三(一)遊園地の話
……っていう感じです。もう昔のことなんで、細かいところは違うかもしれないですけど、だいたいそんなところだったと思います」
そうやって私は、思い出話を締めくくった。
苦い感情が蘇ってくる。まったくあれは、散々な遠足だった。今でも幼馴染に会うと、「あのときのあんたは酷かった」と散々笑い話にされるのだから始末に終えない。
一気に話し、話し疲れて、息をつく。兄は俯いて腕を組み、じっと私の話を聴いていた。他に話すことはあったかと少し考えてみるけれど、私の覚えていることはその程度だ。
こんなところでいいですか、と尋ねる。……すると兄は、なぜかそれまで浮かべていた無愛想な表情をやめて、にっこりと笑った。それは、この人には珍しくもひどく爽やかなもので、その気色悪さに思わず身を引きそうになる――が、伸ばされた右手が私の頭を掴む方が早かった。
そしてその手が、私の髪をがしゃがしゃとかき回す。撫でているつもりなのだろうが、その乱雑さといったらない。
「い、痛い痛い、痛いですお兄さんっ、髪崩れるっ」
「うゥらの畑でポチが鳴くゥー、っと」
「なんでいきなり『花さかじいさん』なんですかっ」
しかもそうやって、なぜか上機嫌そうに歌いだすのだから始末に終えない。痛い痛いと抗議する私に構わず、気が済むまで撫でてから、ようやく解放してくれた。
鳥の巣のようにされた髪を手櫛で軽く整えて、恨みがましく兄を見る。その端正な顔に似合う好青年もどきの表情は既に消していて、お馴染みの嫌味な笑みを浮かべていた。
「お手柄だぞ、ポチ。褒めてやる」
「ポチじゃないです! ……って」
お手柄?
何かしただろうか。思わず首を傾げるが、私が今したことなど、ひとつしかない。昔の思い出を話しただけだ。
まさか……と表情を曇らせると、兄は人さし指の先をこちらに向けた。
「それだ。ポチ」
「ポチじゃないです」
真顔でボケるのはいい加減やめてほしい。
と、そんなどうでもいい願いも頭の端で思う私に対し、兄は最も言ってほしくない一言を言ったわけである。
「お前の話にはどうしても解せないものがひとつ、あった」
ああ――。
涙がこみ上げてきて思わず、天を仰いだ。
天井に下げられたかわいらしいシャンデリアが、「どんまい」とでも言いたそうに滲んで見える。やっぱり話さなければ良かったと後悔するが、それこそ後の祭りだ。
幼少時の記憶。それを『本当にあった怖い話』にするくらいなら、『嫌な思い出』として封じておいたほうが何倍もましだが……だが。
首をゆっくり戻すと、やけくそ気味に問うた。
「……どういう、ことですか」
「お。聞きたいか?」
「聞きたくなくても話すんでしょう」
身を乗り出し、待ってましたとばかりに聞き返す兄へ、ふてくされたように答えると、「よくわかってんじゃねェか」と笑った。この人のことなどわかりたくもないが、もういい加減短くもない付き合いである。深い深いため息をついてみせるけれども、そんなものこの人が気にするわけがない。
「あァ。どこから話すべきだろうな」
迷うな。と呟いて喉でくつくつ笑う。茶色の瞳が若干潤んでいるように見えるのは、オカルトへの興奮から来るものか、それとも私を不幸に突き落とそうという嗜虐的思考からか。恐らくは両方だろうなと思いながら、兄が思考を纏めるのを待った。
フルーツシュニッテンを半分ほど崩し、上に乗ったミントははたして食べるべきものなのだろうかと悩み始めた頃、
「さて」
ようやく思考に区切りがついたようだ。
フォークを置いて、テーブルの向こうの霊感人間を見る。兄は、非常に活き活きとした表情をしていた。
「まずはわかっていることを並べるぞ。建築スタイルはクイーン・アン様式だな。十九世紀後半のイギリスやアメリカでよく見られる建築様式の一種だ。……ウィンチェスター・ミステリーハウスでもイメージしたのかな」
