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マレビトと楔の杖  作者: 三本川 岸郎
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9. 認識、脱出

 屋敷から抜け出すのは明らかにリスクの高い行動だ。一応、軟禁という形で落ち着いているのは、村長に対しては敬意をもって接していたおかげで最低限度の信用を得られているからである。

 もしこれがなくなればどうなるか。簀巻きにして殺されても文句は言えないであろう。それでも兆候がある以上は任務遂行のために動かなくてはいけないときもある。

 

 カズヤと会うにはまず屋敷から脱出しなければならない。

 見張りの人数は不明だ。この屋敷に連れてきた人数は二名であるが、それ以上いないという保証はどこにもない。それに、構造についても不明な点が多い。まず、脱出経路から考えてみよう。

 

 この屋敷の構造は最初に訪れたときに把握している。村長宅は正門が表通りに面して四方は塀により囲まれた構造になっている。門から入ると直線的に玄関へと入れ、そこに向かう小径の左右は背の低い生垣が造営されていた。玄関から入って土間を過ぎると廊下となり、その向こうにはふすまによって広間を仕切ることで作った3つの部屋がある。広間の外縁には廊下が走っていた。廊下と外の境界は雨戸で仕切られている。部屋は玄関から屋敷の奥に向かって並んでおり、俺はその中央にいる。

 村長とこの村に来た時最初に話し合ったのは、最奥の仏間であった。仏壇は玄関へ向かうようになっており、用事がある時にふすまをすべて外し家具を退かして大広間となるのであろう。玄関より入って、左手の外縁廊下より外は庭となっていた。その廊下をまっすぐ進むと、行き止まりとなり、右手側は仏間に入れるふすましかなかった。逆に、玄関より右手へ進んだ奥は便所である。便所に入らず左手に曲がった先にも何かがあるようだが、最初にこの屋敷に来たときより、これ以外の箇所に俺は入っていない。従って、ここから先の構造は推理するしかない。

 

 先ほど女中は玄関から見て右手の方向へと向け出て行った。おそらく、あちらに小間使いの控室か、仕事場、台所などがあると見ていいだろう。さらに、これだけ広大な屋敷であるから、この広間以外にも寝室となりえる部屋もあるに違いない。おそらく、この屋敷の全体構造は上から見下ろした場合、玄関を一端としたL字形または2つの長方形の第一象限と第三象限を重ねたような形になっていると憶測できる。

 先ほど女中が出て行った先は壁しか見えなかった。女中が邸内で張り込んでいる場所は、この広間よりさらに奥にあると見える。

 

 脱出できる出入り口はどこか。玄関から出ることはできない。なんといっても、犬がいる。あそこから出れば吠え声により一発でばれるだろう。となると、それ以外の出入り口、外縁部から庭へ出るか、女中の居る方面から出るかというところか。

 少し考えれば庭側が適切に見えるが、その程度は軟禁というくらいだから考えているだろう。邸外の見回りはしているはずだ。ふすまの外は外縁廊下であるのだが、今日来た時、雨戸は開け放たれていた。庭からは、この部屋は直に見えているということになる。そっと開けて確認したいところだが、下手にふすまを開けると外の見張りが俺の動きに勘付くかもしれない。室内見張りになると、もう逃げるのは困難だ。それは最後の手段にしよう。

 

 敷地内の邸の外はどうなっているのか。この村に最初に住んだのは輸送業をしていた商人だっだ。ということは蔵がどこかにあるはずで、正面からは見えなかったから、敷地の奥にあると見ていい。正門から蔵へ荷物を運びこむには生垣や庭を越えねばならず不便である。

 そうなると、最低あと一つ、塀の外への出入り口があると考えるのが自然だ。この屋敷には正門と勝手口の二つの出入り口があるはずだ。

 

 すると、最小人数配置が見えてくる。見張りの最小人数は2名で、勝手口側と正門または庭側にいると考えよう。次に優先すべき場所は、女中が台所側に控えているのだから、彼女の保護のためにそこに1名以上といったところか。最小で見張り3名、女中1名それに犬が配置の基本となる。

 これ以上増やす場合、庭や邸内を巡回する人員が加わることになるだろう。とはいえ、ただでさえ今の村内は男手が少ない。どれだけこの屋敷へ必要以上人を配置できるのか疑問なところだ。

 

 今いる人数を確認するには、巡回する人員が何人いるか調べればいい。この部屋は屋敷の中心に当たる。耳を澄ませば少しはわかるだろう。ずっと静止して監視する可能性もあるが、特に訓練された人員でもない。どこかで物音を立てるはず。それがなければ、3名だけがこの屋敷に張り付いていると判断できる。

 この仮定従わない場合、つまり十分以上の人員がこの屋敷に充てられている場合、俺はこの屋敷から脱出できない。それはもうどうしようもないことだ。

 とりあえず、人数の確認のために、歩き回る音があるかどうか床に耳を当てて調べることにした。

 

