと申します」

 剣士は、ふと手を止めて初めてスピカを正面から見返した。シャープな輪郭に切れ長の暗赤色の目、真っ直ぐな鼻梁と引き締まった口元は美貌、と言っても過言ではない。だがその顔を見たスピカは、思わず口元を押さえた。

〝この人、右目が…?〟

 スピカが息を飲んだのも道理、それまで剣士の前髪に隠れていた右目には無骨な眼帯がかかっていたのだ。きりりと整った顔立ちの中で、その眼帯だけが異彩を放っている。しかし、そのくたびれ具合から昨日今日の負傷でないと見て取ったスピカは、思わずほっと息をついた。

「…変わったお嬢さんだな」

 黙ってその様子を見ていた女が、初めて口を開く。外見のイメージに違わぬハスキーな声だ。

「私に何の用だ?」

「貴女に私の護衛を頼みたいと思いまして」

「護衛?」

「はい」

 スピカは、またにこりと微笑んだ。

 この不可思議な取り合わせは、雑多な食堂内にあっても目立つものであった。片や流れ者、もう片方はどう差し引いてみても良家の令嬢然としている少女だ。仕立ての良い旅行用らしき茶のシンプルなドレスに慎ましやかだが値の張りそうな装飾品、丁寧に梳られた黒髪は一本にまとめられ、ゆったりとねじりを加えながら右肩に流れている。そして何より身にまとう雰囲気からしてここにいるべき人間でない事が、誰の目にも明らか――それがどれだけ特殊な立場なのか、自覚できているのかどうか――だった。それを、当然の事ながら女は良しとしなかった。

「…断る」

 一言短くそう答えた女は、食事を再開した。が、スピカもそれで引き下がりはしない。

「期間は半月、報酬はお好きなだけお支払いいたします。ですから…」

 しかし女は、スピカではなく、こちらに足早に歩み寄って来る若者にちろりと目をやった。

「他に何かご希望があるのでしたら…!」

「――スピカ様」

 不意に、押し殺した声が会話に割り込んだ。驚いて顔を上げた少女の前に、これまた場に不似合いな金髪ブロンドの青年が、不機嫌さを隠し切れない表情を浮かべて立っていた。金髪碧眼、彫りの深いはっきりした顔立ち――まあ美形と言ってもいいだろう――をした、いかにも良家の子息然とした騎士だった。

「アクルクス」

「お一人で動かれては困ります。お部屋にお戻り下さい」

 アクルクスと呼ばれた青年は、スピカの手を取って離席を促しながら、変わらず食事を続ける女をキッと見下ろした。

「二度とこの方に近づくな」

「アクルクス! 失礼な事を言わないで。ごめんなさい、あの…」

「――いるじゃないか」

「え…? あの、今なんて…」

と、訊き返すスピカの手を引きながらも、アクルクスは女から目を離さない。

「今度この方に…!」

「さっさと連れていってくれ。迷惑だ」

 アクルクスは、女のこの言葉に何か罵声めいたものを返しかけ、思い直して口をつぐんだ。そのままスピカを伴って卓から離れる。

「待って、アクルクス。まだ名前も訊いて…」

「必要ありません」

「あの女に近づかない方がいい」

 揉み合いながら階段まで戻ってきた二人に、そばの卓についていた男がぼそりと囁いた。そして、怯えた目を彼らに向ける。が、その恐れは、二人に対するものではなかった。

「あの女は〈オクルス〉だ。あんた達の手に負える女じゃない」

「〈オクルス〉?」

 思わず訊き返したスピカは、構わず手を引き立ち去ろうとするアクルクスに離すよう求めたが、聞き入れない青年に眉根を寄せた。

「下がりなさい」

「――…は」

 声音の変化に、アクルクスは渋々スピカの手を放した。スピカは、男の方に向き直って改めて尋ね直す。

「詳しくお話していただけます?」

 酔客は、少女の真剣な口調にやや気圧されつつも、やがてぼそぼそと話し始めた。その間にも〈オクルス〉の方をちらちらと窺っている。

「あの女をただの雇われ剣士と考えない方がいい。あいつはそんな生易しい奴じゃないんだ。係わり合いになるのはやめといた方がいい」

「要領の得ない話だな。どっちにしろ係わるつもりはない」

と鼻で笑ったアクルクスを制し、スピカは男に先を促す。

「危険な女性ひとには見えませんが」

「そりゃこんな所じゃな。あいつが剣を抜いた所を見たらそんな優しい事ぁ言えねぇよ。あんなおっそろしい女、俺ゃ他に知らないね」

と、不意に〈オクルス〉がちらとこちらに目をやった。それは単に、まだ立ち去っていないスピカ達に気づいただけの話だったのだが、酔客は慌てて卓に目を伏せた。

「と、とにかくやめときな。あんた達の手にゃ負えねぇ」

 これ以上は何も訊き出せないと見たスピカは、男に礼を言ってアクルクスの無言の催促に従った。ゆったりとした足取りで二階の奥に取った自分の客室に入った少女は、ずっと気を揉んでいた乳母にいきなり抱き締められて短い悲鳴を上げる。

