序章
初投稿になります。よろしくお願い致します。
第1章から終章まで、1章ずつ0時連続更新となります。
黄昏のやわらかな光が簡素な室内を橙色に染めている。その部屋の端に置かれた寝台に臥す老人もまた、人生の黄昏を長年の友人に見守られて終えようとしていた。
「…公、申し訳ございません」
老人は、寝台横に立って彼を心配そうに見下ろしている男へと目を上げた。
「あと一月、あと一月この身が保ちさえすれば…!」
「よい、ゼノス」
公、と呼ばれた男は、自責に固く目を閉じた老人を気遣い、慰めの言葉をかけた。
「この六年、お前は本当によくやってくれた」
「そうよ、神官様」
父の足元に膝をつき、老人の手を握っていた黒髪の美少女が頷く。
「神官様のおかげで私はこれまで生きてこられたのよ。あと一月ぐらいあっという間だわ、大丈夫。だから気にしないでゆっくり養生してね」
少女が握り締めた老人の手は節くれだち、彼女の記憶にある、力強いそれとはもう違っていた。けれど少女は、だからこそその手にそっと頬を寄せる。感謝と自責のこもった涙が、静かにその頬を伝った。
老人は、その優しい感触に知らず微笑みかけ、それがもはや難い事を知ってか細い吐息をついた。そして、かすみ始めた目を天井に向ける。
「――…ああ、本当に、私は…」
「神官様?」
少女は、老人の言葉を聞きもらすまいと彼の口元に耳を寄せる。しかしその先は紡がれる事なく、新たな呼気が刻まれる事もなかった。
「神官様…っ!?」
「ゼノス!」
父子は、答えない老人に詰め寄った。だが、もう、老人は、答えなかった。
「神官様ぁッ」
パロス卿は、自らも唇を噛み締めながら、泣き崩れる愛娘の肩を抱き、同輩の死を悼んだ。
そして数日後、父娘は私的広間の上座と下座に分かれて向き合っていた。
「――もう行くのか」
「はい」
娘は、父の問いかけに静かに頷いた。
「神官様の葬儀に出席できないのが心残りですが、残れば却ってお父様に迷惑をかけてしまいますし…」
「そんな事は…!」
パロス卿は、娘の言葉を否定しかけて、ぐ、と唇を噛んだ。このペイダリオン王国の西方を預かるカドリー公の顧問神官の葬儀とくれば、その弔問客の数は並大抵のものではない。娘が彼らの安全を、と言えば、『カドリー公』としては頷くほかない。だが父親として愛娘を危険にさらしたくないという思いにも苛まれる。それを察して、少女は微笑みを浮かべた。
「大丈夫ですわ、お父様。神官様の作って下さったお守りもまだありますし、北の大神殿までたった五日の旅程ですもの。間に合います、絶対に」
「スピカ…」
パロス卿は、もはや選択肢がない事をようやく認めた。と同時に、こみ上げてきた自責の念に、たまらず娘を抱き締める。
「すまん。お前一人にこんな重荷を…!」
「――いいえ。お父様のせいではありませんわ」
スピカは、父の背にそっと両手を回してその肩に頭を寄せた。まるで、肉親の温みを全身に憶え込ませようというかのように。そして少女は、囁くように父へ誓った。
「帰って参ります。必ず」
父娘は、今生の別れのように、固く抱き合った。