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赤い頬

作者:水沢 莉
 冬の入り口に私は伐られるという。
 うろこ状に点々と広がる雲がどこまでも高い空を泳ぎ、幹を撫でる風から汗の匂いが消えた九月最後の水曜にトキちゃんから教えられた。
 でも本当は、もっとずっと前から知っていた。

 真っ直ぐに降りてくる陽射しが、葉を掻き分けてまで身体を焼きつける。揺らめく空気に目を凝らせば、遠くの山陰ににょっきりと立ちのぼる入道雲。綿菓子のようなそれをぼんやりと眺めていると、蝉時雨の欠片がふいにやってきて枝にとまる。ひとしきり騒がしく鳴いた蝉は急にぴたりと黙り込み、一呼吸おいてから光の中へと帰っていく。
 そんな残された時間を惜しむ慌しい夏の訪問者が一日に十五回を超えるようになった八月に、作業服とスーツ姿の男たちの往来もまた増えていた。

 私の五メートル後ろには三十坪にも満たない小さな農協の建物があった。過去形なのは、去年の今頃に前を走る旧国道を挟んで向かい側の空き地に、新しい農協が建てられたからだ。古いほうは取り壊され、そこだけ少し湿った土と私が立つ草むらは、アスファルトの駐車場になるという。人間の事情など良く分からないが、右側を流れる川に掛かる赤く狭い橋も整備のためとか何とかで、あと二メートルほど広げなくてはならないのだそうだ。

 その為に私は邪魔であり、移動させるべきか切ってしまうか、脂で光る額を突き合わせながら、議論…というよりも口論を交わす男たちの声を後ろ背に聞いたことがある。数日後、再び私の足元に集まった男たちの口から出た言葉は、私を掘り起こし、新しい農協の側へ移すのは困難だという結論だった。

 それは最もな決断だった。こうしてもう八十年以上もこの場所に身を置く私の根は、掘り起こすには深すぎた。その年月と同じくらい深く地中へ根付いてしまった私に掛けられるお金は、小さなこの町には残っていないのだという。
 私だってこんなことになるのを知っていれば、足を伸ばせば伸ばすほどひんやりと気持ちのいい土を求めて根を張ることなどしなかった。しかし私はここに来たその日に思ったのだ、自分は一生この場所に立つことになるのだろうと。  

 当時三十歳かそこらの年齢だった私は、小さな農協が建てられた記念にと、秋の入り口にこの場所に移された。イチョウの木である私は長生きで縁起が良いという理由だった。
 運ばれるトラックを降りると、傍を流れる川には銀色の魚が勢い良く跳ねていた。一時間に一本の割合で電車が走り去っていく線路の下の土手には、赤と紫のグラデーションで覆うコスモスが咲き乱れていて、その隙間に散歩する猫の足が見え隠れしていた。見上げる空には我が物顔でそこに陣取る太陽がいて、日光を遮る高い建物のないこの場所は、足元に寝そべる草たちの青さも際立っていた。

 悪くない、そう思った。知らない土地へ移される不安は、竹ぼうきで落ち葉を掃ったときのように、多少の痕跡を残しつつも拭われたものだった。
 何よりも、空一面が朱色に染まる夕刻が私のお気に入りとなった。
 黄色の葉が自慢の私に西日はよく似合う。夕焼けをバックに同じ色に染まる葉を心持ち外側へ広げてみる。そんな私の姿を満足そうに眺める人間達の顔を見ていると、自分のことが誇らしく感じられた。
 ずっとこの農協と共に過ごすことになると思っていた。しかし小さな建物は先に取り壊され、私だけが記念樹としての立場もなく、ただここにぽつりと取り残された。

 時間は流れる。それは止められるものでは無く、あの小さかったトキちゃんが大人になり、ギンナンを拾うその腰がいつの頃からか伸びないままに定着し、橋の向こうからやってくる顔の皺が、目を細めなくともはっきりと見て取れるようになったこのときまで、時間は正確に過ぎていった。