「ネ、ネウラ?」

「おひい様、こんな場所ところであまり無茶な事をなさらないで下さいまし。このネウラ、もう身が細る思いで…!」

「ちょ、ちょっとネウラ」

 スピカは、放っておくとずっと手を離しそうにない乳母から身を剥がし、涙を浮かべている彼女に詫びると、アクルクスに退室を命じた。ついでに宿の者に食事を運んでもらうようにと頼む。それで彼女にもう外出のつもりがないと判断したか、アクルクスは快諾して即座に部屋から出て行った。それを見送ってからスピカにまた視線を戻したネウラは、気がかりそうに少女に問うた。

「おひい様、何かあったのですか?」

 辺りをはばかるように声を潜める乳母に、スピカはにこりと微笑んでみせる。

「とても、頼りになってくれそうな女性ひとがいたの」

「ですが…」

「ええ、無理強いするつもりはないわ。――あっさり断られました」

 スピカは、言葉とは裏腹にさっぱりと笑った。その手に、あの神父の遺した護符を握り締める。そして少女は、乳母に決意のこもった笑顔を向けた。

「大丈夫。私は決して負けないから」

 乳母は、少女の運命にそっと、にじむ涙を拭った。



 アクルクスが食堂に戻った時には、〈オクルス〉は既に席を立った後だった。

「――ふん」

 アクルクスは、宿の主人に夕食を二階の部屋へ届けるように注文すると、まだ同じ卓に座っていたさっきの酔客に気づき、知らず歩み寄った。と、青年に気がついて顔を上げた酔客と目が合ってしまったアクルクスは、一瞬ためらった後、口を引き結んで卓の向かい側に座った。

「?」

 酔客が、この坊ちゃんは何をしたいんだろうと思わず首をひねってしまう程の間を置いて、ようやくアクルクスは口火を切った。

「――さっきの女の話だが…」

 酔客は、アクルクスの卓に置いた指先がイライラと上下しているのを見つめ、首を振った。

「係わり合いになる気はないんじゃなかったのか?」

 アクルクスの頬がぴくりと動いたが、男の言葉に揶揄やゆの色がないのを認めて抑える。

「だから訊いている」

 どこかふて腐れているかのような青年に、酔客は肩をすくめて話し始めた。

「……俺も詳しくは知らないんだが…」

 そう前振って始まった話はよくある無責任な風聞に過ぎず、アクルクスでなくとも信じがたい話と言わざるを得なかった。とりわけ、百人の精鋭部隊をたった一人で壊滅させたくだりなぞ鼻で笑う他ない。

「馬鹿馬鹿しい。尾ヒレもいいところだな」

と、嘲笑わらいながら席を立とうとしたアクルクスは、飲み干したジョッキを握り締めて動かなくなった酔客に、ふと動きを止めた。

「信じたくなきゃそれでいいさ。俺だってそう思ってたんだからな。だけど――」

 男の声が、震えていた。そして彼は卓に額を落とす。

「俺ゃあ忘れらんねえ。昨日の…」

「何があった?」

 男の怯えた姿に奇妙な不安を覚えたアクルクスは、彼に向き直った。酔客は、左手で頭を抱え、呻く。

「流れ者みてえな野郎が五、六人、〈オクルス〉にケンカふっかけたんだ。相手が〈オクルス〉だと判っててそんな事やったんだ、それなりに腕の立つ連中だったんだろう」

 それは夕刻に近づいた頃だった。この辺りにひしめく旅籠の一つに入ろうとした〈オクルス〉を、流れの傭兵達が無礼に呼び止めた。

「あんた、〈オクルス〉だろ?」

 〈オクルス〉がわざわざこうべそちらにを巡らせたのは、傭兵達が彼女の右側にいたからに過ぎなかったが、男達は無意味な優越を感じたらしい。ニヤニヤと粗野な笑みを交わしてそれぞれに胸を張ってみせる。

