8. 虚実
床の間を背にして畳の上で胡坐をかく魔法使いが、俺たち凡俗に対して事の次第について口を開く様子は一向にない。仕方ない。不本意だが、魔法については俺が話すことにしよう。
「僭越ながら、皆さまのお話しに参加させて頂きます」目線が一斉にこちらに向いた。強い疑心の空気が広間に漂うが、ただそれだけで反対する様子はないので、勝手に話を始めることにする。
「彼の業について、種や仕掛けがどのようなものであるのかは私にもわかりません。所詮、私は組織の末端の使い走りでございます。ですが、魔法と呼ばれる現象が存在するという前提で、上が動いているということは事実です。これから話すことについて、私の身分はともかくとして、内容の真偽について後程ゆっくりカズヤ様に聞いていただき、確からしいことをしっかりと認めていただきたい」
自分は公的書類をなくした身だ。彼らが俺に関して納得しなくとも、話の筋をカズヤが認めるのであれば最低限の保証になる。これは、疑いをわずかでも晴らすチャンスかもしれない。
「私は、内務省を通じて、この国のある結社から派遣されてまいりました。結社が私に与えた目的は、魔法を使う素質を持つ人間を探し出して連れ帰り、社の持つ魔法技術を維持発展させることであります。
魔法は素質がないものには使えません。能力を生まれつき持つ者は希少でありますが、一方で使いこなすことができれば絶大な力を発揮するものであります。歴史上、いたずらに使用されることによる社会の混乱を恐れ、世俗の支配者達はその存在をずっと隠匿してきました。己には易々と使えない力がこの世には存在し、しかもそれが自分を保つバランスを崩しうるのですから、恐れるのは当然です。
古代においては政の一環として用いられる例外もありましたが、基本的には魔術がこの世に存在するという前提はあっても、実際に使用できる人間自体は社会から弾圧されるのということが通例となってきました。現代においてもそれは変わりません。
このような事情から、魔法を使える存在は、自らの素養に気づきかつ俗世を知ると、表の世界から自ら姿を消すか魔法の使用をやめてしまうことが普通となってきました。
その彼らを保護する存在が、『結社』であります。カズヤさんはその組織に幼いころから受け入れられ、手ほどきをうけて育ってきました。その組織の考え方も基本的に世の政府と変わりません。生命を守るために、自らの存在を隠し続けよ。その上で、この世に我々は影響を与えてはいけない、ということです。
カズヤさんは、しかし、歳を経るにつれそのような常ならざる力を隠し続けることを良しとしない考えをお持ちになるようになりました。世のために使い、魔法を持って人々を助けるべきという、反結社的思想を抱かれたのであります。
そして、ある時から、結社に逆らい、実社会で魔法を用い始めたのであります。市井はそれを感謝しましたが、当然のごとく組織の不興を買うことになりました。結果、彼は追われる身となり、各地を転々とすることになりました。
2か月前この村へ流れつき、影ながらカズヤさんは魔法を使っていたようですね。結社は調査の結果これを知り、私をこちらへ派遣したというわけです」
村長はそれを聞いて、「それでは、彼はどのような目に遭うかわかったものではないでないか。ハイそうですかと帰れるわけがない」
当然の感想だ。
「いえ、組織はここ最近、国の管轄となりました。神社が文明開化以来変わったということは存じていらっしゃるでしょう。全国にまさに八百万のごとくあった諸神のことごとくを今代の皇が統べ、淫祠邪教の類を排除したことを。
これと同じことです。法律に触れる行為、世に背くことについては行えぬようお国から指導が入った結果、過去のようにただ隠匿するだけの秘密結社から、お国のために力を正しい形で社会へ生かす正式な会社へと生まれ変わったのであります。このことを彼に述べましたところ、カズヤ様は帰還に関して了解していただけた、というのが昨日の次第であります」
村長と宿主はともに唸り、俺の話をかみ砕こうと悩んでいる。神社効果は大きかった。納得してもらえる兆しが見えてきた。
村長は腕を組んだまま、カズヤの方へ向いてこう言った。
「どうですか、彼が話す薄ら寒い話は、事実なのですか」