 農協やトキちゃんに限ったことではない。
 南に架かる橋を渡って二件先の駄菓子屋とその隣の電気店はつぶれ、東へ流れる川の向こうにひっそりと見えていた火葬場の煙突も数年前に無くなった。旧国道を迂回路として使う大型トラックが日中深夜問わず行き来するようになり、北側の坂の上に伸びる線路には、肌色に赤ラインの特急列車が走り去ることも無くなっていた。八十年という時間は、ちっぽけな私の周りの環境を変えるには十分な長さだった。

 春夏秋冬を引き連れてやってくる一年は、代わりに何かを持ち帰っていったのだ。八十個…いや、それ以上の色々なものを。比較的古いものを選んで。
 この場所がアスファルトの駐車場に変わることも、橋を広げなくてはならないことも、誰に止められることではなかったのだ。

 男たちの決断を聞いたときには正直焦った。記念樹である私をどうして切ってしまうのかと。そんなことがあるはずがない。そのうち、ジンさんやサブちゃん、ハルちゃんやマサ子さんが反対運動を起こしてくれるだろうとも思っていた。
 ジンさんらは、私の遊び相手だった。まだ幼い皆が駆け足で集まって来てた頃、私にしがみついては頭のてっぺん辺りまで登ってきたものだ。
 秋になれば、自分の背丈よりも大きい麻袋を抱えながらギンナン採りをしていた友人らは、小さな背中をゴム毬のように丸め、「くせぇくせぇ」などと言いながら無邪気に手を汚していた。影絵のように黒く色を変えた山の陰に真っ赤な太陽が半分沈むまで。
 心配したそれぞれの親たちが迎えにやってくると、熟れた柿の実のように赤く染まった頬を膨らませ、渋々それぞれの家路へと戻っていった。

 そんな昔からの友人が私を救ってくれるのを待っていた。
 しかし男たちの決断が下された次の週に、ジンさんが死んだ。その二週間後には、ジンさんと所帯を持ったハルちゃんもあとを追うようにしてこの世を去った。人間の命は短い。そう思うより仕方の無い二人の死だった。今年の夏は、ジンさんとハルちゃんを選んで帰っていったのだ。

 サブちゃんは足腰がすっかり弱くなり、新しい農協ができたころから姿を見せなくなっていた。一度だけ昔のサブちゃんにそっくりな孫の手を引いて散歩にやってきたことがあるが、川で遊び始めた孫が足を滑らし溺れてしまったことがある。助けようと飛び込んだサブちゃんだったが、足がもつれて流されていく孫には追いつけなかった。五十メートルほど流された孫は、運よく通りかかった若い男に助けられたが、青い顔で孫を引き取りにきた嫁に、サブちゃんは酷く罵られていた。その横顔に浮かんでいた悲しみとも悔しさともとれない表情を私は忘れていない。嫁に手を引かれ帰っていく孫の姿を見送ったあと、長く伸びる影を引きずるように帰っていったサブちゃんの後姿は、それっきり前を向いてやってくることはなかった。

 マサ子さんはデイサービスに通うようになった。時々、目の前の旧国道を走る白い送迎車の中にその顔を見つけることがある。
 踏切で一旦停止した車の中からのぞく肩は細く、バラ色に色づいていたはずの頬の肉は骨格に沿うように内側にへこんで影を落としていた。黒く縁取られた瞳には、数年前までの強気な光は微塵も残されていなかった。前を過ぎるたびに私に両手を合わせ、何やら拝んでさえいる。別人のようになってしまったマサ子さんの細い指と肩を見送るのは、私には辛かった。

 あの頃とは訳が違うのだ。目に映らない物も確実に変わっていく。
 朝日夕日と呼び分けられる太陽はまるで変わっていないのに、酷くゆっくりと過ぎていく一日もただ二十四時間の時を刻んでいるだけなのに、振り返ってみれば何もかもが過去として後ろへ追いやられていたのだ。 
 無事に生き延びようとしている自分が馬鹿馬鹿しく感じられた私は、己の身を案じるのをやめることにした。蛙の声に代わり、鈴虫のか細い声が田んぼから流れ始めた九月中旬のことだった。

