三(二)遊園地の話
「仕方ないな」
私に答えは出せないと踏んだか、兄は何本目かの煙草を取り出しながら口を開いた。その仕草には、思考をまとめたいとかいうよりは、単に口寂しくなったからというような印象を受けた。
「じゃあ、答えを言うか」
「お願いします」
正直なところお願いしたくもなかったが、答えを聞かねば話は終わらない。話を聴かずに終わる選択肢はないのだろうし、あったとしてそれはそれで、なんとも……癪な話だが、すっきりしない。
きっと私のそんな性格も看過していて、だからこそ兄は小さく笑った。
「答えに入る前に、少し、現代に生きる人間の話をしよう」
唇に咥えた煙草の先が、やや明るく光る。それから一拍置いて、また白い息を深くゆっくりと吐いた。
「今の日本国が抱える社会問題は数多く、そのうちのひとつとして『自殺問題』が挙げられるが、これはまったくもって嘆かわしい事態となっている」
兄の語りを聞きながら、シュニッテンを更に一口……とフォークに手を伸ばしかけて、気づく。皿はもう、とっくに綺麗になっていた。手持ち無沙汰になって、結局、水の入ったグラスを握る。
「内閣府がときどきキャンペーンやってますよね。あと、鉄道会社が自殺防止のためにいろいろ取り組んでたりとか、そういう情報が駅の電光掲示板で流れてるの見たことあります」
「自殺の方法としてグモを選ぶ奴は少なくないからな。鉄道会社も災難だ」
「ぐも?」
「鉄道人身障害事故の俗称」
いい響きではないな、と思いながら繰り返した言葉の意味は、やはりいい意味の言葉ではなかった。湧いて来た嫌悪感を腹の底に戻したくて、水を一気に飲み干す。
私のグラスが空になったのを目ざとく見つけた店員が、静かにやってきた。「失礼します」と声をかけて私のそれを持ち上げると、青い瓶から水を注ぐ。グラスを返し、今度は兄の方へ手を差し出すが、兄は面倒くさそうに片手を振って断った。
一礼し、店員が去っていく――その後姿に心の中で、食事時に合わない話をする客で本当ごめんなさい、と陳謝。
「さて。年間の自殺者数は二十二年統計で三万人を超え、なんと年間死亡者数のうち実に二パーセントもの量を占めるという、満員御礼の超人気アトラクション。ここがマヤだったら親愛なるイシュタム女史が超勤で過労死するかストライキでも起こすんじゃないかと思えるほどの現状だ。労働基準ガン無視のバカ企業で日々馬車馬のように使われている俺と気が合いそうだな」
「イシュタムさんって誰です?」
「自殺を掌る女神」
世の中にはいろんな職業の神様がいるものだ。
「だが自殺が社会問題となっているのは日本に限らない」
「そうなんですか」
思わず瞬きをした。海外諸国でそういった問題が顕著だとか社会問題だとかいう話は、あまり聞いたことがないが。
すると兄は片手を肩の高さで開いて、当然だというジェスチャーを取る。
「そりゃそうだろ。人がいれば悩みもあり、悩みがあれば自死を選ぼうとする奴だって出てくる。自殺は日本だけのものじゃないさ。……ええと、確か」目をつむってしばらく黙ったのち、長く細く煙を吐いた。「WHOの統計からすると、一日におよそ三千人ほどが自殺している。だいたい三十秒に一人が自殺してる計算だな」
その数は、私が思っていたよりはるかに多かった。
時計の秒針が半周するまでに、一人が首を吊り。また半周して、一人が頭を撃ち。また半周してまた一人……うっかりそんなことを想像してしまい、思わず顔をしかめる。
「とはいえ、まあ、多くの宗教では自殺を禁じているから、宗教観の強い国々ではそれによる抑止効果もあるんだろうが、それは置いておくとして。……多くの先進国では、数の多寡はどうあれ、それを憂慮すべき問題として抱えている。だから米国アラバマとオクラホマでは自殺は犯罪と定めているし、ウィーンでは自殺関係の報道方法に手を加える等の対策を行い、類似の事例が誘発されることを防いでいる」
