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兄の話  作者: なみあと
Ⅱ 見えるものの話
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二 見えるものの話




 兄は顔がいい。スタイルもいい。服のセンスも良ければ、立ち居振る舞いも整っていて、世の女性に好かれる要素を多く持ち合わせている。私ですら初対面のときは、どこの俳優かモデルかと思ったものだ。

 ――ところで今ここは、午後三時のスイーツ店。

「ときにお兄さん」

「ん?」

「『針の(むしろ)』って言葉、ご存知ですか」

「知ってはいるが縁はねェ」

 デスヨネー。

 私はこっそりため息をついた。

 午後三時。ちょうど暇を持て余した女性方が友人とかしましくお茶をする時間帯。そんな折のスイーツショップに外見だけは完璧な兄という人を放り込むのだから、反応は知れたものだ。出来過ぎた漫画のように、総員振り返ったり黄色い悲鳴が上がったりという騒ぎはさすがにないが、それでも、兄に明らかな好奇の視線が向くのはわかる。

 ただ、それはいい。兄にどんな興味を持とうが好意を抱こうが、好きにしろと思う。

 問題は、この人に連れがいるという点である。――私という。

 兄に視線が向くのだから、自然とその連れの私も目に入る。そして私が兄の外見に釣り合うような美女もしくは美少女であるならばまだ許されたかも知れないが――まあ、その、自分で言うのも虚しいが、顔も身なりもそこらによくいる程度のお子様であるわけで、その嫉妬と好奇の入り混じった目といったら、

「針の筵」

「周りの目なんか気にするな。お前はお前らしくしているのが一番可愛いよ」

 と、思ってもいないことをわざわざ大きめの声で言うのだから、この人は私をストレスで殺そうとしているとしか思えない。

 自分に向けられる視線などいっさい気づいていないかのような涼しい表情で、兄は銀のフォークを握った。

「お前は周りの目を気にしすぎなんだよ」

「気になります」

 兄が無頓着すぎるのだ。

 この人はもう少し他人のことを気にして生きても罰が当たらないと思う。そういう感覚を養える環境を作ればいいのに。根っからの性悪気質だ、完璧には直らないとしても環境次第で矯正される……かどうかはわからないが、少なくともその可能性はあるはずだ。

 性格矯正のための環境構築。例えば、

「彼女、つくればいいのに」

「生きてる人間には興味がない」

 しかし兄は自分の欠点克服など心からどうでもいいようで、手元のケーキを、食べるわけでもなくざくざくと突き崩しながらそう答えた。「自己犠牲の上他人のご機嫌取りながら何をどうこうなんてのは、心から無益だと思うね」

「それはお兄さんが恋愛を知らないからですよ。意外とお兄さんだって、本当に心から好きな人ができたら尽くしちゃうのかも」

 と言いながら、家庭に収まる兄を想像してみる。優しい奥さんと一男一女の子をもうけ、よき夫よき父として――

「下らねェ」

 どうやってもこの人に似合うビジョンが浮かばず四苦八苦していると、兄が言った。「他人を慮って自分の時間と心と金を犠牲にしろと?」と、なんともこの人らしいお言葉。

「女なんか要らねェ。余計な人付き合いもな。そんなモンにかける無駄な費用もまた然り、だ。

 社会人はただでさえ仕事で疲れてんだ、つまんねェこと考えさせんな」

 その一言で仕事のことを思い出してしまったらしく、ああ上司早く死なねェかななどとぼやき始める。

 しかし兄はよく働く。仕事のことを聞けば出てくるのは文句だけだが、社会人らしくというか、日々きちんと職場で職務を熟している。無断欠勤を繰り返しているという話も聞かない。しかし当人の言うことからはそれほど仕事が好きというわけではなさそうだし、おそらくは別の理由があるのだろう。金が必要だとか、そういった何かが。

 しかしこうも文句をつきながら、仕事を続ける理由とは。家族構成をきちんと聞いたことがあるわけではないが、妻子ないし家庭を持っていないことは知っている。ギャンブルで借金をというタイプにも見えないし――となるとやはり、

「慰謝料と養育費なんか払ってねェぞ」

 なんと。

「心を読まれた」

「お前は考えがすぐ顔に出すぎなんだよってか読心云々より先に俺に言うべき言葉がありますよね?」

「私の考えが浅はかでしたすみませんものすごく痛いです」

 固い拳を脳天に捩じ込まれる。謝ると、最後のひと捩りを残してから手を退けた。若気の至り節は、結構いい線を行っているように思ったのだが、どうやら違うらしい。となると?

 頭を押さえつつ首を傾げる私に兄は「お前は俺をなんだと思っているんだ」と、呆れたようにため息をついた。

「何をするにも金は要るだろう。家、クルマ、食事、携帯、お前の餌」

「餌」

「医療費、税金、その他諸々。――この世は金で回ってる」

 聞き留めた言葉を思わず復唱するが、構わず言葉を続ける。

「金がなけりゃ何も出来ん。だから必死に金を稼ぐわけだ。……まぁ、金より大事なものってのがあることを忘れたらまずいけどな」

「大事なもの。なんですか?」

「健康、家庭、余暇、趣味、心の余裕――言い換えれば『金を払ってでも欲しいと思うもの』だ。月並みな論理だけどな」

 成る程。

 頷いて、手元のタルトを一欠け口に運ぶ。イチジクとカスタードクリームの甘さに香ばしいタルト生地、そしてその間に敷かれたほろ苦いチョコレートが丁度いい具合に混じり合って、

「……、ねェ」

 そのとき兄が、ぽつりと言った。

 テーブルに肘をつき、顎を支えて虚空を見ながら吐かれたそれは、私への呼びかけではない。「ねェ」の前には何か言葉がついていたが、タルトに気を取られていて聞き逃したのだ。ニシだかイシだか、そんな感じの言葉だった。もとより兄のそれは独り言のようであったが。

 けれど一応、訊いてみる。

「何か言いました?」

「いや……」

 顎に手を当てて、俯いた。そしてぼそりと、

「今日は確か、七だった」

 と、言う。

 日付の話だろうか。

「いえ、今日は十六日ですよ」

 しかしそれはカレンダーのことではなかったらしい。私の言葉には答えず、何かを考える姿勢のままでいる。

 しばらく黙考が続き、私が「そのケーキ食べないなら私にくれないかな」などと考えはじめたとき、ようやく兄が顔を上げた。

「そうだな。丁度いい。教えてやろう」

 全部の答えだ。そう言って、兄はフン、と鼻を鳴らした。

 私は首を傾げた。いったい何の教鞭を取る気であり、また、何に対する答えを出そうというのだろう。しかしそれを尋ねても、兄は答えてくれなかった。

 代わりにブラックコーヒーを一口啜ると視線を落とし、

「あとお前は、一つ勘違いをしている」

 兄のタルトを飾っていた大きな板チョコを皿に下ろすと、直角にフォークを落とした。黒いビターチョコレートが真ん中から二つに割れる。その片方を指で摘んで口に入れると、兄は私に、笑ってみせた。しかしそれは非常に作り物めいていて、とても嫌味なものだ。恐らくその誤解とは、兄にとって喜ばしいことではないのだろう。

 そして続いた言葉は予想した通り、この人のどうしようもない日常だった。

「俺が有休も使わず日々働くのは、仕事に固執してるわけじゃない。……休暇届を握り潰されているだけだ」

 そんな仕事、やめればいいのに。




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