魔法の使い手はようやく視線を地上に向ける。ゆっくりと、無知者でもわかるように確からしく首肯した。それを聞いた二人の老人は、たっぷり息を吐いて、いいでしょう、とただ一言返した。
このような話をしていたところ、台所方から茶の香りを漂わせながら女性が出てきた。千代さんである。「みなさん、長くお話をなさってお疲れでしょう。どうぞ」
盆の上には湯呑は6つあった。ありがたい。朝食依頼、水一つすら飲んでいなかった。しかも、中身をすべて出してしまったせいで喉が渇いて仕方がなかった。口に含んでみると、豊かな濃い緑と少量の茎を漂わせた見事な煎茶であった。熱い器をそろそろと持ちながら口の中へゆっくりと流し込む。千代さんは下がろうとすると、家主はいいよここに居てと手招きした。ここからの話の方が、俺はよほど聞かせたくない。
彼女は、火の始末はしてからね、と返した。どたどたと駆けていった後、しばらくして広間に帰ってきた。村長たちの斜め後ろに座布団を敷き、その上にゆったりとした動作で座る。ふと屈んで前傾したときににうなじが零れた。眼福。
ようやく話を再開する。
「裾川さんがどのような事情でこちらにいらっしゃったのかわかりました。カズヤ殿が頷かれる以上、それは事実なのでございましょう。
しかし、まだわからないことがあります。強盗の件です」もう一つの問題に村長は言及し始めた。
「宿屋、麹屋とあなたが向かわれた場所で立て続けに事件が起こっております。これは儂たちへどう説明なさるのですな」
村長は、会話が始まったころよりはゆったりとした口調で話した。村内ではその調子で話してほしかったなあ。それなら殴られなかっただろうに。
俺は、その存在としてあり得る可能性について話すことができる。ただ、それは魔法などとは比にならないほどに現実離れしている。果たして、それをここで話せば、もう一度お縄に懸けられて終いであろう。まだそうなるわけにはいかない。話すなら、カズヤと一対一になってからだ。一つ、ここでも言えることがある。それを答えよう。
「申し訳ございません。残念ではありますが、私の身には、まったく存じ上げないことでございます。麹屋の前は本日一度も通っておりませんし、仮に通っていたとしてもそれが店であるとは私にはわかりませんでした。あの家がそうであるとわかったのは、三郎君に案内してもらってからのことでございます。
私にその事件と関係しうることで述べられることは、共に派遣されました連絡員が一名行方不明となっていること、それ一つです。明らかな予定外のことであり、懸念事項と言わざるを得ません」
村長は俺の弁明について、男の身分は確かなのか、と問いただす。
「彼は省の正式な職員であります。そのような不測の事態を軽々しく起こす人物とは考えにくいことでございます。彼の氏名について問うてみれば明らかになることです。書き物を頂ければ、そちらへ記させていただきましょう。
万が一彼が犯人であったとしても、彼がどのようなことをしているのか、私は昨日の昼からあっておりませんので、まったくわかりません。連絡を取り合う手段も現在持ち合わせておりません。先ほど、体を改めになった際そのようなものがなかったことはご確認なさったでしょう」
村長は相槌を打ちながら俺の話を聞いている。宿主を終始自らの口へ手を当て、覗き見るように俺の表情を観察し、俺の話が終わると自らの口を手で軽く塞ぎながら、「それでは、君がその事件に関与していないという証拠はあるのかね」と質問した。
「物証を提示することはできません。しかし、少なくとも三郎君が村の出口に向かった時刻には村の入り口に向かっていたということは確かです」
「それを示すことはできるのかね」「はい。袈裟を着られたふくよかな男性と山裾の寺の前で挨拶しました」
村長は自分の薄く髭の生えた顎を撫で上げた。
「その方はわが村の住職じゃな。それで、何もしていないという証拠になると思いますかな」
「不確かです。ただ、一度犯行現場から逃げ出した犯人が、被害者の子供を連れて再度村内へ帰ってくると思いますか。余りに危険が多い」
そこへ、宿主が口を挟む。「自身の鞄を忘れてきたことに気付き、取りに来たのではございますまいか。合わせて犯人にしては不自然な行動を取ることで、自身から疑いを晴らそうとした。違いますかな」
