結婚の日
ぐめら様へ
純白の花嫁衣装に身を包んだクラーラは、濃紺の儀礼服で身なりを整えたアイザックから差し出された腕に小さな手をかける。
ずっとこの日を待ち望んでいた。今日この日のために少しずつ準備して、この花嫁衣装もエイヴァルトに見てもらう瞬間を楽しみに選んだものだ。
真珠の光沢を思わせる瑞々しい肌に衣装をまとい、いつもと違う化粧をほどこして。結い上げた茶色の髪と花嫁を隠す薄いベール。
一つ一つの工程が終わるにつれクラーラの心には、幸せな花嫁には似つかわしくない、暗い重みが積み上げられていった。
今日は待ちに待ったハレの日。笑顔は必須。そんなクラーラの異変に気づいたのはアイザックだ。
エスコートの腕にクラーラの手がかけられただけで、緊張とは異なる強張りを感じ取った。
「クラーラ?」
アイザックに名前を呼ばれると同時に扉が開かれる。中には多くの招待客と、真っ直ぐ先の一番遠い場所には愛しい人が待っていた。
白の儀礼服に身を包んだ彼は恐ろしいほどに美しくて素敵で言葉を失ってしまうほど。
対してクラーラの姿を目にした彼も、溜息と共に感嘆の表情を浮かべている。
これからアイザックに連れられてエイヴァルトの元へと向かう。生演奏も開始された。けれどクラーラは動けず、そんなクラーラをアイザックは急かさなかった。
クラーラはどうしたらいいのか分からなくなった。足が動かないのだ。
アイザックは急かすのではなく、理由を問うためにもう一度「クラーラ」と呼びかける。
「どうした?」
見上げると優しい目がクラーラを見つめていた。
幼い頃から変わらない、クラーラを大切にしてくれる兄の目だ。
母が死んでから二人きりになって、クラーラを育て支え続けてくれた人。クラーラを最優先していつも側にいてくれた。誰よりも太く逞しい腕と大きな体。不安だったり怖かったり、何かあるとすぐにこの大きな体の後ろに隠れて守ってもらった。
エイヴァルトと出会って恋をして、身分の問題がなくなって、夫婦として結ばれることができる。お互いにたった一人の相手として人生を歩んでいくのだ。
叶わない恋が叶って浮かれていたクラーラは、今この時ようやくアイザックと離れるのだと気づいてしまった。
兄と妹。たった二人きりの家族だった。けれど今日からクラーラはアイザックから離れてエイヴァルトと家庭を築く。この逞しい腕や背中はクラーラのものじゃなくなる。
頼り切った相手から離れる不安に、別々の人生を歩む現実に、クラーラはこの時になって初めて気づいてしまったのだ。
いつまでも甘えていられない。いい大人なのにと思う。けれど不安なのだ。一人になるアイザックのことも心配だった。
浮かれるばかりでアイザックを一人にしてしまうことに気づけていなかった。どんな時も側にいて守ってくれた兄なのに……。
そのことにようやく思い至ったのだ。なんて薄情な妹なのだろう。
今日でお別れだなんて当たり前のことなのに、どうして気づけなかったのだろう。
今にも涙が零れそうになる。でも泣いては駄目だ。クラーラは唇を噛んだ。
「クラーラ」と、アイザックが名前を呼んでくれた。そうしてベールに手を入れて、噛み締めた下唇を引っ張る。
「おめでとう。この日を待ちわびていたよ」
「わたしがいなくなるのを?」
ひねくれたクラーラの言葉にアイザックはふっと笑って静かにクラーラを抱き寄せた。
「幸せになる日をだ」
クラーラはアイザックに腕を回さない。抱きしめ返したら自分一人が幸せになって、アイザックを一人ぼっちにしてしまうような気がしてしまったのだ。
「お前はエイヴァルトを幸せにするんだろ?」
整えた髪を壊してしまわないように、無骨な男がこれでもかと優しく頭を撫でてくる。大きな筋肉の乗った胸板の向こうからは、鼓動が規則正しくゆっくりと刻まれて耳に届いていた。
この音はクラーラを安心させてくれる。もっと聴きたくて耳を寄せた。
「毎日こうして抱きしめて、家族がどういうものだか教えてやれ」
零れそうになる涙を必死に堪えて無言で頷く。
「もし嫌なことがあったならいつでも戻って来い。お前には帰るところが二つあるのを忘れるな」
「アイザック!」
クラーラは堪らずアイザックに飛びついた。太い首に腕を回すと軽々受け止められて体が宙に浮く。
「今までありがとう」
「ああ」
「これからもよろしくね」
「もちろんだ」
兄妹二人で支え合ってきた。それを知る参列者から拍手が起こり、感動の涙が零れる。
クラーラはアイザックにとっての宝物だ。そしてアイザックはクラーラにとってかけがえのない、代わりのいないたった一人の大切な自慢の兄だ。お互いがそれを理解している。喧嘩をしたって根底にあるのは互いを想う気持ちだった。
二人は一歩ずつ、ゆっくりと歩いてエイヴァルトへとたどり着く。託されたエイヴァルトは深く頭を下げた。
「頼んだぞ」
「命に代えても」
「何があろうと生き残れ」
そう言ってアイザックは笑っていた。




