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22 一歩

 エヴァーグリムに戻ったセシリアに、平穏な日常が訪れる。 昔馴染みの洋裁店と借家を往復し、途中、旧フランゲル家を覗くのだ。

 門扉から覗いても、「お嬢様!」と、駆け寄る使用人達の姿は無くなった。 代わりに、衛兵にギロリと睨まれるのだ。

 だが、幼い頃より世話になった、侍女アンナの姿を探してしまう。


 それ程までの時が流れていた。 マグヌスに恋していた少女セシリアは、既に婚期を逃していた。

 かといって、アレクシウスの胸に飛び込む勇気も無かった。


 アレクシウスはというと、王都『エヴァーグリムの妖精』に腰を据え、貴族相手に流行を二分していた。 こちら側にはウルリカのステンボック家を中心に、第三王女フレイヤが顧客名簿に名を連ねていた。

 また彼は、忙しい合間を縫って「商品の仕入れ」の為に、遠く離れたセシリアの元に会いに来ていた。 王都の職人たちは、呆れている事だろう。


 仕事場で垣間見るアレクシウスの真剣な横顔を盗み見ては心が揺らぎ、誰とでも分け隔てなく接する人柄に感心しているセシリアの視線に気が付くと、アレクシウスはフワリと微笑むのだ。 

 すると、先ほどの大人びた雰囲気は何処へやら、まるで、飼い慣らされた狼のようにゴロゴロとセシリアに甘えてくるのだ。

 そのギャップに、セシリアは絆される。


 そして、言葉巧みにセシリアを口説くのだが、恋愛に恐怖心を抱いている、彼女の心は()()硬い。

 そんな、彼女の心の鎧を脱がすのには、もう少し時間が必要だった。


 セシリアにしてみれば、優しくされればされる程、自分が過去、アレクシウスにした()()()が思い返され、心が痛むのだ。 なんと、自分勝手な事をしたのだろうか、と。


 だが、彼の『甘い言葉』は、着実にセシリアを侵食していく。 




 *****


「リア。 今度、僕の故郷においでよ」


 それは、あまりにも唐突に、前触れなく訪れた。 商品の搬入の確認を倉庫で行っている最中だったセシリアは、思わず手にしたボードを落としてしまった。


「それって……」

「想像通りかも。 僕の事を、もっと知って欲しいし……、僕たちのこれからの為にも」

「えっ!?」


 急激な展開に、セシリアの思考回路がショートした。 本来なら「嬉しい」と思うのだろうが、セシリアには戸惑いの方が強かった。 まだ、彼の告白の返事さえ、していないのだから。 そう、もう、何ヶ月も……。


「でも……、私、まだ……」

「俺、だいぶ待ったよ。 もう、少し、踏み込ませて」


 床に落ちたボードを拾ったアレクシウスは、セシリアとの距離を詰めてきた。 物理的に。 壁の冷たさが背中に伝わる。


「いつまでも待つって言ったじゃない」


 そう、言いかけた言葉をセシリアはグッと飲み込んだ。 目の前で自分を見つめるアレクシウスの瞳は、真冬の夜空のように冷たく澄んでいた。 それでいて、熱を帯びている。


 セシリアの心臓が激しく鼓動を打ち鳴らす。 

(もう、間違えたくない)

 いつだってアレクシウスは自分の味方だった。 彼といる時間は、いつだって穏やかで心地良い。 冗談を言って笑い合う時間も、ふとした瞬間に流れる沈黙も、自分にとっては宝物のように大切な時間だった。


 それが、自分の返答一つで無に返る。


 アレクシウスと共に歩く未来は、きっと、必ず、今より幸せで色づく未来になるだろう。 

 だから、だからこそ、セシリアは不安なのだ。

 強く明るい光の反対側は、暗黒の闇なのだ。 その闇は、マグヌスの比ではないだろう。 それが、怖い。


「怖いの?」


 低く優しい声が、セシリアの鼓膜を震わせた。 アレクシウスが伸ばした右手が、彼女の耳元の髪をかき上げる。 反射的に顔を背ければ、そちら側の視界も、彼の左手によって遮られた。 甘い檻に閉じ込められたようだ。


 セシリアとアレクシウスの距離は、吐息が触れ合う程に近づき、より熱を帯びたアンバーの瞳が、獲物を狙う銀狼のように、彼女を射貫く。

 セシリアの鼓動が、うるさい程に跳ねた。


 コツン。と、柔らかな感触が重なる。 触れ合ったオデコから彼の体温を感じる。 

 前髪から覗いた彼の瞳が、少し揺れたように見えた。


 アレクシウスが小さく息を吐き、それがセシリアの頬をかすめた。 


「大丈夫。 僕を信じて」


 その瞬間、セシリアの中の雑念が消えた。

 その真っ直ぐな言葉が、セシリアの心の奥底に沈んでいた(おり)に触れた。

 これまで、何度もセシリアを襲っていた「アレクもマグヌスと同じで、いつか、私に飽きてしまう」という漠然とした恐怖。


 けれど、彼の強い視線と柔らかい言葉。 そこに一切の嘘が無い事を、セシリアは本能で理解した。 

 彼女の細胞の一つ一つが恐怖に打ち勝ち、彼を受け入れた瞬間、勝手に口から言葉がこぼれ落ちた。


「――好きよ」


 とたん、堰を切ったように、アレクシウスへの想いが溢れ出す。


「好き。 大好きよ、アレク。 きっと、ずっと前から……」

「!!」


 言葉を失ったアレクシウスは、セシリアを抱きしめる事しかできなかった。

 身体を震わせ、感動の波に身を任せている彼の背に手を回したセシリアは、その彼の耳元で愛を囁き続けるのだった。


 ******


 ――だが、時代は彼らに休息を与えない。


 再び、隣国との小競り合いが始まったのだ。

 アレクシウスの祖国、ヴィンドストランドは中立を保つため、一切の交流を絶った。 

 アレクシウスがエヴァーグリムに戻る事は叶わず、王都の洋裁店の職人たちと共に、祖国へと戻るしかなかった。

 そして、『エヴァーグリムの妖精』は休業した――。


 エヴァーグリムの広場に、続々と住民が集まる。 その中にセシリアも洋裁店の仲間たちといた。戦地へと向かう若者の壮行会が開かれるのだ。

 前回は領主の娘として、演台に立ち激励の言葉を述べていたセシリアは、今、住民としてこの場にいる。

 そして、演台の上には男爵となり侯爵令嬢と結婚したマグヌスが、激励の言葉を述べているのだ……。


 セシリアの心は()いでいた。 


 何一つ感情がわかないのだ。 心臓を握りつぶされるような痛みや、世界が色付くような歓喜をセシリアに与えたルーエンホフドの(たてがみ)をもつ彼は、もう『風景』の一部に成り下がっていた。


 陽射しにきらめく白銀の鎧は、眩しいまでに反射している。 その陽射しを掴むばかりに握った拳を高々と掲げ、地を這うような咆哮を上げる。

 かつて『英雄』と呼ばれたその男は、広場に集まる若者から、羨望の眼差しを受けている。

 以前の自分なら、その眩しさに目を細め、誇らしさと切なさが混ざった感情を持ったであろう。 


 だが、何も感じないのだ。


 彼の婚約を知り命を絶とうとしていたのが、はるか遠い昔のようだった。 

 マグヌスと自分の間できた境界線は、貴族と平民という乗り越えられない刹那的な壁は、今やもう、ただの『仕様』でしかない。


 エヴァーグリムの地を死守する、立派な騎士様の一人。 それが、セシリアにとってのマグヌスであった。 それ以上でも以下でもなかった。




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