 トキちゃんだけは必ず週二回、私のところへやってくる。橋の向こうからゆっくりと。
 いつでも数台の車を引き連れている彼女は、さながら親ガモの風情だ。車がすれ違えるぎりぎりの幅の狭い橋には歩道がなく、車はとろとろとその後に続くしかない。トキちゃんが橋を渡りきると、車は堰を切ったように加速し、踏切の一旦停止ももどかしそうに下り坂を滑って消えていく。
 トキちゃんは私にたどり着くと、年季の入ったシルバーカーに「よっこらしょ」と億劫そうに腰を下ろし、膝を摩りながら「はあ」と一つ、顔の皺のように深い息を吐くのだった。

 私とトキちゃんが出会ったのは、ジンさんたちよりも少しだけ前のことだ。
 農協が建てられた当時、この町は農家の割合が半数以上を占めていた。半ば集会所の役割を果たしていたこの場所には、今よりもずっと一日に訪れる人の数が多かった。
 眉の上できちんと揃えられた前髪に、耳たぶの下でぱつりと切られたおかっぱ頭だったトキちゃんは、母親に手を引かれて散歩に来ていた。おしゃべりに精を出す母親らの輪を抜け出しては私の足元にちょこんとしゃがみ込み、落ち葉を集めて器用に人形作りをして遊んでいた。

 初めてトキちゃんにギンナンを拾わせてやったのも調度その頃のことだ。人形作りをしていたトキちゃんが偶然に見つけた代物だった。「炒って食うと美味いんだ」と母親に教えられると、半信半疑な顔をして、指に付いた匂いを嗅いではこじんまりとした鼻の頭に皺を寄せていた。次の年からトキちゃんはジンさんらを引き連れて私に会いに来てくれた。

 時が流れ、自分の家庭を持った友人たちは、かつての自分達のようにはしゃぐ子供らを愛おしそうに眺め、すっかり大人になった横顔を西日に赤く染めていた。
 季節が巡るたびに増えていく白髪と顔の皺、次第に緩慢となっていくひとつひとつの動作。友人たちに積み重なっていく年齢と老い。そのなかでギンナン採りに費やされるひとときの間は、私にとってはかけがえのない時間でもあった。

 しかし友人たちの変化は、私に流れる時間にも等しかった。私が成す実の数も次第に減っていったのだ。去年の秋などは情けないもので、私は一粒の実をつけることも出来なかった。自分の時間も同じように積み重なっていたのだと改めて感じた瞬間だった。
 トキちゃんは年々減っていく実を拾いながら「来年は頑張れよ」と語りかけてくれていた。その度に、来年こそはと気持ちを奮い立たせてみるのだが、足元の草が枯れ、空が灰色に淀み、静かに降りてくる白い粒が辺りをぼんやりと覆い始める頃になると、私の決意など木枯らしにのってどこかへ吹き飛ばされてしまっていた。
 トキちゃんの落胆は大きかった。深い皺の刻まれた顔は僅かに笑顔だったが、拭いきれない哀しみがしっかりと張り付いていた。その秋、「来年は」と口を開いたトキちゃんが、後の台詞を続けることはなかった。

 九月最後の水曜、トキちゃんは窪んだ目を更に奥にへこませて無言で私を撫でていた。南からやってくる緩い風が、私とトキちゃんの間を遠慮がちに通り抜けていく。
 私はトキちゃんに撫でられるのが好きだった。華奢な腕に似合わないぽってりと厚い手のひらを私の脇腹に当て、しっとりと丁寧に――幼子の髪をすくように慎重に、しかし私の存在を確かめるように時折ぐっと力を込める。手を離す瞬間は決まって私を見上げ、目尻を下げて、ぽんぽんと二回叩くのだ。
 その手の感触だけは昔も今も変わっていないから不思議だ。幼く、つるつるとした小さな手ではなく、恋人を連れてきたときの柔肌でもなかったが、皺くちゃになっても尚、その手の温もりは今日の今まで同じように残っている。

