11 告白
飲食店を出た二人は、洋裁店へと戻る途中の公園のベンチに、並んで座っていた。 暗空には星が輝いていた。
お酒のせいか、身体が火照っていたセシリアは、一度冷たい空気で頭を冷やして、よくよく考えたかった。
「――冗談は止めてよね」
セシリアは首を振った。 アレクシウスから、好意を寄せられているなんて、思いもよらなかった。そう感じた事も、勿論ない。
ただ、面倒見の良い人なんだろう。と思っていただけだった。
「俺は……、本気だよ。 ちゃんと、考えて。 待ってるから」
「待ってるって言われても、私……」
視線のやり場に困ったセシリアは、自分の靴の先を凝視する。
だって、物心がついてから今まで、マグヌスの事しか考えた事が無かったのだ。 マグヌス以外の男性に興味も関心も持った事がないのに、急に好意を向けられても、どうしていいかわからない。
指先が、スカートの裾を握りしめる。
「私、分からないわ。 だって、ずっと、マグヌスと結婚するって思っていて、マグヌスだけで。 それで……、それなのに捨てられちゃうし……」
セシリアの瞳から、ポロポロと涙がこぼれ落ちた。
「また泣くぅー。 もう、泣かすつもりは無かったんだけどな」
困ったようにアレクシウスは、服の裾を引っ張りセシリアの涙を拭おうとする。 その行為がいつも通り過ぎて、セシリアは笑った。 泣きながら笑った。 鼻先に、いつもの彼の柑橘の香りがした。
「とにかく、急いで返事を出さないで。 俺がセシリアを好きだって事だけ覚えておいて。他は、どうでもいい。 俺の事が嫌いになったら、その時は直ぐに教えて」
「何それ。返事をしなかったら、アレクシウスの事が好きって事になるじゃない」
目を擦りながら、無邪気に答えれば、彼の真剣な瞳がセシリアを捕らえた。 まるで、心の奥底を覗き込まれているような、熱を帯びた瞳。 自分が入り込む隙があるかどうかを、じっくりと見定めているようにも見える。
至近距離で重なる視線は、どこまでも甘く深い。
トクンと心が跳ねた、――気がした。その瞬間を狙ったかのように、彼は口唇で、セシリアの涙を拭った。
驚いたセシリアの瞳から、涙が引っ込んだ。 頬に伝わる突然の、それでいて柔らかな衝撃。
それは、ほんの数秒、あるいは瞬きよりも短い出来事だったが、彼の吐息がかかった頬の温度が、甘い痺れとなって全身に広がっていく。
「何? 今の……」
「ちょっとは、俺の事も気にしてよ。 よく言うじゃん。 新しい恋で古い恋を上書きするって」
「初めて聞いたわ」
「そりゃそうだ。 今、思いついた」
二人は声を上げて笑った。 笑い声が闇夜に響く。
「――そうね。 私、アレクシウスの事は嫌いじゃないわ」
笑い声が静まった後の、柔らかな余韻。 セシリアは、つい、ほだされてしまった。 マグヌスで覆われていた彼女の心の隙間に、アレクシウスが割り込んだのだ。
アレクシウスが、戯けた調子を残しつつ、声を低くしてセシリアの耳元で囁いた。
「アレクって呼んで」
ふざけ合っていたはずの彼の視線が、熱を帯びているのに気が付き、セシリアは緊張を覚えた。
「嫌よ」
「やだ、呼んで。 呼んでくれないと接吻するぞ」
「何それ」
「また言った。『何それ』って、口癖?」
再び、戯けた調子に戻ったアレクシウスに安堵したセシリアは、彼の鼻を摘みながら言った。
「アレク。あなたの事、嫌いじゃないわ」
「……本当に? 冗談じゃないよね?」
彼の声から、戯けた響きが、また消えた。 彼の銀狼の様なアンバーの瞳が月光に妖しくきらめく。 セシリアは魔法にかかったかのように、彼の瞳から目が離せない。
「……冗談で済ませたくない」
アレクシウスの声が掠れ、ゆっくりと差し伸ばされた冷たい手が、セシリアの頬を優しく包む。
そして、二人の距離がゆっくりと縮まり、彼女の視界が彼の影で覆われていく。
触れるか触れないかの距離で、互いの吐息が混ざり合う。 今度は口唇の上で。
重なり合った感触は、驚くほど柔らかく、そして温かい。
「リア……」
今にも泣きそうな程の切ない声で、アレクシウスはセシリアを呼ぶ。 それに応えるかのように、セシリアは瞼を閉じ、顎を上げた。
――セシリアの心の大部分を占めていた『マグヌス』の中、滴り落ちた『アレクシウス』という雫は、ゆっくりと、だが着実に、その波紋を広げていった。
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石畳の上を、二つの長い影が寄り添うように伸びている。
二人の住まいは店舗の上階に、(他の店員もそうだが)それぞれの部屋があった。 ということは、帰り道が一緒なのだ。 部屋の前まで。
コツコツという石畳を歩く規則的な足音が、気まずい静寂を埋めていた。
お酒の酔いも、とうに無くなっていたセシリアは悩んでいた。 先ほどの接吻は「好き」の証明だったのか、はたまた月光の魔法に掛けられたのか……。
ただ、ハッキリしていたのは嫌ではなかったという事だ。
セシリアは、上目遣いにアレクシウスを盗み見る。 すると、ニヤニヤしている彼と目が合った。
「何?」
「別に?」
突慳貪な返しをしてくるくせに、彼の手はセシリアの腰に回ってくる。
「やめて」
「だって、寒いんだもん」
「そういうのは、恋人同士がする物でしょ?」
セシリアは、そっとアレクシウスの腕を押し退ける。
「でもさ、友達……でも無くない?」
「は?」
「だって、接吻したじゃん」
そう言うと、意地悪そうにセシリアの口唇を親指で拭う。 その視線はとても甘く、セシリアは溶けそうだった。
『雰囲気に飲まれる』とは、こういう事なのだろう。
「あれは……、事故。 そう、事故よ」
「事故って言う割には、腕を回してきたけど?」
アレクシウスの瞳が、獲物を狙う銀狼の様に妖しげにきらめく。
「それは……、そうね……。『好き』って言ってくれた感謝の気持ちよ」
「なんだよ、それ」
カラカラと笑いながら、アレクシウスは嬉しそうにセシリアの肩に手を回す。
「だから、もう、止めてよ」
セシリアはまた、アレクシウスの腕を引き剥がす。
「いいじゃない。 友達以上、恋人未満って事で」
「何それ」
「でた。 『何それ』」
アレクシウスは、また楽しそうに笑う。
街灯に照らされ、路面に映る二人の影は、付かず離れずを繰返し、『エヴァーグリムの妖精』が入る建物へと消えていった。