「背嚢内に私の身分証は残されていなかったことはご覧になったでしょう。それに、あれは国軍歩兵の支給品と同じ種類の製品です。流通量を鑑みると、個人を直接特定することはできません。確かに私はこの村に来てからずっと身に着けておりましたが、それだけで決めつけるには不足なはずです」
そこにいた老人二名は腕を組んで天井を見つめる。穴だらけの状況証拠しかないが、俺が犯人として不自然であることが分かってもらえただろうか。
村長は胡散臭そうな表情をして、茶を一口飲んだ。
「裾川殿には、不自然な点はありますが、確かにそれだけでわしらが彼の処遇を決めるわけにもいかないかもしれませんな」
ぽつりと述べた後、室内に沈黙が流れる。
「それでは、こういうのはどうでしょう」宿主が室内をぐるりと一同を見渡した後、次のように提案した。
「村の若い衆が山崩れを起こした峠を迂回して街へ向かっております。おそらく、明日の昼過ぎには警官を連れて帰ってくるでしょう。加えて、1隻残っている動力船で隣港まで行き、外部へ連絡するようこれから命じればよいのです。船ならば夜明け前には、電信と駐在所のある隣港と往復して帰ってこられるでしょう。とにかく外部の信頼できる人間を一刻も早く呼ぶべきです。
それに加え、今晩は村内総出の夜間巡回を行いましょう。白昼堂々と人を殺める犯人を村の力のみで止めるのはおそらく困難ですから、外部の力が必要です。今夜にすべての力を注力するべきです。
裾川殿はわれらで監視すればいい。凶行を今晩防ぐことができれば、犯人もこれからは迂闊に何かをすることはできなくなります。
仮に、もし裾川殿が拘束されている間に何かあれば、それで彼は無関係ということになりまし、そうでなければゆっくりと警察が彼を問いただしてくれるでしょう」
村長は腕を組んだ姿勢のまま、大きく頷いた。「そうですな、まずは予防に取り組むことが先決でしょう。無差別であるのであれば、それこそ手をこまねくのは危険なことですな。ただ、村全体を見回りするという案に追加事項があります。
男手を出してしまった家の女子供は、一旦屋敷街の一室へ集め、そこで護衛をするというのはどうですかな。村内全体をくまなく巡回して安全を確保するという案は、今の男手の人数では困難です。相手は男女関係なく殺害する獣です。一晩だけなら、これで皆も納得してくれるでしょうし、こちらの方が守りやすい」
村長の案にカズヤ、宿主は賛成した。続けて長はさらに述べる。
「少なくとも街から参る明日の昼頃までは村人を一人にせず、常にだれかと共にいる。それと、裾川殿の処遇ですが、うちの屋敷の敷地内に一晩籠ってもらうということいたしましょう。先ほどの話を聞く限り、彼の話に明確な嘘はなさそうですじゃ」
話は二人の間でまとまったようだ。カズヤは異論はなさそうに、しかめっ面のまま顎を撫でた。
俺は村長宅の広間で明日の晩までは軟禁されることになった。屋敷は塀で囲まれていて、中からも外からも合図は送れないので、俺が主犯であるのであれば、今夜は安心だと判断したらしい。二人は細かい内容について床に広げた村の地図を眺めながら詰め始めている…。
話の途中、突如室内の全員が玄関の方へ振り向いた。引き戸を勢いよく開けた音が響いたからだ。そこへ人が飛び込んできて、血相を変えて体を広間側へ乗り出しながら、大声で話した。
「死体が、もう一つ見つかりました!漁村の岸壁方面です!」
村長は深く眉間へ皺を寄せ、怒りをありありと浮かべる。
「誰じゃ、確認できるか」「男衆にはわからない人相でした。殺され方は麹屋の姉さんと似とります。腹を鋭い刃物で一突き。そのあと何度か傷口を開くように切り裂いてありました。血の固まり方から見て、姉さんよりは後だとと思います。麹屋に殺されたのが分かって人が集まってた辺りのことでしょう」
それを聞いて宿主が言った。「なんだそのよくわからん推測は。殺された時刻を医者でもないのに推定できるのか」
「私らは漁師ですぜ。何匹魚を開いたことがあると思ってます。人間の死体はわかりませんが、血の様子ならわかりやすよ。これは確かだと思いやすぜ」
村長は首肯した。宿主は納得していなさそうだ。
仮に、その死んだ男が麹屋よりずっと後に殺されたというのならば、それは明らかに俺の行為ではない。その時刻、複数の村人と一緒に行動していた。どうして俺に殺せよう。ただ、顔を見たい。確認したいのだ。もし連絡員であるというならば、彼をなぜその時刻に殺した?