「いろいろと話は聞いてるぜ。かなり腕が立つってな」

「――…それで?」

 隻眼の女戦士がおざなりに訊き返す。

「何の用だ?」

尋ねなくても判っていると言わんばかりの口調だったが、傭兵達は意に介さなかった。

「なぁに、本人ならちっとばかしあやかりたくてな。なあ、〈オクルス〉だろ?」

「…そう呼ぶ奴もいるな」

「助かったぜ」

 男達が剣を抜いた。

「ここであんたをりゃあ、俺たちも、も少しマシな仕事にありつけるんでね!」

「くだらん」

 一斉に襲い掛かる傭兵達に、〈オクルス〉が呟いたのはその一言だけだった。

「――それでどうなったんだ?」

 アクルクスは、先程とは打って変わって気乗りのしない口ぶりで男の話を遮った。

「全員叩きのめして終わりってところだろう? その程度の事なら珍しくも何ともない」

 そう言い捨ててアクルクスが立ち去った後で、酔客はからのジョッキの中を見つめながらぼんやりと一人ごちた。

「そうさ、それだけならここじゃいつもの事だ」

 けれど、それを見物していた誰一人として、〈オクルス〉がどうやって傭兵達を叩き伏せたのか、それを見定められた者がいないという事実を聞いていたら、あの青年はそれをどう説明してのけただろう。〈オクルス〉にまつわる武勇とは別の、不気味な噂を聞いたなら。あの時、彼女はただ、マントの前をわずかに開いただけだったのに。ただ、たった数回、空気の裂けるような音がしただけだったのに、次の瞬間には屈強な男達が地面でのたうっていた。それを、一体どうやって――? 

 酔客は、何かを振り払うかのように大きく身震いすると、宿の主人に大声でエールのお代わりを注文した。


 翌朝、早々に旅籠を引き払ったスピカ達は、紋章もついていない小さな一頭引きの婦人用馬車を一路西へと向けた。極力身分を隠してのお忍び行のため、護衛と呼べるのはすぐ横を馬で追走するアクルクスだけという身軽な道中だが、それがかえってアクルクスの緊張を高める。一行と同じく街道を行く旅人達にも逐一目を光らせる彼を、ネウラは馬車の窓を蔽う垂布をめくって窺った。

「おひい様、あれではかえって人の目を引くのではありませんか?」

 スピカは、乳母の心配気な言葉に顔を上げた。だが少女の口調はいたって明るい。

「そう? どっちにしたって馬車は目立つもの。だったらせめて堂々としておかなきゃ」

「そうでしょうか…?」

「そうよ。時間の事を考えればホントは馬で行くのが一番いいんだけど…」

「なりません! そんな危ない真似…!」

「……判ってるわ」

 スピカはネウラに見えないようにため息をついた。

「だから馬車にしたんじゃない」

 同じ目立つにしても、まだそれがスピカであると外に知られさえしなければいい。それが父パロス卿を始めとして全員の一致した結論であった。

「――少なくとも」

と、スピカは護符を握り締めた。冷たい、金属の感触がやわらかな両手に食い込む。

「これで片方・・はどうにかなるはず…」

 だがその願いは、既に潰えようとしていた。

 馬車は、何の邪魔にも遭う事なく街道を進み、そろそろ正午を迎えようとしていた。

「アクルクス殿。どこか静かな所で昼食にしませんか?」

というネウラの求めに、アクルクスは少し先の河原を提案する。

「この辺りはよく遠乗りで来ていますので。そこならばあまり人目につきますまい」

 その河原は街道から少し外れてはいたが、声が届かぬ程ではなく、明るく見晴らしも良いとの好条件であったため、その場を一目見たネウラは早速ハミングしながら食事の支度にかかった。スピカも馬車を降りていささか大仰に深呼吸する。途端にネウラから叱責が飛んだ。

「おひい様、お行儀の悪い!」

 きゃ、と首をすくめたスピカは、すぐ横に立つアクルクスが思わず吹き出したのを聞き逃さなかった。が、軽く頬を膨らせた少女ににらまれて即座に笑みを隠したアクルクスの生真面目な表情に、今度はスピカが吹き出して場が和む。それからなんとなく笑みを交わした二人は、弁当を広げ終わったネウラの呼び声に歩き出す。

 その、少女達に遅れる事半リーグ程の街道を、〈オクルス〉は一人徒歩で進んでいた。さくさくと、見ている方が気持ちよい程の健脚で歩を進めている。その足が、前方に窺える不穏な気配にふと緩んだ。

「?」

 それでも歩みを続けながら目だけをすがめた〈オクルス〉は、気配がそのさらに前方へと向いている事にわずかな緊張を解いた。すぐに歩調を元に戻す。が。

〝山賊の類ではないが…〟

 気配の正体は、殺気であった。それも、押し殺され練り上げられた。これだけの殺気を寄せ集めの荒くれ共が出せるわけがない。これは、暗殺者のモノだ。

〝もっとも〟

と薄く嘲笑わらう。

〝大した腕ではなさそうだ〟

 一種静かで洗練されたモノではあったが、他に気取られる程の殺気を発していたのでは相手にも筒抜けだ。それではさぞ仕事もしにくかろう。

 また目だけを上げて前を見やった〈オクルス〉は、少し先を歩いていた一団が街道を離れたのに気づいた。この殺気の元が彼らだと察した彼女は、一瞬思案を巡らし、そして軽く吐息をついて一団の後を追った。


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