セディーとニクス2
「ねえ、ニクスゥ。ぬけがらちょうだい?」
お気に入りの酒樽の上、少し低い位置にあるお天道様からの今日の名残り陽を浴びていると、ぽてぽてとやって来たセディーが唐突に妾に乞う。
「突然何事じゃ。夏には少々早い。セミの抜け殻なぞ、妾は持ち合わせておらぬぞ。」
そう言えば去年の夏は昆虫採集に夢中になったこの子に、採ってきた虫を食わされそうになったのだったな。
本人は餌をくれてやる優しい心持ちなだけであったようだが、妾は斯様なものは食さぬ。嫌なことを思い出してしもうたわ。
「セミじゃないの。へびのぬけがら。」
蛇の脱皮したやつか。
「そのような物、どうるすのじゃ。」
「もってると、とぉってもいいことあるんだって。」
とぉっても、か。今の幼子にとって最上級の言い回しじゃな。
「良いこととは何ぞ。」
「えっとー、お金がたまるとか、あくりょーたいさん?とかだって。」
蛇の抜け殻は、この辺りでは金運向上がご利益であったか。しかし悪霊退散は初めて聞いたが。
近頃この幼子は新しいことを知るのが楽しいらしく、いろいろと大人の会話を耳にしては、妾に問うてくる。
「セディーは、金持ちになりたいのか?」
この酒蔵は、なかなか良い酒を造る。妾も満足じゃ。この蔵の跡取り息子なら金に困ることはあるまいに。
「ぼくじゃないの。アランにーちゃが『ニクスさまのぬけがらがあったらなぁ』って。『さいきょーだぞ』っていったの。」
”最強”は”とぉっても”と同じくらい凄いのだとセディーの解説は続いているが…アラン?
ああ、今年入った新入りか。まだまだ少年の域を出ておらず、今は皆の雑用をしながら仕事の流れを覚えているところであったはず。
妾が最強なのは間違いないが、本質を間違うておるな。
「セディーよ。妾は蛇の形をとっておるが、精霊じゃ。」
「うん。はつゆきから生まれたんだよね。白くてきれいねー。」
そうじゃ、セディーの香に惹かれて初雪より現身になりしは、この子の生まれた年のある晴れた寒い朝。
もう四年になろうか。
「だからな、そこらの蛇どものように脱皮なぞせぬゆえ、抜け殻もない。毎年、初雪の度に生まれ変わっておるからの。必要ないのじゃ。」
「そうなの?」
可愛らしく小首を傾げられても、無いものは無い。
セディーの為なら鱗を剥がしても惜しくはないが、アランにくれてやるのは説教の方がよさそうじゃ。
「アランが蛇の抜け殻が入用と申したのか。」
「んーとね、ちがうの。ぼくが言ったの。ニクスのぬけがらあるとおもったから、もらってきてあげるねって言っちゃった。」
よく分からぬな。幼子は話があちこち飛ぶゆえ、理解し難いことも多い。
気長に聞き取りすれば何ということもない。
昼餉の雑談で、この蔵にいる青獣であるシルウァと妾の話になった折、蔵人たちが新入りのアランにどちらが好きかと話を振ると、断然妾が良いと熱く語ったという。
なかなか見どころがある少年ではないか。
アランの出身地は、白蛇に対する信仰が厚いと見える。少年の実家でも蛇の抜け殻を大事にしているらしい。
セディーは仲良しの妾がほめられたのが嬉しくて、昼寝の後、アランに抜け殻をプレゼントしようと妾の下へ参じたということであった。
そう言うことなら、力を貸さないこともない。
この辺りにおる蛇どもの中から、脱皮の近いものを呼び出せば済む話じゃ。
「普通の蛇の抜け殻なら用意できるぞ。」
そう伝えてやれば、全身でしょんぼりしていたのが嘘のように『にーちゃにいってくる』と元気に駈け出していく後姿に、転ばぬようになと心内で声をかけつつ見送る。
今セディーが仕事の邪魔をしに行って、不憫にも叱られるのはアランの方であろうから、詫びの代わりに立派な奴を用意してやるとしよう。
どのくらい立派な抜け殻が用意されたのかは、ご想像にお任せします。