 しかしその日は何かが違っていた。トキちゃんの血管というか、毛穴というか、どこからかはっきりと切ない気のようなものが私の中に流れ込んできた。
 トキちゃんの手のひらから漏れる憐憫は、幹を滑り落ち、根から再び吸い上げられ、私の愁傷を含んで何倍もの大きさになって彼女に推し戻されてしまうような気がした。
 「助けてやれなくてごめんな」と弱々しく呟くトキちゃんに、「もう諦めたから」と言ってやりたかった。しかし言葉の発せない私にはどうすることもできない。代わりにトキちゃんの大好きなギンナンを、最後にもう一度拾わせてやりたいと思った。
 だが、十月半ばを過ぎてもまだ私の身体に実の成る気配は無い。
 ふと去年の秋が頭を過ぎった。
 また哀しいトキちゃんの顔を見ることになるのか。これで最後だというのに。
 せめてギンナンの採れるいい木だったと彼女の記憶に残しておいて欲しいのに。
 いや、ただ単に私がそれを見たいだけなのかもしれなかった。トキちゃんが嬉しそうに、楽しそうに、身体をゴム毬のように丸めてギンナンを拾ういつかのその姿を。喜んでくれるその赤い頬を。そう、私が見たいのだ。自分が存在していたその証として。
 「老いぼれた木が切られた。とうとう実をつけることもせずに」そんな終わり方をしたくないだけなのかもしれない。もしかしたら伐られることに対しても諦めきれていないのかもしれない。
 とにかく私は、私の実を拾って欲しかった。
 それも、昔の私を知るトキちゃんに、最後に、最後の実を。

 身体から剥がれ落ちる葉が秋の終わりを告げていた。毎日毎日、私は西日を浴びながら気持ちを奮い立たせた。
 力を込めれば付けられるという実ではない。そんなことは重々承知だった。それでも、根から頭の先までの全身に祈りのような念を込めて、やがてやってくる朝を待った。だが、目が覚めて足元を見ると、抜け落ちた葉だけがうず高く黄色に積み重なっているだけだった。悔しさの後に、情けなさを味わう朝が続いた。
 それでも祈った。西日を浴びてひたすらに。あの頃の友人らのように赤く染まりながら。

 トラックが立てる轟音と地面の軋みではなく、珍しくスズメの声で目覚めた朝だった。
 冷気に首をすくめながらちゅんちゅんと繰り返すスズメの足元にそれはあった。
 たった一房、たった六粒の実。とうとう私は実をつけたのだ。興奮と寒さに軽く震えると、スズメは枝を蹴飛ばし、朝もやの中に消えていった。初霜の降りた朝だった。
 実はそれから二日経ってようやく枝を離れた。ともすると葉の色と同化してしまいそうなたった六粒の実は、変色した枯葉の上に心細くぱさりと落ちた。
 それをみつけたときのトキちゃんの顔は、これまでで最高のものだったように思う。夕日に染まる赤い頬は、幼い頃のそれのように見えた。深い皺に入り込んだ赤はより一層赤く、私の胸にも同じくらい深く染み込んだ。ただ一つ違っていたのは、トキちゃんが俯くと同時に、その皺を伝って光るものが見えたことだ。
 「よく頑張ったな」
 僅かばかりの実を拾いながら、消え入りそうな声で「ありがとう、ありがとう」と繰り返すトキちゃんの丸い背中に私の影が小刻みに揺れている。
 泣かせるために実をつけたのではなかった。ただギンナンを拾うトキちゃんの姿を見たかった。それだけなのだ。それだけなのに。

 居なくなったジンさんとハルちゃんの顔が過ぎった。サブちゃんの黒い影と、マサ子さんの細い肩を思い出した。ゴム毬のようだったトキちゃんの背中が、萎みゆく風船に似ていることに気づいた。 
 切ない感情などもう沢山だと思った。哀しまれるのは嫌だった。同情されるのはもっと嫌だった。だけど。
 ただの木である私に対して涙を流せる人がいる。居なくなることを惜しんでくれる人がいる。トキちゃんの気持ちはただ純粋に嬉しかった。
 空に雲が泳ぐように、植物が水を欲しがるように、私が伐られることも自然の成り行きだと思いながら逝きたいと思っていた。今年の秋は私を連れて帰るのだと。
 涙は見なかったことにした。
 その気持ちが通じたのかどうかは分からない。トキちゃんは俯いた顔を私に向けてあげることはしなかった。六粒の実など簡単に拾えただろう。赤く染まった身体は、しばらくの間私の足元で丸いままだった。
 やがてトキちゃんは、赤い頬を軽く拭ってから私を見上げ、赤い目を細めて照れくさそうに笑った。

