14 運命
伯爵令嬢の頃に戻ったような錯覚と、王女殿下と対面している優越感は、まだ若いセシリアを勘違いさせるのに十分だった。
次第に、貴族令嬢にでもなったような気になっていた。 平民にもかかわらず。
そして、またもや若いセシリアを勘違いさせる出来事が起こった。
マグヌスと王宮内で、バッタリと出くわしたのだ。
その瞬間、セシリアの時間は巻き戻る。
頭を下げ、道を開けるセシリアの前を、彼らは当たり前のように通り過ぎて行く。
だが、彼女の五感は彼の全てを捕捉する。 彼女の瞳は彼の動きを、鼻は彼の香りを、耳は彼の声を逃さない。
そして、彼女の肌はあの夜の彼の振る舞いを思い出し、彼女の口唇は彼との接吻を思い返す。
可惜夜のあの誓いを。
一瞬でセシリアは、マグヌスに恋していたあの頃に戻ってしまった。 もう、マグヌスの事は忘れようとしていたのに。
もう、二度と会えないと思っていたマグヌスに、この広い王宮内で再会したのだ。 燻っていた恋心が、運命という思い込みで再燃する。
(きっと神様が、私たちを再び合わせてくれたのよ)
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階下から上がってくる騒がしい足音と共に、作業場の扉が音を立てて開け放たれた。
職人たちの手が止まり、彼らの視線が入口へ集まった。 そこには、息を切らせたセシリアの姿が。
「アレクはどこ?」
挨拶も無い彼女に、職人たちは眉を寄せたが、一人の若い職人が「執務室にいるはずです」と答えた。
すると、礼も言わずに彼女はまた、走り出す。
「まったく、何様なんだか」
「あれで、貴族相手の商談……とか言うんだから、呆れるわ」
この所のセシリアの態度に、職人たちの不満が募っていた。 彼女が『アレクシウスのお気に入り』というのも周知の事実で、それも、彼女への不満を煽っていた。
そんな事は露程も知らないセシリアは、執務室の前で呼吸を整え、落ち着いて扉をノックし、アレクシウスの返答を待っていた。
ただ、その落ち着いた態度も「どうぞ」という彼の返答が返ってくるまでの、短い時間だったが。
「ねぇ、聞いて。 今日、誰に会ったと思う?」
跳ねるようにアレクシウスの執務机に近づいたセシリアは、声を弾ませ問いかける。
「マグヌスよ。 彼に会ったの、彼がいたのよ。 王宮に」
ウットリと目を細めマグヌスを語るセシリアに、アレクシウスは言いようの無い不快感を覚えた。
先ほどまで、セシリアが訪ねて来たことに心浮かれていたが、今はどうだろうか。 心に鋭い痛みが走る。
「そう……」
努めて素っ気なく返したアレクシウスだったが、心の中は嫉妬の炎が荒れ狂っていた。
セシリアがマグヌスをまだ、思っている事は重々承知の上で、自分の想いを伝えたつもりだったが、実際、目の前で愛しい彼女が自分以外の男を話題にするのは、想像以上に堪えた。
セシリアが「マグヌス」と口にする度に、ドロリとした感情がアレクシウスの中で広がっていく。
だが、セシリアの無邪気にマグヌスを語る様子に、悪意は微塵も含まれていない。 ただただ、マグヌスとの再開に喜んでいるだけなのだ。
それが余計にアレクシウスの心を苦しめていた。
チリリとした胸の痛みを誤魔化しながら、アレクシウスは穏やかに微笑む。
微笑みながらも、他の男の名前を形取る、その可愛らしくよく動く、忌わしい口唇を塞いてしまいたい衝動を抑えていた。
抑えながら、愛しい彼女の恋人の話に耳を傾け続けた。
ただ一度、廊下で一瞬すれ違っただけの話を、何度も何度も繰返し話すセシリアを、頬をピンクに染め、少しはにかむように話す愛しいセシリアを苦々しい思いで見つめながらも、アレクシウスは(いつか彼女にこんな表情をさせてみたい)と、儚い願いを持つのだった。
向かい合って話しているはずなのに、セシリアの視線はアレクシウスを通り越し、その向こうを見ている。 その事が、アレクシウスの心に小さな澱みを作るのだった。




