25 洋裁店オーナー、シグネの想い
洋裁店のオーナー、シグネは憤りを感じながら自分の店へと急いでいた。 気ばかり焦って、脚が絡まり上手く走れない。 何度も転びそうになっていた。
シグネはセシリアに対して感じている怒りを、上手く消化できない。 そもそも、なぜ彼女がこんな目に遭わないといけないのだろうか。 伯爵令嬢として大切に育てられた彼女が、平民にまで堕ちてしまった事も許せない。
先ほどの執務室での会話を思い出し、もはや、何に対して腹を立てているのかも、よくわからなくなってきた。
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「ねぇ。何で、もう領主でもないセシリアが、そこまでしてエヴァーグリムを守らないといけないの? アレクシウスはどうするの?」
戸惑いながらも手紙を受け取った洋裁店のオーナー、シグネはセシリアに問いただす。
当のセシリアは、穏やかに微笑んではいるが、その瞳には力がない。 どこか、あきらめているのだ。
「大丈夫。 上手くやるわ」
「大丈夫な訳、ないでしょ?」
シグネのその声は鋭く冷ややかで、セシリアは肩をビクリと揺らす。
「なんでセシリアが犠牲にならないといけないの? 領主代理だって、ここを捨てて逃げてたじゃない。 セシリアが責任を感じる事ないんだよ? 逃げ出してもいいんだよ」
セシリアの自己犠牲は、美徳なんてものじゃない。 緩やかな自傷行為にしか見えなかった。
マグヌスに捨てられて、アレクシウスとの関係もハッキリしない。シグネにはセシリアが、ヤケになっている様にしか見えなかった。
せっかく、アレクシウスが自分の国へと誘っているのだから、とにもかくにも彼の胸に飛び込めばいいのに。 そう、シグネは思っていた。
それなのに……。
「私はセシリアが心配なんだよ。 もっと、自分を大切にしてよ。 一緒にスタルハーヴェンに行こう? セシリアが気にする事ないんだよ」
シグネの必死の説得も虚しく、セシリアは困ったような悲しそうな顔で、そんな彼女を見つめていた。
その『申し訳なさそうな顔』もシグネには、セシリアが自分自身を蔑ろにしている証拠にしか見えない。
「――お父様との約束なの。 『エヴァーグリムを頼むよ』って、いつも言われたわ。 私がここから逃げたら、私は誰との約束も守れなくなっちゃう……」
その叱られた子供のような顔をするセシリアを見て、シグネは悟った。 (あ゙ぁ、そうか。 セシリアは誰かに認めてもらいたいんだわ)と。
そして、マグヌスに対する怒りも湧いてくる。 そもそも、奴がサッサとエヴァーグリムに戻ってきて、約束通りセシリアと夫婦になれば良かったのだ。
伯爵様も、容認していたように見えていた。 少なくともエヴァーグリムの住人誰もが、『二人は一緒になる』と信じて疑わなかったのだ。
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先ほど通り抜けた広場には、既に人々の姿はなく閑散としていた。 急に『戦争』が現実味を帯びてきた。
一時間もしないうちに、この広場には手荷物を抱えた女子供で溢れかえるのだろう。
シグネも職人や店員達を、急いで家に返さないといけない。そして、戸締まりも……。
「クックックッ」
突如、シグネの口端から、笑い声が漏れた。 (戸締まりをして、どうするのだろう。 どうせ、戦火で燃えてしまうのに……)
「アハハハ……」
シグネは笑った。 泣きながら笑った。 全部が無くなってしまうかも。という恐怖が込み上げてくる。 恐怖が限界を超えたのだろうか、脳が誤認しているのだろうか。 頬を熱い涙が伝うのに、笑い声を抑えることができない。
――シグネは走り続ける。 喉が焼け付き、息苦しさを覚える。
そのおかげなのか、だんだんと思考がまとまってきた。 そして、決めた。 絶対にセシリアをアレクシウスに合わせる、と。
何が何でも生き残ってもらわないと、亡くなった伯爵様に申し訳ない。 エヴァーグリムの領民として、立つ瀬がない。
「先ずは、避難が先。 セシリアを安心させないと。 すべては、それから……ね」
少し薄暗くなってきた空を見上げたシグネは、雨が本降りになる前に出発したい。と、漠然と思っていた。
シグネの手には、セシリアから預かった手紙と、彼女の髪が一房握られていた。