 床に耳を当てながら考える。脱出経路をどうするか。バレずに逃げるためには、遠目にばれずかつ犬の居ない場所、すなわち台所側か勝手口側から出なければならない。単純に考えれば台所は2名、勝手口は1名。人数が少ないから勝手口がよいように思える。だが、通りをまっすぐに抜けるから、逃げている姿は容易に見つかってしまうだろう。体力的に走って逃げてもすぐに追いつかれる。格闘戦に持ち込むか?勝てる保証はない。

 台所側から、ゆっくりと抜け出て、塀を越えるというのはどうだろう。

 女中かもう一人の見張り、どちらかが便所に行くタイミングは、今いる部屋のすぐ脇を通るから容易にわかる。いなくなるのに乗じて、台所側に抜け、一息に抜け出すというのはどうか。深夜の警戒心がなくなる時間帯に乗じれば、隠れて出られるかもしれない。それに、もしかすると男衆は邸内におらず、女中しかいないという可能性もある。それならば、一人いなくなればもうそこは抜け殻だ。

 よし、人がいなくなったのに見計らって、台所側から抜け出し、こっそりと塀を越えるという方針にしよう。今の体力でも、よじ登るくらいはできるはずだ。

 その向こうに人がいる可能性?そこまで考えたら脱出しようとは思わない。

 それと、カズヤが居る場所についてだ。そこから先は、杖を呼び出して何とかすることにした。

 

 

 ―――静かに機を待つ。もうどれだけ経っただろう。早く、女中よ。花を摘んでくれ。廊下を挟んで向こう側にある台所や、もしかするとあるかもしれない使用人用の小間、それに庭の物音にまで床にへばりついて聞き耳を立てる。だが、どれだけ待っても物音ひとつ感じない。

 見えもしない、聞こえもしない相手を注意するのは、本当に不安なものだ。聞こえるのは夜風で揺れる障子の音のみである。

 

 

 季節外れの額に浮かんだ汗を掌で拭う。ふと背嚢を見た。そういえば、これは一度何者かによって盗まれている。そのあとどのような手段か、村長の手元に届いていた。俺は最初網直しの爺さんが盗んだと思った。落としたとき近くにいたのはあいつだけだったからだ。

 だが、山道に向かった村民たちに聞くと、そんな奴は知らないと言った。この狭い村内で、日常的に定位置で作業をしているであろう人物を知らないなんてことがあるだろうか。それに、俺が村民に囲まれたとき、あの爺さんは居なかった。宿主や村長などの年寄りや住職まで呼ばれていたのだ。村民であるのに呼ばれないという、例外が果たしてあるだろうか。

 体が悪いから?網を直しているということは、彼は漁民だ。漁村から村の出入り口までそれなりに標高差がある。それを登れるんだから、最低限の運動能力はあったはずである。

 

 さらに疑問はある。背嚢を下ろしてから、あれが血まみれになって村長のもとへ届くまでの経過時間が短すぎる。さらに、あの血はいつ誰のものがついたのだ?

 俺のナイフは盗まれていない、と仮定するとあれが血を浴びたたのは俺が子供を漁村に届けて、それから山道に向かうまでと言ったところだろう。村長は俺が山道へ向かい、村へ戻ってくる前の時点で招集をかけていた。すべてはオンタイムで進行していたとしか思えない。

 血の主は、おそらく第二の遺体だ。彼が見つかったのは漁村の岸壁方面、村の出入り口からは正反対だ。ナイフを盗んでからわざわざ岸壁まで持っていってそこでザクロの実を作ってから鞄を村内の見つかりやすいところまで持っていき放置する。この狭い村内で、疑われることなくこれをする人間がいたということだろうか。

 もしかして、村民全員がグルで俺を嵌めた?いや、それはない。殴ってきた男の様子はまさに真に迫っていたし、俺が銃を構えた際の村民の怯えも本物だった。演技であったとするのは穿ちすぎというものだろう。

 だとすれば、ごく一部の人間が、これを成したということになる。そいつは麹屋の女を殺し、背嚢を盗み、岸壁で人を殺し、背嚢を村内の中心付近で投げ捨てた。しかも、背嚢内を置くときには俺の身分証を抜き出している。それを盗まれると俺が危機的状況になると知っていたというわけだ。雑貨品は出していないから、最初から何がどこに入っているのかわかってやったということになる。即ち、俺がそれを出した様子を見た人間、またはそれを伝えられた者がそれを行ったのだ。

 

 

 俺を嵌めるためのそのような煩わしい真似をする人間は、相当に限られる。さらに、第二の遺体が連絡員と仮定すると、いよいよやった人間は1,2名と言ったところになる。だが、そうなるとそいつはわざわざ俺のナイフを盗むためだけに人を配置して、しかも限られたタイミングで殺害し、結局俺に擦り付けるのには失敗したという間抜けな上、計画はあからさまに杜撰だ。

 そいつは、俺がこの村に来ることを知らなかったか、見てから邪魔だと思って排除するために、俺を嵌めようとした。だが、これと村民の知らない外部の老人をずっと配置し続けていたことは矛盾している。人が必要になるような事態であるとわかっているのであれば、もっとしっかりとした計画を立てるはずだ。どうして、人を手配しておきながらこれほど適当な行動となってしまっているのか…。

 