水を、ちびり、と一口。適度な冷気が喉を落ちる。同時に、兄に吹き込まれる知識が腹に落ちていくような――それは勿論、錯覚だが。
「自殺の方法は国によっていろいろあり、米国では小火器自殺が、日本では縊頸が最も多い。それはまァ、お国柄という奴だ。飛び降り、飛び込み、ガス、その他。方法や防止の取り組み方こそ、かくも世界各国種々様々に津々浦々。……なれど」
そこで、兄が息を吸う細い音がして。
――不意に。
頭に何か、走るものがあった。
痛みやそれに類するものではなく、今日、私の思い出話に植えつけられた思考のすべてが「通った」ような、何か特別な意味を成したような、すっきりした感覚。建築様式、アトラクション、侍……そして。
「あ、れ?」
私の見たもの、聞いたもの、覚えていたもので構築されたパズルの最後のピースが、ぱちりとはまって、私は思わず声を上げた。
兄は半分まぶたを落とした目で私を見て、嫌みったらしくニヤリと笑った。私が『解った』ことに気づいたのだろう。しかし口調は変えぬまま、淡々とその続きを口にする。
「なれど、特に欧米諸国には存在しない自殺法というのがある」
ああ成る程ね、と。
冴えたはずの頭に一点、疲労が落ちて油のようにサァッと広がる。なんとなく、疲れたような思考の中で呟いた。
てんでんばらばらに思えた兄の話がひとつの点へ収束し、そして点は答えへ直結する。それは私の思い出話が心霊現象として確定させる事実で、それは勿論、嫌だった――けれど理解したことを兄にしたり顔で説明されるほうがもっと嫌で、だから。
私は自分で、口にした。
「『ハラキリ』ですね」
俯いて、左右に首を振る。視界の外で兄が小さく笑ったのがわかった気がした。
それが答えだ。そして兄の反応から察する限り、それは確かな『解答』だ。
「その裏付けは、先のお兄さんの「武士は食わねど高楊枝」。……海外には切腹という文化は存在しない。日本独自の文化です。先の通り、海外の死生観には『己の名誉のために死を選ぶ』という思考こそが存在しないのだから、切腹なんてものが海外にあるわけないんです」
「単位はやれるな」
私の解説に、満足したように頷いた。
「ついでに。南方諸民族特有の考え方に『命は腹に宿っている』というものがあり――東洋医学では今でも言うな、『丹田』って奴だ――、腹を掻っ捌いて死ぬという武士の行為はそれに由来する。逆に言えば、そんなイデオロギーのない当時の欧米諸国に、割腹自殺という方法が生まれるわけがない。ましてや、イチハチゴーサンのペリー来航まで日本は海外との国交をほぼ断絶した状態だ。切腹文化を海外に知らしめたのは慶応四年の『堺事件』であるとの説もあるし、いずれにせよ、アン様式の流行した十七世紀の欧米諸国に、日本文化を模して死のうなどという変わり者がいたとは思えない。いるわけがない。いたところでそんなものを取り入れるのは、『雰囲気に拘った』このお化け屋敷の概念には到底、合わない。……だというのにお前は」
煙草を灰皿に、押し付けて消した。
だというのに私は、あのお化け屋敷の中、短刀で腹を切って死ぬ『キャスト』を見た。階段の踊り場にいた、アトラクションのコンセプトに見合わないキャスト。幼い私を脅かし、泣かせ、足を折らせたキャストは。
「つまり答えはこうだ――」
やや節張った、長い人さし指をまっすぐに立て。そして、兄は笑った。
私以外の女性の前で浮かべることは恐らくないだろう、悪戯好きな少年にも似たその笑い方。ひどく整い、美しく、それでいて毒気を孕み、やけに魅力的で、だというのに実質はろくでもない知識しか齎さない。
向けられた鳶色の瞳にいかんともし難い性格の悪さを見出しながら、私は兄の『答え』を聞いた。
「――十九世紀の欧米をモチーフとしたお化け屋敷に、腹を切って自害する幽霊を脅かし役として据えることは『有り得ない』」
もうすこし続く。