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19 張られた罠

「それは、危険ね」


 開口一番にウルリカは、そう言った。 彼女は、まだ湯気の立つ琥珀色の紅茶を見つめたまま、微動だにしない。


 それは、セシリアにも分かっていた。 


 エヴァーグリムの英雄マグヌスとフランゲル伯爵令嬢セシリアの身分違いの恋は、地方紙に載った事もあり周知の事実であった。 

 それに、フランゲル伯爵家の断絶と、その一人娘がエヴァーグリムで平民として過ごしている事も、人々の口端(くちは)に上がっていた。


 噂好きの貴族達が、マグヌスの過去を調べない訳がなく、調べれば必ずセシリアにたどり着くのだ。 

『エヴァーグリムの妖精』の店員が、そのセシリアだとも。

 そして、その話が()()()()()()の耳に入らない訳がない。


 ――これは、()()ある。 そう考えて当然だった。


 婚約者の()恋人が選んだ小物を贈られて、喜ぶ婚約者がいるだろうか。 盛大な嫌がらせ以外の何物でもない。


 こうなってくると、()()()()()の依頼も怪しくなってきた。 総レースのドレスも、手に入れたかったのかどうか。 本当に手に入れたかったのは、()()()()()()()ではなかったのか?


 時計の秒針の音が響いていた。 カップとソーサーがこすれ合う音、衣擦れの音だけしか聞こえない。 


 セシリアは今日までのフレイヤ王女とのやり取りを思い返す。 彼女の言動から、その真意を見出そうとしたが、何も見いだせない。

 セシリアの思考の海は凪いだままだ。


 どちらにしろ、フレイヤ王女の誘いが()()からであろうと、()()からであろうと、平民である自分に『断る』という選択肢はない。という答えに行き着いたセシリアは、ゆっくりとその視線を上げた。 


 そして、決意を告げようとしたその時、ウルリカの声が被った。


「私も行くわ」

「えっ?」

「これでも侯爵家の娘だから……、何か役に立つかも……」

「無理よ。 招待もされていないのに……」


 不安そうにウルリカが覗き込んでくるが、セシリアは決めた。 

 震える指先を握りしめ、手のひらに爪が喰い込むが、その痛みさえも覚悟になる。 


(大切な友人を巻き込む事はできない。 私の失態がステンボック家を傾ける……、かもしれない)


「アレクシウスに来てもらうわ」


『エヴァーグリム』の商品なのだ。 店主のアレクシウスが共にいて、なんの失礼があるだろうか。 

 それに、彼は、数多の商談をまとめてきているだろうから、この困難も流れるようや話術で回避する……、勝手にそんな期待を持っていた。


「でも……」


 ウルリカはまだ不安そうだった。 伏魔殿に乗り込むセシリアを、ただ心配して見守る事しかできない自分の不甲斐なさを、悔やんでいるようだ。


「大丈夫よ、きっと。 商談だと思って挑むわ」


 ウルリカを安心させようと、微笑んではみたセシリアだったが、その笑顔はどこかぎこちなく、頬が強張っていた。


 ********


 その後、ウルリカが仕入れた情報によると、婚姻を望んでいるのはマグヌスを気に入っている侯爵とマグヌス自身であり、当の侯爵令嬢本人は「平民となんて……」と、忌避しているらしい。

 侯爵令嬢と面識もあり、マグヌスの人柄も知っているフレイヤ王女が、その間を取り持とうと『エヴァーグリムの妖精』の商品に目を付けた――。と、言われているそうだが……。


「ねぇ、聞いてる?」


 セシリアは不満気にアレクシウスに声を掛けた。今、二人は、商会の馬車に乗り、フレイヤ王女の依頼に応えるべく登城する最中なのだ。

 その車内で、セシリアは、これから起きるであろう出来事の、対応策を練りたいかった。


 それに、自分が抱えている得体の知れない不安を、少しでも理解して欲しい。この気持ちを汲み取って欲しい。と、言葉を選び喉に詰まりそうな感情を必死に形にしているのに、肝心のアレクシウスが先ほどからずっと、ずっーと上の空なのも気に入らない。


「大丈夫」


 と、ただ一言、ただ一言安心させて欲しいだけなのに。


 おまけに、ちっともこちらを見てくれない。 不貞腐れたように窓の外を見たまま、適当に相槌を打っているようにしか思えなかった。


「ねぇっ!」


 痺れを切らしたセシリアは、そっぽを向く彼の顔をこちらに向けようと、手を伸ばした。


 ガタンッ!!


 その瞬間、馬車が大きく揺れた。 遠くで御者の謝る声が聞こえる。

 どうやら、小石にでも乗り上げたようだった。

 だが、セシリアにはそれどころでは無くなっていた。 手を伸ばした拍子に馬車が揺れたものだから、アレクシウスに、もたれかかるように座り込んでしまった……。

 その時、セシリアは触れた胸板の厚さに戸惑い、アレクシウスは彼女の香りと温もりに酔いしれた。


「ごめん」


 慌てて彼の上からどこうと、腰を上げるたのだが、その腰をアレクシウスが抱きしめた。


「気に入らない」


 絞り出された彼の声は、一瞬でセシリアの瞳を潤ませる。 


「そうよ。 私だって気に入らないわ」


 なぜこんなにも、あの男に振り回されるのだろうか。 もう、忘れたいのに。 関わりたくないのに。セシリアの瞳から、涙がこぼれ落ちた。


 でも、もう逃げたくないのだ。 これを最後にしたい。 自由になりたい。 彼を愛していた自分からも、彼に愛されずに死のうとまでしていた自分からも。 


 その全てから解放されるキッカケがきっと、この婚約者へのレース選びなのだ。

 ただ、それはフレイヤ王女の()かもしれない。 その難解な問題の答えが分からずに、張り巡らされた罠かもしれないと疑いながらも挑む自分を、アレクシウスに応援して欲しいのだ。 万が一の時は、すくい上げて欲しいのだ。 


「だから、助けて……」


 驚いたように見上げているアレクシウスの頬を、震える手で覆いながらセシリアは、消え入りそうな声でアレクシウスに懇願するのだ。



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