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頭の中の幽霊

作者: 薄暮

「朝子、私、怖いの!」


まーた始まった。

まぁ、連絡もなく突然家に押しかけてきた時から薄々分かってはいたんけだけどね。

そういう話は医者にしろと何度も言っているのに、「次の診察まで落ち着かない」と言って事あるごとに家にやって来る。


まぁ、今日は暇だったからいいけど。



家に押しかけてきた女、夕子は私の大学時代のサークル仲間であり、今も、一応、友人である。

何事もなく堂々としていれば、160近くはある身長に、モデルのようなすらりとした体型。整った目鼻立ちに色白な肌。そしてサラサラとしてツヤのあるロングヘアー。

『美人』っていうのは、こういう人のことを言うんだ、と思わせるような美女である。


しかし、今の彼女は、『蛇にに睨まれた蛙』という言葉がぴったりの様相である。

いつも何かから身を守るかのように背を丸め、周りのありとあらゆるものが敵であると言わんばかり視線を地面に向け、びくびくと怯えている。


そう、彼女は『欝病』である。

それでも、ちゃんとかかりつけの医者も居るし、薬ももらっている。

何より、その医者が軽度と診断するのである。

本人はこの世の終わりのように思っているようだが、医者曰く、薬飲んで休めば『治る』のだ。入院しろだとかそういう大袈裟な状態ではないのだ。


まぁ、そういうふうに考えてしまう病気なのであろう。


彼女の鬱病を起こさせた理由は、会社にあるらしい。

彼女が入った会社は、新入社員であろうと役職者であろうと、こと『教育』に関してはかなり厳しいらしい。

大学時代、綺麗だの可愛いなどと周りから持て囃されて4年間を過ごしてきたのだ。

そこから会社に入って一変。


お前は仕事をなんだと思っている!

だとか、

やる気がないならもう来なくていい!

というような熱い『指導』を受けてるらしい。


ある意味、今時珍しいスパルタな教育方針を採っている会社である。

過労だとか、心労なんかで自ら命を絶ってしまう若者が減らない世の中で、堂々と、その厳しさを包み隠さず、社員の教育方針として打ち出しているところは、大したものだと思う。


大学生活から会社に入ってからの落差に、夕子は完全に参ってしまった。

そして、縋る思いで行った病院で、『鬱病』と診断された。


いくら教育方針が厳しいからといって、病人を死ぬまで働かせるような『悪い』会社ではない。

会社側は、その辺りの手続きはお手の物と言わんばかりに、あっという間に夕子を病気休暇させた。

休暇の手続きが行われている間、夕子がしたことと言えば、病院で貰った診断書を会社に持っていっただけである。

本人は頭が働いていない状態なので仕方がないのかもしれないが、その辺りの手続きを病人である夕子を煩わせることなく処理をしてくれた上司に感謝すべきところであろう。



というわけで、今は会社に行かず、家で養生するなり何なりすればいいものを、何かと不安だ怖いだのと私のもとにやってきて、求めてくるのだ。


不安や恐怖を紛らわせる『方便』を。


私は、昔から屁理屈こきだの口が達者だのと言われるような質の人間である。

だが、能弁であるというわけではない。

例え嘘であっても、理屈が通っているように見える、ように話すのが上手いだけ。

屁理屈屋といったところである。


それを、彼女は求めてくるのだ。

『嘘も方便』という。

彼女にとって、嘘でもなんでもいいから、自分が持つ不安や恐怖の解消方法が欲しいのだ。


しかし、そんな相談は、本来であればお門違いも甚だしい。

一介の小娘の方便よりも、かかりつけのお医者様のご高説を宣うほうがよほどいいと思うのだが、これだけはいくら言おうと納得しない。

本人曰く「次の診察までの『つなぎ』」が欲しいと言う。

その『つなぎ』をこねくり回す方の気持ちも考えてもらいたいものではあるが、妙なところで頑固な彼女は、押せども引けども自分が納得するまで梃子でも動かない。


そんな訳で、仕方なく、彼女の相談に付き合ってやっている。


「で、今日は何?」


2人分の珈琲を用意し、煙草に火を点ける。


「だから、怖いの…」


涙ぐんで俯いている。

美人の涙である。こんなものに男は弱いのかと、ふと、どうでもいいことを思った。


「さっきから『怖い怖い』しかいってないじゃない。何が怖いのかくらい言ってくれないとどうしようもないじゃない。」


そうだね、ごめん。と言ってコーヒーカップを手に取る。


「あのね、今私、会社を休んでるじゃない?」

「そだね。」


煙草を吸いながらの、ぞんざいな返事である。

最も、相手は自分の思いを、どう話せばいいかに夢中である。気にもかけていない。


「それでね、ふと、考えちゃったの。

私が病気で休んで、周りがなんて思ってんのかなって…

もしかして、使えないとか、打たれ弱いとか、思われてるんじゃないかって。そう考えると、そう考えると…」



『怖い』



「なるほどねぇ」と言い、煙草を咥えながら考える。

このテの話は、病気じゃなくったってよくある話だ。


相手が何を思っているのかが気になる。

もしかして相手はこう思うっているんじゃないか。


人の頭を覗ける人間なんてこの世に誰ひとり居ないというのに、皆そんなことを気にするのだ。

そんなものは、言葉にされなければわからない。

気にしている人間が何も考えていなければ、まさしく杞憂というやつだ。


見えない他者の気持ち

言葉による顕在化

あるかないか、わからないモノ

『怖い』モノ…


そうだ。


「時に、夕子さん?」


私はわざとらしく丁寧に、そして、できるだけ厭らしく聞こえるように尋ねてみた。



「『幽霊』は信じるかい?」



カップに口をつけようとしていた夕子は、目を見開き、口をまんまるに開けている。


「朝子、何言ってんの…?」

「いいからいいから、どう?『幽霊』は」



信じるかい?



