18 驚きの依頼
あの夜から数日後、鉛のように重い脚を必死に交互に動かしながら、セシリアは登城していた。
まだ疼く胸の痛みを誤魔化しながら、セシリアは最後の仕事を成し遂げる為、フレイヤ王女の待つ部屋の前に立つのだ。
この扉の向こう側には、逃れようのない現実がある。私という存在を無視し、幸せな家庭を築くマグヌスがいる。
指先は冷たく震え、心臓が刻む鼓動は退路が無い事を告げる。 セシリアは胸いっぱいに冷たい空気を吸い込んだ。
(大丈夫。 私にはアレクがいる。 何があっても、彼が待ってる。 でも、こんな時だけ彼を頼るのもどうなんだろう……)
複雑な思いを抱えたセシリアは、未練を断ち切るように、目の前に立ちはだかる扉をノックした。
開け放たれた扉の向こうは、拍子抜けするほどいつも通りだった。 相変わらずマグヌスは、視線を合わせようともしない。 セシリアも彼の存在を無視し、テーブルの向こう側に座るフレイヤ王女に挨拶をした。
――穏やかに時が流れる。
「出来たわ」
フレイヤ王女がドレスの裾を広げ、満足気に眺めていた。 たった今、数カ月に渡った刺繍講師の務めが終わったのだ。
靄のようにセシリアを覆っていた重圧が、王女が針を置いた瞬間、霧散した。 張り詰めていた神経がゆっくりと弛緩し、心地良い疲労が襲ってくる。
(終わったのね。全て。後は、アレクに任せて帰ろう。 エヴァーグリムへ)
セシリアは決めていた。 一度、故郷に戻り自身の気持ちをリセットしたかったのだ。
このまま、アレクシウスの想いに甘え続けるのは、何か違う気がしていた。
「後は、レースね」
「そちらの準備も、ほぼ終えております。 後日、こちらにお持ち致します」
フレイヤ王女の動きに合わせ、立ち上がったセシリアは、恭しく頭を下げた。
(後は、帰るだけ。帰るだけ……)
呪文のように頭の中で繰返し、セシリアは微笑みを絶やさず、立ち去るフレイヤ王女たちを見送る。 マグヌスを視界に入れないように、慎重に。
やっぱり、まだ、気を抜いたら、泣いてしまいそうだった。
『マグヌスの心の中には、塵程にも自分への想いが残っていなかった』その現実を受け止めるには、もう少しだけ時間が欲しい。
「そうだわ。 もう一つ頼みがあるの」
おもむろに振り返ったフレイヤ王女が、セシリアの手を取りマグヌスと引き合わせたのだ。
「そこの護衛騎士の婚約者に、レース編みのケープを贈りたいのだけど、お願いしてもいいかしら?」
「えっ!?」
思わずセシリアはマグヌスの顔に視線を投げかけたが、彼は微動だにしない。 変わらず正面を見続けている。 王女とセシリアの会話など興味がないように。
たが、セシリアは違う。 想像もしていなかったフレイヤ王女の願いに、時が止まったかのような錯覚を覚えた。
「――後日、ドレスの仕上げに伺う時に、いくつか商品をお持ち致します」
そう言うのがやっとだった。 再びセシリアは、流れる様な動作で、頭を下げた。 次に頭を上げた時には、すでに彼らは開け放たれた扉の向こう側にいた。
セシリアはソファーに崩れ落ちた。 彼女はこめかみを抑え、天を仰いだ。
(なんて、酷な事を言うのだろうか)
マグヌスの幸せを恨んでいるわけではない。 が、彼の婚約者へのお祝いを自ら選べるほど、セシリアは強くない。かと言ってフレイヤ王女の願いを無視する訳にもいかない。 八方塞がりだった。
それに、あのマグヌスの態度。 動揺する様子もなかった。 もう、自分に対する想いなど微塵も感じない。 それが、少し悔しい。
「はぁ……」
溜息と共にセシリアは立ち上がり、重い脚を動かした。
(なぜ、彼を諦めようと決意した時に限って、再び縁を取り持つような出来事が起きるのかしら?)
前回もそうだった。 アレクシウスの告白を受けた後に、王宮でマグヌスを見つけたのだ。
そして、今回も……。
(縁を感じるから……、と言って、想い続けるなんて。 私にはもう……、できないわ)
昨晩のような衝動がまた、起きるかもしれない。 アレクシウスを心配させるのは、不本意だと思っていた。
(もう、関わりたくない……)
それが本音だった。 早くマグヌスを忘れて、楽になりたかった。
だからといって、フレイヤ王女の願いを無下にする事はできない。 もはや、堂々巡りだった。
――トントントン。
何かをノックする音で、意識を取り戻したセシリアは驚いた。 いつの間にか、馬車の中にいたのだ。
慌てて扉を開ければ、そこは『エヴァーグリムの妖精』の前ではない。 懐かしい友人のタウンハウスの前だった。
「なんで?」
「だから言ったじゃないですか。 本当に良いんですか?って。 じゃ、ちゃんと送りましたからねっ」
プリプリしている御者は、セシリアを一人残し、サッサと馬車を走らせた。
セシリアは、目の前に立ちはだかる門と、その両脇に立ち圧を放つ衛兵を前に(どうしたものか……)と、悩んでいた。
(ウルリカに相談できたらいいな……)と、考えてはいた。 だからといって、直ぐに会えるものでもない。 そんな呟きが、御者に伝わっていたのだろうか。 それとも、無意識に「ステンボック家へ」とでも言っていたのだろうか。
「あの……」
恐る恐る衛兵に声を掛けると、視線だけギョロリと向けてくる。
「ウルリカは……」
と言いながら、断られる事を予想していた。 そもそも、こんな平民丸出しの自分が正門から入れる訳がない。
首をすくめて、叱られる準備をした。
「セシリアさんですよね。 お嬢様はいらっしゃいますよ」
目を疑う程の微笑みと共に、重々しい音を立て正門が開いた。
聞けば『セシリアは大事な友人だから、いつ何時でも必ず招き入れるように』と、ウルリカだけではなく、夫人にも言われていたらしい。
セシリアは、思わず泣きそうになった。 洋裁店の制服を着ている自分を、変わらず友人として、正門から受け入れてくれるステンボック家の人々。
『感謝』だけでは言い表せない、複雑で温かい感情が、彼女の胸を満たしていた。