 それからもトキちゃんは、私が伐られる前日まで、同じように週二回、私のもとへやってきた。相変わらず車を引き連れながらゆっくりと。
 何をするわけでもない。ただ私の傍にシルバーカーを寄せて、かつて火葬場の煙突のあった東の空をぼんやりと見つめていた。私は時折風に身体を揺らし、小さな肩に最後の葉を降り注いだ。

 ある日ぽつりと呟いたトキちゃんの話によると、橋を広げるのは歩道をつけるためだという。それを聞いて安心した。もうトキちゃんが車たちの親ガモになることはないのだ。はねられてしまうのではないかと心配する必要もない。最も、その不安が拭えるようになったころに、私はこの場所にはいないのだけれど。

「今年の冬はうんと冷えそうだな」
 シルバーカーに腰を下ろしたトキちゃんは、川面に反射する光に目を細めたり、前を過ぎる車を目で追ったり、時折左手で右肩をぎゅっと揉んだりしながら、小さな独り言を澄んだ空気中に投げかけていた。
 すっかり冷たくなった北からやってくる風は、トキちゃんの白い髪を掠り、橋を渡っては南へ消えていくことを繰り返していた。からからと旧国道に音を立てる落ち葉が同じように橋を渡り、秋と共に過ぎ去っていく。幾枚かの集団は、舞い上がると同時に川へと飛び込み、白い流れに身を任せて東へと流れていく。やがてどこかの地へたどり着くその葉は、次の命のために土へと帰るのだろう。私は風に飛ばされていくトキちゃんの一言一言を、聞き逃さないように拾い集めた。

 傾いた太陽が、橙に大きくなっていた。トキちゃんと私の黒い影が旧国道に長く伸びている。
 両の手のひらを擦り合わせ、ふうと息を吹きかけたトキちゃんの影が横を向き、私を見上げて呟いた。
「明日は来ないからな」
 それが私に向けられた最後の言葉だった。
 トキちゃんがゆっくりと私を撫でる。幼子の髪をすくように丁寧に慎重に、時折ぐっと力を込めて確かめるように。
 最後に二回、ぽんぽんと私を叩いたトキちゃんは、夕日に染まった赤い頬で私を見上げ、穏やかに微笑んだ。

 冬の入り口に私は伐られた。
 身体に触れる刃物のひんやりとした感触。
 作業服の男の持つチェーンソーは、激しすぎる音と回転とは裏腹に、ゆっくりと私の身体に食い込んできた。
 痛みなどないと思っていた。しかし全身を駆け巡る振動と、髄に近づくほどはっきりと熱を帯びてくる金属の鋭さに、私の意識も朦朧となっていた。
 数人の人間が遠巻きに私を見守っていた。見守っているというよりは見物しているといったほうがしっくりとくる瞳だった。
 その中にトキちゃんの顔はなかった。死んでしまったジンさんやハルちゃんの顔は勿論、サブちゃんの顔もマサ子さんの顔もなかった。
 それで良かった。ここで友人らの顔を見たら、私は折れてしまう身体のように記念樹としての誇りまでも折れてしまっただろう。幼い頃の皆の顔、共に過ごしたあの頃の秋を振り返ることで、身体に走る痛みも次第に遠のいていった。

 身体が傾いてくると空の夕焼けだけが視界に大きく広がった。
 全てが穏やかだった。
 静寂に吸い込まれていく時の中、私の意識もその流れにゆっくりと飲み込まれていった。
 ただ夕焼けだけが広がる空に最後に見たものは、幼い頃の友人らの、ギンナンを集める頬に似た真っ赤な雲だった。



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