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16 破滅

 その夜、セシリアはまったくと言っていい程、眠りにつく事が出来なかった。

 灯りを消して目を閉じれば、いつものように愛しいマグヌスが現れる。 マグヌスが甘く囁く声が聞こえる。はずなのだが、今日はその声が聞こえない。


 そればかりか、淋しげな瞳でセシリアを見下ろすだけなのだ。 堪らなくなったセシリアは「マグヌス……」と、手を伸ばすのだが、やはり冷たい空気に触れるだけだった。


「もう、夢の中もダメなの?」


 夢裏(むり)の出来事だとわかってはいるが、それでも彼に愛されたい一心だった。 

 起き上がったセシリアは、冷たいベットで膝を抱える。


「もう一度、あなたの瞳に映りたかった……」


 やり直せるのなら、あの日、あの時に戻り、戦場に出る事で自分との結婚を掴み取ろうとしていた彼を、誠心誠意(ねぎら)いたい。


『平民でも構わない』


 あの発言は、一刻でも早くマグヌスと結婚したかったからだと、謝りたい。

 でも、もう取り返しが付かない。 彼の心はあの瞬間、離れてしまったのだ。 時間が経って理解した。


「でも……、好きなの……」


 誰にも受け止めてもらえない言葉が、口唇からこぼれ落ちる。 吐き出した恋心が、呪いの様にまとわりついてくる。 喉の奥が熱く痛い。 


「こんなに、こんなにも好きなのに……」


 膝を抱える手に、ギュッと力が入る。 目が膝にあたる場所が、ジンワリと生暖かいくなる。

 声にならない嗚咽が喉の奥で詰まりだした。きつく結んだ手に、もはや感覚は無い。


 どんなに想っても乞い願っても、もう()という存在は、彼の世界にいないのだ。

 あの、優しい笑顔も柔らかく耳朶に響く低い声も、もう私ではない()()の物なのだ。


「わかってる。 わかっているのよ……」


 だからといって、この胸の痛みを、やるせなさを一体何処へ持っていけばいいのだろうか……。


 闇夜の静寂が、より一層セシリアの絶望を増幅させる。

 マグヌスとの思い出は、愛しい記憶であると共にセシリアを苦しめる甘い()でもあった。


――時計の秒針が、規則正しいリズムを刻む。 その一秒一秒が永遠に続くように、セシリアの絶望が少しずつ少しずつ深まっていく。 愛しい()が、セシリアの心により深く刺さっていき、抜けない楔と化していく。


「……疲れたわ」


 どれほどの時が経っただろうか。 泣きつかれたセシリアは、掠れた声で呟いた。 

 顔を上げたセシリアの視界に、漆黒の闇夜を過ぎ薄明るくなった窓の外が映る。


「………」


 頬に髪が張り付いているのも気にせずに、セシリアは床に足をつく。 床の冷たさが心地良い。

 まるで夢遊病者のようにフラフラと部屋を出てしまったセシリアは、薄い寝間着のままなのを気にする素振りもない。 裸足のまま、人気の無い廊下を通り階段を登っていった。


 ギィーッと重厚な音を立てながらセシリアが開けたのは、屋上への扉だった。 顔を上げた彼女の瞳に、オレンジ色に染まる水平線が映る。


「ルーエンホフドの(たてがみ)……」


 セシリアは、夜明け前の一筋の光に惹かれるように、ヨタヨタと歩く。 手を伸ばしながら。


「あぁ……、マグヌス……」


 再び、彼女の頬を涙が伝う。 とうに枯れ果てたと思っていた涙が。


 トスンと腹部に何かがあたった。 転落防止の柵だ。 

 だが、セシリアは気にしない。 今、彼女の脳裏には、あの日、別れの日に、朝日を浴びながら飽きることなく接吻(キス)を交わしていた記憶だけが蘇っていた。 幸せの日々の記憶だけが。


「……マグヌス、愛してる」


 セシリアは身を乗り出し、手を伸ばし続ける。 まるで、オレンジ色に輝く水平線がマグヌスであるかのように。


 セシリアの(かかと)が浮いた。 彼女は、幸せそうに微笑んだ。



★★★★★欲しいです。

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