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9 アレクシウス

 こてんぱんにマグヌスに振られたセシリアは、脱け殻と化したまま、エヴァーグリムへ帰ってきた。

 たった一言、されど一言。 それが、あんなにもマグヌスを傷付けていたなんて知らなかった。


「でも、そんなに怒る事なのかしら?」


 (せわ)しげに動かしていた、レース編みの手を止た。 強がって言った独り言だったが、やっぱり涙があふれてきた。 

 彼への想いを密閉容器に閉じ込めて、シッカリと鍵を掛けたはずなのに、どこだかに隙間があるようで、ジンワリとシットリと恋心が染み出してきてしまう。

 まだ、マグヌスが好きだ。 忘れられない。 「大丈夫」だと思っていたのに……。


「おーい、泣き虫。 いつまで泣いてんだ?」


 ヒョイッとテーブルに座り、無遠慮に声をかけてくるこの男は、最近オーナと取引を始めた商人で、アレクシウスと言う。 ヴィンドストランドという東の国から来ていた。

 セシリアが夜会で着たレースのケープは、彼の商品なのだ。


 潮風を感じさせる青銀色(ブルーシルバー)の長い髪が、彼のアンバーの瞳(ウルフアイ)と相まって、銀狼みたいだった。


「俺様のレースが人気過ぎて商品が間に合わないんだから、泣いてないでサッサと編めよ。 刺繍も間に合わないぜ」


 手先の器用さを買われてセシリアは今、アレクシウスの商会の職人にレース編みを習っているのだ。 簡単なレースならば、商品として遜色ないところまで腕をあげていた。


 それなのに、それ程時が経ったのに、まだ、マグヌスの思い出から抜け出せない。


「おいおい泣くなよ。 もぉ……」


 アレクシウスが困ったように、洋服の裾でセシリアの涙を拭いた。 フワリと柑橘の良い香りが漂った。

 セシリアは、アレクシウスの胸に顔を擦りつけた。 

(この匂い。好きだな……)


 セシリアは勝手にアレクシウスを()のように感じていた。 

 街の人々が彼女を見る視線には、どこか同情のような物が感じられて、鬱陶しく思ってしまうのだが、彼は違う。 ただのセシリアとして自分を扱ってくれる。 彼からしたら、ただの職人見習いなのだろうけど。 

 だが、それがセシリアは丁度良く、心が軽くなれた。


 それに、貴族の常識も必要無い。 互いに平民。 それが、楽だった。


「そうそう、お前、コレ好きなんだって?」と言って、アレクシウスが取り出したのは、オレンジケーキだった。


 ブワッと涙が溢れ出す。 『オレンジケーキが好きだ』と言っていたのは、マグヌスの髪色だったからだ。

 夜が明けるあの瞬間、水平線がオレンジに染まるあの時間が、セシリアの大好きな()()であり、マグヌスとの幸せな思い出が詰まった()なのだ。


「うわぁーっ。なんだよっ、なんで泣くんだよ」

「ばかぁー、アレクシウスの馬鹿っ!」


 そう言いながらもセシリアは、手掴みでオレンジケーキを頬張った。 


 その時、ノックの音がして部屋の扉が開いた。 オーナだった。

 ギャイギャイ騒いでいる物音を聞きつけ、様子を見に来たのだ。


「アレク、その様子じゃまだ、セシリアに話てないのかしら?」

 オーナは呆れたように言いながら、腰に手を当て仁王立ちをしている。

「サッサと承諾を得てくれないと、採寸できないんとけど」


「いやぁ……、なんか、ねぇ」と、セシリアに同意を求めるアレクシウスだったが、セシリアには意味が分からない。

「私の採寸が必要なんですか? 別に構いませんけど」


 コルセットをしなくなってからだいぶ経つが、体型は維持しているつもりだった。


「言ったわね、セシリア。 後で後悔しても知らないから」

 オーナがニヤリと笑うので、不安になったセシリアだったが、断る理由も無かった。


 ******


 穏やかに時が過ぎる。


 マグヌスが英雄と持て囃されていた時は過ぎ、エヴァーグリムの街灯にぶら下がっていた『英雄マグヌスの故郷』の垂幕も、いつの間にか無くなっていた。

 オレンジ色の布を被った『マグヌスごっこ』をする子供の姿も見かけなくなった。


 確実に時は流れる。


 セシリアの心の傷も薄れてきていた。 彼女のレース編みの腕も確実に上がった。

 あの夜会で、自身が身に付けたケープが編めるまでに、その腕を上げた。


 そして、マグヌスに捨てられて丁度一年後、再びセシリアは、王都に行く事になった。 仕事として。


 あのセシリアのドレスに魅せられた貴族が、同じようなドレスを求めていたのだが、エヴァーグリムまで買いに出かけるのは、さすがに遠い。


 そこでオーナは決めた。 王都に出店すると。 


 丁度、アレクシウスも王都に自分の商会の店を出したかった。 だが、伝手(つて)か無い。

 そこで、共同出店する事にした。 


 だが、問題はまだある。 貴族向けの店舗にするにあたり、貴族と渡り合えるだけの行儀作法を身に付けた店員がいない。

 エヴァーグリムのような平民の街に、貴族が来るのとは訳が違う。


 そこで、元貴族のセシリアに白羽の矢が立った。 彼女の後見人にステンボック侯爵が付いている事も理由の一つだった。


 あの夜会で、セシリアを心配した侯爵夫妻が、断るセシリアを無理矢理説得し、後見人の手続きを取ったのだ。


 そんな訳で今、セシリアは憮然としながらステンボック家の家紋の入った馬車で王都へ向かっていた。

 あの時のオーナの「後で後悔しても知らないから」は、こういう事だったのだ。


 マグヌスのいる王都で、マグヌスを見かけても、マグヌスの話を聞いても、平常心を保てる自信はまだ無い。








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