その問い掛けに、いかにも不満たっぷりと言わんばかりの顔で言う。


「何をバカなことを言い出すの?そんなもの居ないわ。」

「なんで『居ない』だなんて思うの?」

「え、だって、私はもちろん、家族も友達も、朝子だって、見たことも聞いたこともないって言ってたじゃない。

肝試ししたって出てこないし、テレビでやってるようなものだって、あんなの明らかに作りモノじゃない。そんなの、信じないよ。」


ほうほう、といいながら珈琲を飲んで間を作る。

まんまと乗っかってきてくれる素直さは、屁理屈屋にとっては有難いことである。


「夕子が言ったとおり、私も幽霊は見たことがない。だから、いないと信じている。

それでも、『幽霊』を怖がる人は世の中にたくさんいる、それはなぜだと思う?」


のんびりと明後日の方を向きながらタバコを吸う私とは対照的に、夕子は、コーヒーカップを見つめて考えている。

暫くすると、ぐぬぬぬ…という唸り声が聞こえてきた。相当悩んでるなぁ。

これ以上病人に鞭打つのを止め、私は言う。


「いるか、いないか、はっきりとしないから、怖いんだよ。」


夕子はぽかんとしている。わからないと、顔に書いてあるようだ。

駆け込んできた当の本人が理解できないのでは困る。


「例えば、夕子がさっき言った『肝試し』を例に取ろうか。

あれをやってて、一番怖い瞬間って、いるかいないか分からない『幽霊』を探している時だと思わない?

ライトを持って、心霊スポットと呼ばれる場所を、幽霊がいるんじゃないかと思いながら探し回っている時が、一番怖いと思わない?」


明後日の方を見た夕子は、一瞬ぶるっと身を震わせて「確かに怖かった」とぼそっと呟いた。

やったことあるんだ。それは、ちょっとびっくり。


「いても怖い。いなくても怖い。そもそも、いるかいないか、そういうあやふやな状態が、怖い。

そうでしょ?」

尋ねられた夕子は、珈琲を飲み終えてから、「どれも、嫌だね」と暗い顔で言った。

昔したという肝試しが相当怖かったのか。思い出しているのだろう。

そんな彼女を尻目に、私は続ける。



「じゃあ、ここはどう?」



私は、自分の頭を指さした。


「頭?」

「正確には、頭の中。」



あなたが『怖い』といったものよ。



そう言った途端、彼女の更に表情が暗くなる。

そろそろ気付いて欲しいんだけどなぁ、と思いながら続ける。


「あなたは、人にどう思われているか『わからない』から怖い、といったわね?」

「うん。」

「でも、その人が実際に何を考えているのかは、幾ら外側から観察したところで、わかるものでもない。」

「そう、だから…」

「ただ、その人が何を考えているかを知る方法が一つだけある。」


夕子は目を見開き私を真っ直ぐ見つめる。


「それはね、『言葉』にする。つまり、喋るってこと。」


それを聞いた途端、夕子は、いかにも失望したといった感じで、萎れてしまった。


「そんなこと聞ければ、苦労ないよ…」

「まぁあなたにはできないだろうねぇ」


けらけらと笑う私を、何がおかしいのよ!と夕子は怒った。


「これじゃ、怖いまんまじゃない!」

「ごめんごめん、まぁ最後まで聞きなさいって」


目に涙を貯めて震える彼女を制し、話を続ける。


「今まで散々話して、何か似てるって思わなかった?」

「似てる?何と何が?」

「だから」



『幽霊』と『頭の中』よ。



わかっているのかいないのか、いや、分かっていないな。怪訝な顔で私を見る。


「『幽霊』の話の中で、いちばん怖いのは、いるのかいないのか分からずに、探している瞬間だって言ったよね。

一方、『頭の中』がなぜ怖いのか、それは、そこに何が詰まっているのか、何を考えているのかがわからないのが気になってしょうがなくて怖い、ってあなたは言った。」


そうよね?と私は聞く。

夕子は自信なさげに頷く。

それを見てから、私は更に続ける。


「『幽霊』の場合は簡単。

見えれば、いると言えるし、見えなければ、いないと言える。

じゃあ『頭の中』はどうかしら。

言葉にされれば、思いは顕在化する。そう思っているんだと分かる。

でも、言葉にされなければ、そこに何が詰まっているか、わからない。イコール、見えない。

それって『幽霊』と同じように『存在しない』と言えないかしら。

だから」



似ていると、思わない?



夕子は、私を見ながら、「ない…」とぼそっと言った。


「今のあなたは、他人の『頭の中の幽霊』を探して肝試しをして怖がっているのよ。

だったら、最初に訊いたように、『幽霊』は居ないと信じていれば、何も怖がることはないじゃない。

居ない、とわかっているものを、わざわざ探しに行かなくていいじゃない。

『頭の中』も『幽霊』も誰にも『見えない』のだから。」


「そっか。ないのか。ないのなら、大丈夫、大丈夫!」


そう言った途端ばっと立ち上がり、「ありがとう朝子!」と言いながら玄関を慌ただしく出て行った。

いつもこうだ。

まるで嵐が過ぎ去っていくように、突然やってきて、突然去っていく。


夕子が去ったあと、再び煙草を取り出し、火をつける。

ちょっと強引だったかな。

ソファーにもたれかかり、煙の後を追いながらぼんやりと天井を眺める。

まぁ、所詮は屁理屈。強引も何もあったものではない。

それに、それを聞いた本人が納得したなら、それでいいじゃないか。


何だか今日は疲れたな。


煙草をもみ消し、朝子はのんびり昼寝をすることを決めた。

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