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6好みの女性



 一人思い悩むエイヴァルトの隣で、フランツが唐突に「俺、結婚が決まったんだ」と告白した。

 結婚を考えるような女性がいたのかと、初めて聞く部下の祝い事に驚いていると、クラーラが「そうなの? おめでとう!」と高い声を上げる。


「相手はどんな女性なの?」

「五つ年上の、王城勤務の美人。式にはアイザックと来てよ」

「絶対行く! 結婚式に出席するの初めてよ。楽しみにしてるね!」


 どうやら部下は結婚するらしい。交際している女性がいるのすら知らなかった。

 そうか、結婚するのか。となると、フランツはクラーラに特別な感情はないのだと知りほっとしてしまった。

 いや、ほっとしてどうするのか。たった今、自分とクラーラには未来がないと思ったばかりなのに。せめてクラーラには良い相手と巡り合って幸せになって欲しいものだ。

 だがしかし、心からそう思えない自分もいた。


「フランツさんって本当に年上の女の人が好きよね?」

「俺は甘えたい質だからね」


 ほう、部下は年上の女性が好みで甘えたがりのようだ。

 どうでもいい情報のようだが、実際にはフランツの好みがクラーラでないことや、フランツが結婚することに対してクラーラがまったくショックを受けていないことに、二人の間に恋愛感情がないと分かってエイヴァルトはほっとしていた。


「隊長はどんな女性が好みですか?」


 フランツが唐突に話を振ってきた。しかも女性の好みだと? そんなの決まっているしフランツはとっくに気付いているのに、クラーラの前でなんて質問をしてくれるのだ!?

 焦るエイヴァルトだったが、顔には出さずにお茶を一口含んだ。

 クラーラからは強い視線を感じる。


「そうだな……明るい女性だろうか」


 当たり障りなく答えたつもりだが、クラーラが弾けるような笑顔になった。


「クラーラ、隊長はこんな見た目してるくせに、浮いた噂の一つないんだ」

「……そうなんですか?」


 クラーラが上目遣いで窺うように見てくる。あまりの可愛らしさに、エイヴァルトはこれはいけないと感じていったん目を閉じた。


「そんなことはないと思うが?」

「そんなことありますよ。よりどりみどりのくせして、寄ってくる女はぜーんぶふってるじゃないですか」


 それは厄介なことになっては面倒だからだ。

 エイヴァルトはトリン侯爵家の人間として、間違いを犯すようなことをしてはならない。

 秋波を送られていちいち応じていたらとんでもないことになるし、これまで気になる相手すらいたことがないのだから……と思い至り、エイヴァルトはようやく自分に浮いた噂の一つもないのだと気付かされる。

 これではまったくもてない男のようではないか。

 クラーラの反応が気になったが、様子を窺うと「誠実な方なのね」と胸を押さえて呟いていた。


 エイヴァルトは決して誠実ではない。そうなら少なくともアイザックに苛立ちをぶつけたり、会ったこともない女性を愛人の子と蔑んだりしない。


 初めて好きになった人から向けられる眼差しに、エイヴァルトは後ろめたさを感じて胸が締め付けられる。人を好きになるとはこういうことなのかと実感させられた。


「私は君が想像するような男ではない」


 クラーラからは無条件に好意を向けられる。受け止めるエイヴァルトは、彼女の想像と異なる我が身が申し訳なくてならなかった。

 エイヴァルトは話題を変えるためにお茶を一口飲んで姿勢を正した。


「一つ、報告しておきたいことがある」


 エイヴァルトの一言で場の雰囲気が変わった。フランツも身を正し、クラーラはにこやかな表情を消してエイヴァルトをまっすぐ見つめた。


「君を襲ったアヒムを釈放した」


 アヒムはクラーラに対する暴行の現行犯だが、実際にはあまり重い罪にはならない。予想していたのかクラーラは「はい」と返事をしただけで文句の一つも言わなかった。


「奴には他の事件に関わる疑いがかけられている。釈放されて早々に面倒は起こさないだろうが、絶対ではないので気をつけてほしい」

「分かりました」


 他の事件がなんなのか聞いてこないのは、言えないと察してなのか。無邪気で明るい中にも聡明さが窺える。これはアイザックの影響なのだろうか。もしくは騎士の事情を教えられているのかも知れない。


 アヒムを釈放する決断をしたのはエイヴァルト自身だ。クラーラに暴挙を働いた男を解放するのに躊躇があったが、違法薬物の取引に関わっているとなって泳がせることにしたのだ。

 本来なら昨日、取引の現場を押さえる予定だったが、近くで騒ぎが起きてしまったので中止になった。警らを預かる騎士たちは、あくまでも一般人を助けただけを貫き、警戒されないためにアヒムが所持していた薬物も使用の痕跡がないとして没収にとどめた。


「何があるか分からない。通りを歩くなら人通りが多い時間を選んで、仕事も明るいうちに帰宅できるよう努めて欲しい。必要なら私から職場に話をしよう」

「分かりました。職場には自分から伝えます。あの……それってどのくらいの期間ですか?」

「アイザックが戻るまでには解決したいと思っている」


 この件を片付けてアイザックにこれまでのことを謝罪しようと考えていた。

 それで許してもらえると思っていないし、クラーラとどうこうなれるとも考えていない。ただ自分のくだらない自尊心を守るためにした悪行から、目を背けることはできなかった。


「アイザックの不在中、何かあればいつでも相談して欲しい。騎士団に伝言を入れてくれたらどこにでも駆けつけるから」


 そう言ってフランツとともに部屋を後にした。


 帰り道、辺りは暗くて人通りも少ない。すっかり長居していたと気付く。渡したスープは冷めてしまっただろう。温めなおして食べてくれるだろうか。


「飯でも食って帰りますか?」


 誘われてエイヴァルトが立ち止まると、フランツも歩みをとめた。


「フランツ、悪かった」


 エイヴァルトが頭を下げる。唐突な行動だったが、フランツは驚くことなく受け止めていた。


「分かってくれたならいいです」


 友人の、さらにはその妹の悪口や不満を耳にしたフランツはどれほど不快であっただろうか。申し訳なくて頭を下げるエイヴァルトに、フランツは「顔を上げてください」と告げた。


「顔が可愛くて綺麗なだけじゃなくいい子でしょ。年単位で会ってなかった兄の友人を笑顔で迎え入れて隔たりなんて感じさせない」


 確かにそうだが、警戒心のなさが心配にもなる。


「隊長が一目惚れするのも納得できる子です。泣かさないで欲しいですね」

「……そうだな。私は深入りするべきではない」

「しないでいられますかね?」


 エイヴァルトはフランツに彼女への態度を測られていたのだ。貴族だからとか庶民だからという前に、人には心があることを、部下が上司に説いている。


「努力する」

「受け入れる努力って選択はないんですか?」

「受け入れる?」


 そんなことは無理だ。トリン侯爵家の人間として許されない。ただでさえ出来損ないと見られているのに、どこまで名を貶めればいいのかと激怒されるだろう。


「そもそも隊長はなんでアイザックを目の敵にしてたんですか。こういっちゃなんですけど、アイザックは隊長のことをめちゃくちゃ認めてますよ?」


 分かっている。認められるのは、余裕のある男の上から目線に感じて苛々が止まらなかったのだ。


「私が未熟だからだ」


 今のエイヴァルトにはそれ以外に答えられなかった。


「ふーん。まぁいいや。じゃあ隊長の奢りってことで!」


 この夜、エイヴァルトはフランツ行きつけの庶民の味を気に入ることになるのだった。




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