四 遊園地の話
こうして私の幼少時の思い出は兄の手によって心霊話となりました、めでたしめでたし。
「なんだ、不細工な顔して」
黙り込み、心の中でそうナレーションを入れてなんとか落ち着こうとしている私に、兄が要らない横槍を入れてきた。
「どうせ私は可愛くないですよ」
「そうじゃねェよ。何をしおれた猫みたいな顔してるんだって訊いてるんだ」
「しおれた猫、ってどんなのですか」
「今のお前みたいな顔だよ」
はたして私は今、兄の目にどう映っているのだろう。
そんなアスキーアートあったな、と呟くが、アスキーアートとはなんだろう。しかし考えたところで答えは出そうにないので、今は保留。代わりに唇を尖らせて、兄に恨み言を吐く。
「お兄さんなんて嫌いです」
「好かれようって努力はしてないからな」
「少しは年下をかわいがろうって気はないんですか」
「かわいがってるじゃないか。こんなに」
どこが。
つくづく思うのだが、兄は年下への愛情とかそういうものが欠如している。兄と親しくなりたいと思ったことはないが、たまには私にも、たとえば……そう。たとえば兄がよく連れている女の人にするみたいに、優しい笑顔を向けたりとか、優しい言葉をかけたりとか、気分が悪そうにしていたら心配するとか――しかしそれもそれで嫌だなと思い直す。そんなこの人など、どう考えても気持ち悪いだけだ。結局、私にとっての兄とは、これ以上もこれ以下もないということである。……けれどもそれを認めるのもまた癪で。
答える言葉を持たない私は、小さくかぶりを振ることでその話を打ち切った。
「……でも」
「うん?」
私の逆説を聞きとめて、兄は傾けていたコーヒーカップを更に戻した。
「どうした」
「いえ、大したことじゃないんですけど……今のお話、なんというか、お兄さんのお話にしては、確実性に乏しい気がします」
いつもなら否定の隙もない推理を展開するというのに、今日のそれは、私ですら若干訝しいと思えるような点が多い。この人の話にしては、なかなか珍しいことである。
さて私の指摘に、兄は不愉快そうにするだろうか、怒るだろうか。いずれにせよ何らかの負の感情は見せてくるだろう――と予測していたが、しかし意外にも兄は「そりゃあ、そうだろうな」と涼しい顔で肩を竦めた。
「所詮お前の思い出話から矛盾点を吸い上げて構築しただけの推論だ、証拠がない。子どもの記憶違いだと言われてしまえばそれまでだし、切腹キャストは、雰囲気を出すための統一感からの逸脱もしくはアトラクションの設定ミスだと言われてしまえば左様ですかとしか答えられない」
と、持論の穴をあっさりと認めた。
……しかしそれでも、なぜだろう。
「だけどお兄さん、ちょっと嬉しそうです」
煙を吐くその表情には、隠し切れない翹望がうっすらと滲んでいる。
「まァな。それでもそいつが本物であった可能性は確かにある」そう言って、白い封筒を二、三度振って見せた。「検証する楽しみも出来たしな」
そして。
兄はまた何度か券の裏表を観察してから封筒へ戻すと、大事そうにそれを財布へ仕舞い、それから真っ直ぐに、私を見た。
「約束通り、礼をしないとな。何が欲しい。言ってみろ」
「え、別に……そんな、特には」
「遠慮するな、何でもやるぞ。お前が欲しがりそうなものはなんだろうな」
大学生の欲しがりそうなものって言ったらアクセサリーか何かかな。と、顎に手を触れ考える兄は、よほど先の話を気に入ってくれたようだった。……しかし。
私は思わず眉根を寄せた。それは決して、遠慮をしているわけではないのである。
最も欲しいものは単位だが、そんなものさすがの兄でもくれようはずがなかろう。万が一貰えたとしても、その方法が問題だ――良くても試験前のスパルタ教育が待っているだろうし、悪ければ教授を脅迫でもし兼ねない。
かといって兄に貰う女性用アクセサリーなど、兄のパトロン紛いから貰うとかそういったドロドロした何かが絡んでいそうで、恐ろしいだけだ。
他には、一度兄を土下座させてみたい、とか、一日私に最敬語で話せ、とか、そういう『お願い』をして普段の抑圧を晴らしたい欲求はあるが、そんなことをさせたらその後の処遇が恐ろしい。
だから。
「じゃあ……」
人さし指と中指、薬指を立てて、おずおずと言ってみる。
「……ハッピーターン三袋くらいで」
「お前は俺をなんだと思ってる」
俺はそんな甲斐性なしに見えるか。と冷ややかな半眼を向ける兄に、慌てて頭を振った。
「け、謙虚なんです。別にお兄さんに何か貰っちゃって後々変な借りみたいな扱いにさせられたら嫌だなんて思ってません。あとハッピーターンおいしいです」
「フン」
必死の弁解が届いたのかどうかは定かではないが、いずれにせよ兄は腕を組むと息を吐いた。そしてこんな提案をする。
「まァいい。じゃあ今度、近いうちにデートでもしてやろう。きちんとエスコートもしてやる。それでいいか」
「えっ」
思わず眉が寄った。が向こうとしてはその反応は不満だったらしく、兄も同じように顔をしかめる。
「なんだその、嫌そうな表情は」
「ええまぁ、思うところはいろいろあるんですけど。そもそもお兄さんと出掛けることが『ご褒美』っていうのが解せないっていうのと自分とのデートが報酬になるって考えてるってどんだけ自意識過剰なのこの人っていうのと正直お兄さんとデートなんかするくらいならハッピーターン三袋の方がよっぽど得になるっていうのとあとそれから痛い痛い痛いごめんなさいごめんなさい嬉しいです嬉しいです本当まじで心から嬉しいですデート楽しみにしてますすみませんごめんなさい」
「最初からそう言ってればいいんだよ」
謝罪すると満足そうに答え、頭を掴んでいた手を離した。ひどい握力で掴まれていた頭から、痛みの余韻はなかなか消えず、涙目で頭を抱える。
兄はひとつ頷くと、携帯電話を弄って予定を調べ始めた。再来週の水曜かな、との呟きに、水曜の授業のことを思い浮かべる。あとで友人に、代返とノートのコピーを頼まなければ。土産のひとつも買うと約束すれば、快く頼まれてくれるだろう……
そんなことを考えていると、不意に兄が、携帯電話から顔を上げた。
「そうだ、俺がエスコートするんだから、行き先は俺に決めさせろよ」
「あ、はい、わかりまし……」
別にこちらに希望はないし、と了承しかけて――ふと。
嫌な予感がした。
……もしや。
「待ってくださいお兄さん、もしかしてその、『行き先』って」
「ところで王道のデートスポットって言ったら遊園地だよなァ」
私の言葉など聴かず、兄は財布から白い封筒の端をちらりと見せた。
「おや、こんなところに遊園地の招待券が丁度二枚」
「白々しい!」
いやァ楽しみだなあと棒読みで言う兄は絶対に、私の気持ちなど手に取るようにわかっている。
「あ、あのですねお兄さん、私そのう、そのお化け屋敷本当に」
「お前さァ」
私の言葉を遮ると、兄はテーブルに肘を置き微笑んだ。……しかしその目はかけらも笑っていない。
そして、いつも通りの傲岸不遜かつ居丈高な口調で、兄が私に言うことは。
「お前に拒否権なんてあると思ってるの?」
「……。いえ……」
諦めて答えながら、しみじみ思う。
――幽霊よりも何よりも、今はこの人が一番怖い。
おしまい。
お粗末様でした。