言葉が願を
がらがら、と古びた引き戸を開ける。家に入ると、張り詰めた冷たい空気が少し緩んだ。
「ただいま」
木造り、平屋建ての家に、奏多の声が染み消える。
叔父は離れの寺に居るようで、明かりがついておらず中は暗い。少女の一件が尾を引き少し恐ろしげな感じがするが、嗅ぎ慣れた木の香りが心を安らげてくれた。
ぎしぎしと床を鳴らして自室に入り、照明をつける。畳張りの和室。背の低い、文机に鞄を置くと、座布団を四つ並べて敷いて、奏多はその上へ倒れ込んだ。
「疲れた〜……」
服もそのままに、瞳を閉じる奏多。
少女の言っていた、“宝”を持ち去った人物について思い出す。
――性別は男。
――背は俺よりも高い。
――眼鏡をかけていた。
――髪が白かった。
どれも、役に立ちそうで役に立たないごく一般的な特徴だ。これを満たす人が、この山間の街にどれだけいることだろう。
(これだけの情報で探すのか……)
口からはぁ、と溜息が溢れる。奏多は、半身を起こして頭を掻いた。
(でも、祟られるなんて真っ平御免だしなぁ)
立ち上がり、箪笥の引き出しを開ける。
より暖かい服へと着替えて、奏多は日暮れまで街を散歩、もといそれらしき人物の捜索に行くことにした。
肌を刺す冷気は限度を知らないようで、少し風が吹くだけでも奏多の体は震え上がる。
「うう、寒い……」
雲によって陽射しが遮られている分、外の空気は余計に寒く感じられた。
森を抜け、街灯の多い街の方へ向かう。
視界いっぱい広がる田園風景は、現在となってはそれ程多く見られるものではないだろうなぁ、なんて思いつつ、奏多は畦道をふらふらと歩いた。
ふと、鼻をくすぐる甘い香りに気がつく。視線の先には和菓子屋・御影堂。“商い中”と、看板が立てかけてあるのが見えた。
(御影堂で、鶯餅でも買っていくか)
引き戸を開けて暖簾をくぐり店内に入ると、暖かさと甘い香りが、奏多の寒さで強張った身体をほぐしていった。
ショーケースにずらりと並んだ和菓子たちはいつもながらどれも美味しそうで、見た目にも美しい。
「いらっしゃいませー……って奏多さん。お久しぶりです。達摩和尚はお元気ですか?」
引き戸の音を聞きつけて奥から出てきたのは、御影堂の若き職人、和也であった。
「お久しぶりです、和也さん」
達摩のお使いの頼みや自身が和菓子好きな事もあってか、奏多は御影堂の面々とは雑談をするくらいの顔馴染みだった。中でも、二十代後半ぐらいと若く、年の近い和也とはとりわけよく喋る。
奏多は、自然と笑みを浮かべて返す。
「叔父は、俺が羨ましいくらい元気ですよ」
「それはよかったです。奏多さんも体調を崩さないように気をつけて下さいね」
「はい、ありがとうございます」
「それはそうと、今日は何を?」
「鶯餅を、二つ。あ、違います! やっぱり、三つでお願いします」
「はい、鶯餅を三つ、ねー」
聞き終えた和也は、慣れた手つきで鶯餅を取り出し、包んでいく。そこで、奏多は思い出す。
「あの、和也さん」
「ん? どうしました?」
不思議そうに見られる、目と目がかち合う。
少し、どぎまぎしながら、奏多は言葉を選んだ。
「ここらで、眼鏡をかけた、白い髪の男性を知りませんか? 背は、俺よりも高いらしいんですけれど」
「背が高くて、白髪で、眼鏡をかけた男性、ですかー」
手を止めることなく、和也は唸りながら思案する。
「そんな風体の初老のお客さんなら沢山来ますけどねー」
やがて和也はそう言うと、にぱっ、と笑ってから包装を続けた。やはり、あの少女が探しているのは小父さんなのだろうか。
「そうですか……」
「そんなに役に立てず、すみませんねー」
「いえいえ、ありがとうございます」
申し訳なさげにする和也に、奏多はやんわりと笑みを返す。すると、どうやら包装が終わったようで、和也から御影堂印の紙袋を差し出される。
「お買い上げ、ありがとうございました!」
綺麗に包まれた鶯餅を受け取って、奏多は御影堂を後にした。
店外へ出ると、より一層の寒さが襲いくる。奏多は反射的にぶるぶると身震いした。
(もうそろそろ帰るか)
結局、御影堂で和菓子を買うだけとなったが、また天気の良い日に探そうと奏多は帰路についた。体を温めようと、早足で歩きだす。
空は灰色味が増し、また雪が降ってきそうなどんよりとした面持ちをしている。はあ、と吐いた息が白く烟っていた。空を見上げながら、畦道を歩いていく。
ふと、何かを思って空から視界を戻した奏多は、辺りを見渡す。
「あ」
目にとまったのは、奏多の家へと続く山道に入る人の姿。ハッと、奏多は息を飲む。既に草木の影へと隠れたそれは、珍しい色彩を持っていたように見えた。
宙に舞う、結われた一束の白い髪。
「待って下さい!!」
声なんて届かないだろうと知りつつも、奏多は反射的に叫び駆け出した。