「ういん……はうす。ハイ」
「お前今適当に返事したろ」
「めんぼくない」
わからないものはわからないのだから仕方ない。言い訳せずに頭を下げると、兄は気抜けしたような表情を隠さずため息を吐いた。
「ウィンチェスター・ミステリーハウスっていうのは、まあ簡単に言えば、実在する幽霊屋敷だ。呪われてるなんて噂もあるんだけどな……ああそうだ、今度行くか? 連れてってやるぞ」
「……それは、日帰りで行ける場所に?」
「カリフォルニア州サンノゼ」
丁重にお断り申し上げる。
何が悲しくて二人で海外旅行などしなければならないのか。兄が本格的に渡航の算段をはじめてしまわないよう、話の先を促した。
「それよりお兄さん。その何とかいう建築様式が、どうかしたんですか。ていうかそのナントカ建築って、なんですか」
寝殿造みたいなものですか、と、取り合えず知っている言葉を当てずっぽうで言ってみると、兄は呆れた様子で「まったく違う」と答えた。
「お前は、館を紹介するに当たり『建物の左側に教会のような屋根』と言った。鐘楼状の屋根のあるアシンメトリーの設計は、アン様式の大きな特徴だ。アン様式……クイーン・アン建築様式とは」
煙草を取り出して一本咥える。ジッポライターの赤い火を煙草の先に近づけながら、説明を再開した。
「オランダの影響を受けたロココ様式で、十八世紀クイーン・アンの時代に生まれた。植民地時代に英国からアメリカに渡り、十九世紀アメリカで最も人気があった。教会を連想させる、やや幻想的なデザインをしている」
再び言葉を切ると、大きく息を吸い。私から少し顔を背けると、斜め上に向かってふゥっと息を吐いた。真っ白なそれは、しばらくそのあたりに漂ったあと、少しずつあたりに溶けていく。
「屋敷のそこらじゅうに『エス字型の足をした家具』があった。アン様式の抜かすことの出来ない特徴に、エス字型をした脚――カブリオールレッグの家具が多く使われているという点がある。キャストの服装に関しては情報が少なすぎてなんとも言えないが……敢えて推測するなら、案内役として出てきたメイドが『現代日本におけるサブカル的なメイド』もしくは『フレンチメイド』の格好ではなかったから正当なものだ、という消去法ができるくらいかな。ただ、確定させるにはあまりにも弱い」
サブカルというのが、昨今の日本文化を代表する、モエのなんとやらを指し示すのは私も知っている。が、
「フレンチメイドはメイドさんじゃないんですか?」
「あー……」
尋ねると兄は、知らないか、と、苦笑いをした。
「フレンチメイドは、まあ、なんと説明するか……言ってみれば、『風俗関係』のメイドの身なりだ。フレンチという言葉はイギリスでは『下劣』『低俗』という意味で使われる。フレンチキス、なんて言うだろう。……それはともかく」言葉を切り、咳払いをひとつ。「建築と家具に見られる統一感からすれば、家具や備品、脅かし役その他に拘っているという説明は、どうやらお前の嘘や記憶違いではないらしい、ということがわかる」
「嘘なんかついてません」
「知ってるさ」
思わず反論すると、兄は知ったようにそう言った。
もう一度煙を吹いて、また空気が白く濁る。「俺に嘘をつけるだけの頭がお前にあるとも思えないからな」と、ひどい言葉も同時に吐いて。
「さて。お前はここまでで、何かおかしなことに気づいたか」
煙草を灰皿に軽く叩きながら、そう問題を出した。
おかしなこと。ミステリーハウス、アン様式、カブリオールレッグ。言われた単語へ思考を巡らせてみるが――しかし私は大学で建築の専攻などしていなければ心霊現象に詳しくもない。考えたところで答えなど出るわけもないから、単に想像して思いついたことを口にする。
「……アン建築が流行した十八、十九世紀頃に『ポルターガイスト』という概念はなかった、とか? だから、ポルターガイストを心霊現象としてアトラクションに取り入れるのはおかしい、みたいな……」