ただ、こちらにはそのような発言権はない。俺が消したと思われる可能性もある。疑問は腹の中にしまい込んだ。
村長は、しばらく床板を見つめた後、面を持ち上げた。「この件は、どうも裾川さんがやったとは思えんな。その時は儂らと一緒に居ったしのう。本当に、もしかするとこの村には儂らの知らない何者かが巣食っているのやもしれん。より厳重に『村内の』警戒をする必要がありそうじゃな」
宿主がまだ意見しようとしたが、手の平を向けて制止した。「監視はもちろんする。ただ、想定していた配置を少し変えるだけじゃ」
しばらくたって、村長と宿主は顔を床から顔を上げる。今夜の話はまとまったようだった。最後に、村長はカズヤはどうしたいのかを聞いた。犯行を防ぐ最大戦力の配分方法についてだ。
ここは、強盗がやけになって襲い掛かってきた場合を考えて、避難してきた村民を収容する屋敷の護衛に当たりたい、男衆は老人や家を空けることができない人々の多い、漁村内を中心に巡回すべきだろう、とカズヤは述べた。特に異論はなく、以上で今夜の活動内容は確定した。
俺はこの行動会議では一言も意見を述べなかった。容疑者にはそのような権利はないし、村民でもない自分には案も特になかった。人をできる限り分散させる、それは『被害』を最小限に留められる策であるように見えたからだ。でも、最後に確認したいことがある。
「すみません、宿主さん、よろしいですか」会話に自発的に会話した俺に全員が注目する。
「宿の従業員の方は、本日どちらに?」
宿主は村長の顔を見ると、かぶりを振ったので、「申し訳ないが、それに答える義務はありませんな。まあ料理夫の方は大の男ですので警邏に参加するでしょう。それが何か」と返した。
いえ、宿の窓が割れた件について続報があるのであれば聞きたいなと思いましてと話を濁した。宿主は引き続き、村長、カズヤの人員配置の会議に加わった。
紙に何枚か図を記し、うむと村長が頷く。配置案が仕上がったようだ。後ろからのぞき込む。料理夫は…あった。農場の方らしい。今夜は男連中は二人組で動くことになっている。それでは、と村長と宿主は立ち上がった。俺も指図され立ち上がる。彼らは、重ね重ねカズヤに対し礼を言って、宅を後にした。
戸を開けると、太陽はもう海面から頭の半分しか出していなかった。俺はそのまま村長宅へ移送される。あのような事件を象徴してか、潮風は激しい。一方で、海は沈む太陽に照らされ、きらきらと静かに光を放ちながら凪いだ表情を見せている。ふと浜辺を見ると、小舟が浜辺に横たわっている。今は干潮の時刻のようだ。村長邸前まで連れだって歩いた後、村長は、邸内へいるように、と俺へ言付けた。さらに、ここまで一緒にいた二人の村民の耳元まで近づき、ごそごそと何やら伝えた。離れると、長はそのまま屋敷内へ入らず通りを過ぎていった。
玄関内に入ると若い女中が俺を迎えた。すでに連絡は入っていたようで、邸内の間で待機するよう命じられる。
村長宅は快適であったと言っていい。布団、飯、それと体をふく蒸し手拭いも貸してもらえた。背中を拭こうとする娘へ上着を脱いで背中を見せると、全体が青あざだらけだったため、あっけにとられた表情を見せていた。それでも構わず温い布を当てる。うぅ!
寝間着を置いた後、灯りを消して部屋から出て行く。おいおい、これじゃあ着替えられないぞ。真っ暗な中どうしようというのか。畳間からは出ないでくださいね、と四方のふすまを閉じてから彼女は言い、去りゆく足音を廊下へ響かせた。
一人、部屋内を見渡す。銃はカズヤ宅で取り上げられたが、背嚢は凶器になりうるナイフを取り除いた後こちらへ返された。書類もすでに抜けてしまったため、残っているのは雑貨品だけである。脅威はないという村長の判断からだ。
畳み敷きの室内に腰を下ろす。頭の中のもやが消えない。違和感を、感じる。なんだろう。
村内の巡回するという案?新たな死体?カズヤの魔法?背嚢が盗まれたこと?麹屋の殺人?村の入り口の爺さんが消えたこと?連絡員が居なくなったこと?
彼らは強盗を予防すると言った。人数を効率よく配置し、その上で女子供をカズヤが守れば、被害を最小限に防ぐことはできるだろう。
だが、それは違和感の解決とは結び付かない気がする。なんだ。何が俺の思考の中身を刺激しているんだ。
間抜けをしている間にすべてはもう出来上がってしまったように感じる。だが、座敷上にいる限りは何もできない。俺は畳の上に体を横向きにして倒れこんで、自分の無力を確かめた。全身の痛みは、徐々に増してきている。村長の見立ては間違っていない。彼らが俺に対して無理な拘束をしなくても、このダメージではそもそも何もできはしない。普通であれば、歩くのが限度といったところだと思う。武器もなく体もろくに動かない俺に、事態を打開することができるだろうか。
考えるに、やはり、一刻も早くカズヤと話を付けるということ以上に適切な行動が見当たらない。そして、そのタイミングは、この違和感の終端が見えない以上、現状では早ければ早いほどいい。そして、ここで安穏としている限り、今晩その機会は決して来ないだろう。
この屋敷から脱出できるのかということ、そして、今この村で本当は何が起きているのかということについて、ようやく俺は考え始めていた。