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17 サヨナラ

「何してんだっ! セシリアっ!」


 セシリアの耳に、静寂を切り裂く叫び声が届いた。 急激に後悔の念が押し寄せる。


 結局の所、自分はズルい人間だった。 マグヌスを想いながらも、アレクシウスの好意に甘え、彼の優しさに胡座をかいていたのだ。 なんと図々しく厚かましいのだろうか。 


(アレクシウスにも、迷惑しかかけなかったわ……)


 だから、セシリアは振り返らない。 『もう、()()()()()()』その一心だった。


 伸ばした手はやっぱり、マグヌスのオレンジ色の髪には届かない。 ギュッと目を閉じた彼女の身体が宙に浮く。 そして、頭からゆっくりと……。


(さようなら……、愛しい人……)


「バカっ!」


 アレクシウスは走った。 驚くほどの瞬発力で。 


 あっという間に彼の肺は焼け付き、喉の奥に鉄の味を感じた。 視界の端が白く歪み、宙に浮くセシリアしか見えない。 その彼女に必死に手を伸ばす。

 心臓が爆発するように鼓動を打ち、肋骨を内側から破壊する勢いだった。 


 かろうじて届いたセシリアの脚をたぐり寄せ、反射的に柵を蹴る。 日常ではあり得ない動きに、全身の筋肉が悲鳴を上げた。 ――だが、まだだ。


 セシリアの柔らかな身体を両手で抱きしめ、その柔らかさを、彼女の香りを、彼女の息遣いを、彼女の悲鳴に近い訴えを聞いて、初めてアレクシウスは安堵した。

 自分の荒い呼気と激しい鼓動とセシリアの金切り声が生存証明だった。


「離してっ! 離してってばっ!」

「嫌だッ! 絶対、離さないっ!」


 アレクシウスに羽交い締めされたセシリアは、彼の腕から逃れようと、力任せに彼の背中に拳を振り下ろす。 

 だが、アレクシウスは彼女の胸にしがみつく。 イヤイヤをする子供のように、その頭を擦りつけていた。


「リアがアイツを忘れられないのは、わかった。 でも、死ぬのはおかしい」

「お願い、行かせて。 もう、疲れたのよ」

「だったら……、もう、アイツの事なんていいって言うなら、なんで俺を選んでくれないの?」


 アレクシウスは顔を上げ懇願する。 彼の濡れたアンバーの瞳が朝日を浴びて煌めいた。 

 その艷やかな煌めきに、ドキリとしたセシリアだったが、力強く首を振る。


「もう、わかったでしょ? 私はマグヌスを忘れられなかったの。 なんなら、前よりヒドイわ。 きっと、アレクを傷付ける……」

「いい。それでもいい。生きていてくれれば。 俺は、マグヌスを忘れられないリアを、そんなリアを好きになったんだ。 だから、構わない」

「お願い、許して……」


 セシリアは再び彼の腕の中から逃れようと、彼の肩に手を掛け力を入れた。 だが、余計にきつく抱きしめられるだけだった。

(このままでは埒が明かない)と悟ったセシリアは、アレクシウスの申し出を一旦()()()()()()()をする事にした。 が、上手く行かない。


「そう言って、また逃げる気でしょ?」

「逃げるって、何処へ? 私には何も無いの。 生きるためには、あなたの店でお針子をするしかないのよ……」


 そこで初めて、アレクシウスの腕の力が弱まった。


「言っておくけど……、本当は言いたくないけど。 もし、俺の事が好きになれなくても、仕事とこの事は()だから。 それは、わかって」

「えっ!?」


 セシリアには理解ができない。 てっきりアレクシウスは、自分が彼の想いに応えるのを期待して、仕事をまわしているのだろう。と、思っていたのだ。

 だからこそ、マグヌスへの想いは断ち切れない。と、確信したからこその、()()の行動でもあったのだ。


「だから、いいよ。 そのままで」


 セシリアの身体から腕を離す事なくアレクシウスは立ち上がり、彼女の身体に自分のガウンを掛ける。 

 そこで初めてセシリアは、自身のあられもない姿に気が付いた。

 薄手の寝間着のままなのだ。 カァーっと頬が火照り、紅潮していくのがわかった。 なんて姿なのだろうか。


 アレクシウスは、そんな状態なのを知ってか知らずか、素知らぬ顔で見つめてくる。 セシリアは思わず、ガウンの合わせを胸の前に交差する。


「――可愛い」


 恥ずかしそうに俯いたままの彼女の耳に、届くか届かないかのか細い声で囁いたアレクシウスは、再び彼女を抱きしめた。


 今までは、セシリアの気持ちに遠慮して、見守るだけで満足していたアレクシウスだったが、心を決めた。

(こんなにもセシリアを傷付け、追い込んだアイツに気後れする必要もない。 あの男はセシリアを見限った上に、リアをこんなに追い込んだんだ。 だったら……)


「もう、遠慮しない……」

「えっ?」


 不安げなセシリアの瞳が揺れながら、アレクシウスの顔をのぞき込む。 そんな彼女に、彼は頬を擦り寄せた。 彼の押し留めていた感情が、想いが、堰を切ったように溢れ出した。


「もう、死のうとしないで。 リアがいなくなると悲しむ人間が、ここにいる事を覚えていて。 リアが俺から離れて行こうとしても構わない。 だから、だからお願い」


 そこでセシリアは気が付いた。 アレクシウスの声が、自分に触れる指先が、細かく震えていることに。

 アレクシウスの必死の想いが、セシリアの琴線に触れ、暖かい気持ちが広がった。 死を望んでいた彼女の心の暗闇を、彼の想いが照らし始めたのだ。

 セシリアは、震えるアレクシウスの背を擦る。


「ごめん、アレク。 もう、大丈夫。 落ち着いたわ。ごめん……、ごめんなさい」

「リア……」


 ガクンとアレクシウスの膝が折れ、二人は崩れるように座りこんだ。 


「クックック」


 アレクシウスが、急に笑い出した。 その声はだんだんと大きくなる。


「あぁ、良かった。 リアが生きてる」


 気が付けばアレクシウスは泣いていた。 朝日に照らされ黄金色に輝くその瞳から、次から次へと涙があふれ出ていた。

「セシリアを失ってしまう」という恐怖が去った後にやって来たのは、込み上げてくる滑稽な程の笑いだようで、彼の内側から、安心感が漏れ出した。


「リア……、リア……」


 セシリアにしがみつき、泣きながら笑っている様子は異様だった。

 歳上のアレクシウスが、恥も外聞なく泣き笑う様子に、セシリアは彼の想いを再認識し、震えるような感動を覚えた。


 その瞳から溢れ出した雫が、自分のためだけに流されたのだと思うと、胸の奥が熱くなるのだ。

「リア」と呼ぶ声が震え、すがるように差し出される指先は、まだ震えている。

 セシリア自身が投げ捨ててしまおうとした、この命を、彼は必死に繋ぎ止めたのだ。 彼の涙は、セシリアの存在を肯定し、全てをあきらめた彼女の凍りついた心を優しく溶かしていく。


「ごめんね……、ごめんなさい」


 セシリアは、アレクシウスの銀狼の様な彼の髪を、指ですくった。何度も何度も。








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