「不正解。けど目の付け所はいいな」
私の愚見に、しかし兄は目を細めて笑った。
「アン建築の時代にその概念が存在しない、ということはない。現に、ポルターガイスト現象は、古いものでは確か十七世紀にも記録されている。テッドワースだったかな? 場所は俺もうろ覚えだが……あとは、寛保頃の日本でも確認されているはずだ。百年紀に直すと十六世紀だな、文献が残っている」
そんな文献、この人は一体どこで見つけてくるのだろう。
「また、ポルターガイストの起きやすい建築様式とか、そんなものもないとされている。建築当初に起こらず、後年に起きることだってあるしな。発生事例は場所時代ともに津々浦々、と。だからこそ原因がわからず、心霊現象とされることが多いわけだが……ともかくこのあたりのことから、お前の推測が間違っていることがわかる。まあ、これだけでお前に答えを出せというのは酷かな。ここまでの話では『欧米の文化に拘ったお化け屋敷であることは確かだ』ということが理解できればいい」
そこまで一息で言うと兄は、煙草を灰皿に押しつけて消した。
それからシュニッテンの皿を引き寄せ、小休止とばかりにフォークを取り上げる。そしてシュニッテンを頬張った――直後、なぜか不快そうにやや眉を寄せる。カップを取り上げ、ブラックコーヒーでシュニッテンを流し込むと、私にぎりぎり届く程度の小声で呟いた。「甘すぎる」
どうやらデザートは、兄のお気に召さなかったらしい。残り六割ほどが乗った皿を私のほうに押しやりながら、講釈を再開した。
「――『侍が来ては買つてく高楊枝』」
寄せられた皿を、食べていい、ということだと勝手に解釈。自分のシュニッテンを急いで平らげ、貰ったそちらと皿を入れ替えてから、兄の言葉に答える。
「あ、それ知ってます。……あ、でも、ちょっと違うかも。ええっと、なんだっけ、『武士は食わねど』……?」
「武士はくわねど高楊枝、か。意味はわかるか?」
「えっと。武士は、たとえお金がなくって食事ができないときでも、楊枝を使って、満腹したかのような振舞いをすることを美徳としていた、って感じでしょうかね。名誉を重んじるっていうか、そういう感じで」
貧しくとも外には見せるな、気位は高くあれ、ということだろう。
「そんな生活、したくないですけど」
「珍しく意見が合ったな。俺もだ」
どう逆立ちしたところで理解できそうにない武士の特性に、顔をしかめながらそう続けると、兄も首を縦に振って同意した。プライドで飯は食えねェよ――そんなことも呟いて。
「当時の町人も、表立ってはそうそう言わなかったろうが、実際は、そういう武士の『美徳』とやらをばかげたものだと思っていたらしい。そこで『侍が来ては買ってく高楊枝』なんて、武士のあり方を揶揄する歌を作ったわけだ。江戸中期頃の雑誌『誹風柳多留』に載ってる」
「はあ……」
と、返した相づちがどうにもはっきりしないものになってしまったのは、どうにも話が繋がらないな、と思ったせいだった。先ほどまでは欧米の建築様式がどうのこうのと言っていたのに、突然日本の話――それも名誉だの美徳だの、精神的な話に飛んだわけだから。それらの関係性を考えつつ皿の上で転がるブルーベリーにフォークを刺そうと悪戦苦闘していると、
「そして武士のそれを理解できないのは、俺たちのような現代の若者や当時の町人だけではない」
と告げ、言葉を切った。
……視線を上げると兄は、したり顔で私を見ていた。また推測せよということか。しかしそう言われても、私にはまだ何も――と、答えかけて。
ひとつだけ、すべて丸く収まる結論を思いついた。
「実は心霊現象なんてなかったってオチは」
「却下だ」
一縷の希望を一言で絶たれ、おうちかえりたい。と思う心をなんとか留める。