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23 青天の霹靂

「大変だよ。お嬢ちゃん」


 馴染みの商人から手渡された封筒には、懐かしいアレクシウスの文字が並ぶ。

 洋裁店のオーナー宛の手紙だったが、なぜか商人はセシリアに手渡してくる。 手紙の封を開ける暇も与えず、その商人はまくし立てた。


 隣国との小競り合いに、第三国が首を突っ込んできたらしい。 そのため、我が国は劣勢だという。


「ここは、戦場に近いから、早く逃げた方がいいよ。 物資も、もう運べなくなるかも。 危ないよ。 危険だよ」


 荷卸が終わった商人は、そそくさと立ち去ってしまった。 セシリアとオーナーは顔を見合わせた。 

 新聞に、()()などという単語は出てきていないのだ。 常に『連戦全勝』と謳っている。


 だが、アレクシウスからの手紙に目を通し、二人は言葉を失った。


『スタルハーヴェンに船を寄港させる。 今すぐ、荷物をまとめて港町にくるんだ』


 スタルハーヴェンは、旧フランゲル伯爵領の港町で、アレクシウスの国ヴィンドストランドとの間に定期便が出ていた。 その港町に「今すぐ来い」と言う。


『旧フランゲル領が王領になっているせいで、隣国がエヴァーグリムへ向かっている。 国境での戦況はとても悪い。 戦火が近づく前に逃げるんだ』


 セシリアの手紙を持つ手が震えた。 オーナーは、口元に手を当て息を呑んでいた。 


 ついさっきまであった『日常』が、突如現れた『戦場』という恐怖に侵食されていく。「嘘だ。 新聞には、そんな事書いてなかった」と、思考を止めようとするが、アレクシウスの文字が『現実』を突き付けてくる。


 セシリアの手紙を持つ指先の感覚がなくなり、自分の意思を拒むように震え出す。膝が笑うようになり、立っていられない。

 椅子に倒れ込むのは、オーナーと同時だった。


(どうする? どうするべき?)


 焦りが喉をせり上がり、呼吸が浅くなる。 酸欠の頭を抱え込み、セシリアは必死に考える。


「セシリア。 あなたは、逃げなさい」


 視線を上げると、真剣な面持ちのオーナーと目が合った。 そして、彼女はセシリアの肩を揺さぶりながら言う。


「セシリア。 あなたは逃げなさい。 アレクシウスを頼りなさい」

「駄目よ。 領民を見捨てられないわ」

 咄嗟に口をついて出た。

「――領民って。 あなた、もう、領主の娘じゃないのよ?」


 驚きか呆れか……。 開いた口がふさがらない様子のオーナーを見て、セシリアは答えを見つけた。 震えていた指先が、不思議と止まった。 胸の奥で生まれた決意が、静かに熱を帯び始めた。


(私は、エヴァーグリムを守りたいんだわ)


「父が守り慈しんだこの土地を見捨てたら、両親に顔向けできないわ」


(――アレクには悪いけど)

 一つ不安があるとすれば、アレクとの事だった。 でも、ここを、エヴァーグリムの領民を守れるのは、私だけしかいないはずだ。

 様々な恐怖や不安が込み上げてくる。 だが、迷っていはいられなかった。


「領主館に行ってみましょう。 役人がいるはずだから、指示を仰ぎましょう」


「そうね」と頷くオーナーを見て、(領民の避難を見届けてから、アレクの元に行こう。 それからでも遅くないわ)


 抜けるように澄み渡る青空を仰ぎ見ながら、セシリアは「なんとかなる」と、漠然と感じていた。

 そして、その青空の隅を侵食してきている暗雲には、気付きもしなかった。


 ******


 毎朝通る、通い慣れた石畳の上を、セシリアたちは走った。 ものの数分の距離のはずなのだが、とても長い道のりに感じていた。

 マグヌスたちを送り出した広場には、相変わらず日向ぼっこをする老人や、ボールを蹴る子供たち。 なんの変哲もない『日常』が、()()あった。 永遠に続くと思っていた『日常』が。


 だが、領主館に『日常』は、既に無かった。


 アイアンの重厚な門扉は開け放たれ、ギロリとセシリアを見定める、いつもの衛兵の姿が無い。

「なんなの? これ……」

 オーナーと二人、顔を見合わせる。 恐る恐る門の中に入ってみれば、懐かしいトピアリー達が二人を出迎えるのだが、セシリアにはノスタルジーに浸る余裕など無かった。 

 以前なら、馬車で駆け抜けたアプローチを、今は自分の脚で駆けている。 奥に見える領主館は、なかなか近づいてくれない。 まるで、現実から逃げたい自分に味方しているように……。


 やはり開きっぱなしの中門のアイアンの重厚な扉を通り抜け、領主館のフロントコートヤードに近づけは近づくほど、異様な光景が増していった。

 セシリアの記憶の中の使用人たちは、いつも落ち着いていて、背筋を伸ばし堂々としていたものだが、今、セシリアの目の端に映る彼らは、慌てた様子で右往左往している。


 急に、アレクシウスの手紙の内容が、現実味を帯びてくる。


「お嬢様!!」

「お嬢!!」


 その時、懐かしい声が響いた。 金切り声に近いが、幼い頃より面倒を見てもらっていたアンナの声によく似ている。

 その声の方向に視線を向ければ、いくらか大人になったアンナと、彼女が恋焦がれていた侍従見習いがいた。名前はニルスと言っただろうか……。


「アンナ!! これは一体どういう事なの?」

『わかりませんっ!!』


 二人の声が揃った。






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