 その人知れない爺さんの所在もあれ以降分からない。そして、1件目の強盗騒ぎ、この村初めての異常は一日目の夜の時点で発生した。あれは奇妙なものだった。しっかりと探っておくべきだだったといまさらになって思う。あれは、人の仕業であったのかそれ以外の仕業であったのか。

 

 消えた老人、わざわざ用意した血まみれのナイフ、杜撰な計画、1日目の時点で起こった異常。俺の目から見えるこの村の事件はまま意ある、図によって起こされた代物に見える。だが、もう一つの可能性がある。手間暇かけずに奇矯な事態を起こす方法、魔法という手段だ。

 

 頭の中ではぐるぐる思考が回っている。解ける気配はない。物音も、いまだ一つもない。一体どうなっているんだ。邸内の女中や見張りはどれだけ忍耐強いのか。

 

 

 …決めた。不確かな推測はもうやめよう。おそらく、背嚢の中をもう一度見てみれば。それですべてが分かりそうな気がする。

 

 背嚢の口を開き中を覗き込む。夜間の上、ふすまが閉まっているから、ほとんど何も見えない。手を突っ込み中を漁ってみる。元々財布と書類、ナイフ以外は救急キット程度しか入っていなかった。ああ、そういえばこれもあったな。文庫本が背嚢の底で眠っていた。移動中の鉄道内か旅館で待機中に読もうと思って入れていたのだが、結局一度も読むことはなかった。握ってみると、表紙は生乾きとなっている。取り出してみて匂いを嗅いでみる。

 血ではない。これは、水だ。

 この背嚢が水を浴びる時は、この旅の途中にはなかったはずだ。

 

 …まさか。ふすまの取っ手、ついで寝間着に触れる。さっき女中が握っていた部分だ。そこも、わずかであるが濡れていた。

 

 俺がこの村へ来たことを事前に知っていたのは誰か。村長だ。俺は、村長とカズヤは連絡を取り合っていると認識していた。彼らは互いに協力してこの村を警護していると。それは半分しか正しくない。おそらく連絡はとりあっているのだろうが、すべてを教え合ってはいない。

 村長の知らない力を彼は持っている。それは、おそらくごく一部の人間しか知らされていない。そうでなければ、村人はそれをどこかで疑ってみていたはずだ。

 

 いや、そもそも俺たちに彼らの何を理解できるというのだろう。彼らを俺たち程度が推し量ることなんてできやしない。

 もしこの推測が正しければ、もう一件の殺害以外の事件全ては、想定内で進んでいる。

 なんてやつなんだ。今夜、すべてが終わる。そのために俺は、いや俺たちはここに閉じ込められたのだ。 

 一刻も早くこの屋敷を抜けなければ。そして止めなくてはならない。決定的な破たんを招く前に。

 

 

 もう、音を気にするのはやめだ。東側のふすまを目いっぱい開ける。邸内中にぴしゃりと乾いた音が響いた。

 当然、誰も反応しない。そもそもこの邸内に人などいない。廊下をまっすぐ歩き、右手にあった扉を開け、中へ入る。台所だ。

 床を見ると、先ほど俺の体をふいた蒸しタオルが冷たくなって床に落下していた。その周囲には、格子窓から入った月の光がきらりと水たまりに反射していた。

 

 あいつは、『水を動かす』魔法使いではない、『水の』魔法使いなのだ。事前の下調べを宛てにして能力を推測し続けなかった俺がバカだった。際限など始めからなかったのだ。能力を極められる存在とはそういうものだ。

 

 

 隅に置いてあった足場を抱える。腰をかがめ、ゆっくりと台所の間口から屋外へ抜け出た。今晩は本当に明るい夜だ。屋敷の庭園は、砂利の地面に木々を配置した和風なものだった。

 そんな中でも、天空以外からの光はありありとわかる。玄関側と屋敷の裏手側からゆらゆらと明かりが動いている。

 やはり、見張りは2名しかいなかったようだ。立ち止まっている暇はない。俺はこの屋敷の中でどれだけ貴重な時間を失ったのか。いや、ここだけじゃない。もっと以前の時点で無理やりでも説得していれば。

 

 考えている時間も惜しい。それでも、ここで見つかればすべて終わりだ。そろそろと歩を進めていく。塀まで残り10m、5m、3、2、1…。

 足場を砂利が敷かれた地面に置く。足を静かに乗せ、手を目いっぱい塀の瓦ぶきの屋根へ伸ばす。あと少しで、届かない。仕方ない、ジャンプしよう。台の最上段に両足を乗せ、重心を下げる。そこへ、鋭い鳴き声が響いた。犬に見つかってしまった。

 構うものか。思い切り垂直方向に跳躍する。手は届いたが、足場は倒れてしまった。足場が勢いで倒れ、庭に敷き詰められた小石との間でガチャリと音を立てた。

「太郎、どうした。それに、何の音だ!」

 玄関方面にいた男の声が響く。急げ、見られる前に路地へ早く着地し…。ここ、水路じゃないか!だから手薄だったのだ。近づいてくる足音が聞こえる。こうなれば致し方ない。そのまま晩秋の用水路内へ飛び込んだ。

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