最終話 赤い血
少女が優しく私の頬を撫でる。
私は、金縛り状態になり、何もする事が出来なかった。
この状況で何故か彼女のぬくもりを感じてさえいた。
「私、寂シカッタ…オ見舞イニ誰モ来ナイカラ…デモヤット来テクレタンダネ…」
少女は私を見つめて涙を流した。
多分、私を自分の思い人と勘違いしているのだろう。
涙は私のせいで流しているわけではないのに、泣いている彼女が愛しく感じられた。
人の涙を見るのは何十年ぶりだろうか?
人の感情に接するのは何時以来だろうか?
私の両親が他界してからというもの、私は人と深く付き合ったことが無かった。
もちろん独身だし、会社でも「窓際族」と呼ばれる存在である。
自分勝手な上司に、我儘な部下。人という生き物は何度も私を苛立たせた。
だから私は、人との付き合いを自ら避けて生きてきたのだ。
それなのに…こんな世の中に純粋な涙が残っていようとは、正直驚いた。
それが例え死人の涙であろうと美しいと感じずにはいられなかった。
「君は――」
私はやっとの思いで言葉を口にした。
「君はずっと寂しかったんだね?大切な人に裏切られて、今までずっと――」
私は状態を起こし、彼女を抱きしめた。
彼女の思い人は自分ではない。しかし、こうすることで少しでも彼女を慰めてあげられるのなら、少しの間でも彼女の思い人の代わりになってあげようと思った。
彼女の細い腕が私の体にまわされる。
と、その時―――
「…嘘ダ」
少女が私の耳元でポツリと呟いた。
「嘘ダ!!」
二度目のその声は大きくなり、彼女が私の首を絞め始めた。
「先生ハ私ヲ裏切ッタ!コンナニ優シイハズガナイ!!」
「くっ…はぁっ…」
息が出来ない。
彼女の力はどんどん強くなってゆく。
「オ前ガ先生ノハズガナイ!何故コノ病室ニ入ッテキタ!!此処ハ私ト先生ダケノ場所ダ!ナノニ断リモナク…ドウシテ邪魔ヲスル!?消エロ!!」
意識が遠のいてゆく。
少女の顔が歪み、私の瞼もゆっくりと落ちていく。
「私ハ先生以外ハイラナイノニ…ドウシテ来テクレナイノ…」
彼女の寂しそうな声を聞いて、私の意識は途絶えた。
「先生、203号室の稲見さんが倒れました。」
落ち着いた声で看護婦の渡辺は稲見の主治医にそう告げた。
それを聞いた医者は口元を歪めニヤリと笑った。
「そろそろだと思っていたよ。薫、いつもどおりの状態だね?」
「ええ、脳死だと思いますよ。いつもどおり意識は回復しないでしょうね。」
二人は顔を見合わせてほくそ笑んだ。
そう、これはいつもどおりのこと。203号室に入院した患者は誰でも脳死状態になる。
そして、この病院からは生きては出られない。
「薫、カルテと調査書を。」
「はい、先生。」
ワザとらしく「先生」と呼び、渡辺は言われたものを渡した。
「うん、稲見惣一は確かに独身で天涯孤独なんだね。計画通りだ。それと――」
医者は一呼吸置き、彼女の耳元で囁いた。
「今は誰も居ない。別に‘先生’と呼ばなくてもいいんだぞ?」
その言葉を聞き、渡辺は微笑した。
「悪い人ね。孤立無縁の患者を昔の恋人を使って脳死にした挙句、臓器で一儲けするなんて。」
「人聞きの悪い事を言うなよ。一人の臓器で何人の人が助かると思ってるんだい?」
「あら?それは恰好の言い訳ね。」
「協力している君の立場はどうなんだい?」
「もう、意地悪ね。嫌な質問して。」
「悪い、悪い。金が入ったら何か買ってやるから許してくれよ。」
渡辺が出て行った後、院長室に一人残された稲見の主治医…杉村は、花瓶の花をじっと見詰めていた。
甘い香りのする赤い花。
203号室の少女が大好きだった赤い花。
「水沢正美…君には感謝しているよ。」
そう言いながら窓の外に視線を移す。
「君のおかげで、たくさんの臓器が手に入るのだから。」
彼の裏切りは、まだ続いていた……。
END
この物語はこれで終わりではありません。これではあまりに不親切すぎます。
この物語はあくまで稲見から見た物語。
それぞれの色を明らかにしない限り、この物語は終わらないのです。
ということで、続編を予定しています。
次の作品も宜しくお願いします。