5悩める王子様
翌日エイヴァルトは不審がられないようフランツを伴い、クラーラの自宅を訪れた。騎士とはいえ、男が一人で訪問して変な噂が立ったらいけないと思ったのだ。
行く必要がないといわれるなら確かにそうだが、何しろクラーラは兄のアイザックと二人暮らし。そのアイザックは一ヶ月を予定とした遠征に出ているので、怪我をした彼女の状態を把握できる者がいない。
鍛えているエイヴァルト達ならともかく、細身でか弱いクラーラは間違いなく全身の痛みに悩まされていることだろう。
エイヴァルトはアイザックと見も知らぬクラーラを相手に、これまで二人にはまったく関係ない怒りをぶつけてきた。決して言ってはならない暴言すら吐いた。
許されるとは思わないし、彼女に関わるのもよくないと分かっている。
だからフランツに任せようと決めたのに、クラーラの状態が気になって仕方がなく、落ち着かない一日を過ごした。
そうして仕事を終えたエイヴァルトは、フランツを誘ってクラーラの様子を見にいくことにしたのだ。
「前からの知り合いで、アイザックと友好的な関係を続けている俺ならともかく……隊長が行くのは完全に職務外ですよね?」
「……分かっている」
この部下はエイヴァルトの初めてともいえる浮いた話に興味津々のようで、にやにやしてついてきていた。
エイヴァルトの手には、途中で購入した温かいスープがある。昨日とは違う、ちょっとお高めの店に頼んで、持ち帰り用に特別に作ってもらったものだ。午前中に注文していたあたりからして、自分が行く気満々だったことが窺える。
仕事終わりなので辺りはすっかり暗くなっていた。昨日の今日で、クラーラが心細くて泣いていないだろうかと心配でならない。
それなのに到着して扉を叩くと、明るい声がして勢いよく開かれたものだからエイヴァルトは驚いてしまった。
暴漢に襲われたばかりなのになんて不用心なのか。こんな妹ならアイザックも心配でならないだろう。彼が師団長になるのを一度は断った理由が分かったような気がした。
こうなったらアイザックがいない今、自分がクラーラを護らなくては……なんて都合のいい考えを過ぎらせていると。
「クラーラ。危ないから扉は誰なのか確認してから開けようね」
にこにこしたフランツが注意すると、クラーラの輝く瞳がエイヴァルトから逸れてしまう。
「あら、フランツさんもいたのね。ごめんなさい。妄想していたらつい」
「妄想?」
いったい何を? と思いエイヴァルトが零すと、クラーラは頬を染めて「なんでもないです」と恥ずかしそうに俯いた。
なんて愛らしい……。
じゃなくて。
見惚れている自分に気づいてはっとする。隣ではフランツがにやにやしながらエイヴァルトを肘でつついた。
心配でたまらなかったが元気そうだ。よかったと胸をなで下ろしたエイヴァルトは、スープの入った袋を差し出した。
「もしよければ」
「わたしにですか?」
「怪我が原因で動けないのではと思って」
「ありがとうございます。とてもいい匂いですね」
「行きつけの店で作ってもらった。口に合うといいのだが……」
「お気遣いありがとうございます。遠慮なくいただきますね」
輝かんばかりの笑顔を向けられて嬉しくなる。顔に出さないように、エイヴァルトは自分が彼女ら兄妹にしてきたことを思い出して己を正していたら、クラーラが「どうぞ、お茶を入れます」と、扉を大きく開いてエイヴァルトたちを部屋に招いた。
「いや、こんな時間に……」
「お邪魔しまーす!」
エイヴァルトは断ろうとしたのに、フランツは何くわぬ顔で躊躇なく部屋に入ってしまう。言葉をなくしていると、「どうぞ」と再び促されてフランツに続いた。
なんてことだ。敵対し嫌っている男の家に入り込んでしまった。しかもアイザックは不在。怪我をしたクラーラを送り届けた昨日とは状況も異なり、悪いことをしている気分になる。
ダイニングテーブルに座るように勧められて、居心地の悪さを感じながらも、またもやフランツに続いて腰を下ろしてしまった。
自分は彼女達にとって昔からの友人ではない。警戒されるべき対象だ。深く関わってはいけないのに、感情に優先されて体が勝手に動いてしまう。
「フランツさんは二年ぶりだっけ?」
「いや、多分一年ちょっと。昨日は久し振りに会ってびっくりしたよ。体調はどう?」
「もうすっかり……とはいかないけど、昼過ぎてからだいぶんよくなったの。朝は辛くて仕事を休んだんだけど、ずる休みした感じがしちゃってる」
「仕事、順調らしいね。アイザックの奴、クラーラが作ってくれたってピアスを自慢してたよ」
「初めて全部自分でやったの」
クラーラがお茶の準備をしながらフランツと軽快に会話している。フランツが緊張感なく部屋に馴染んでいる様子から、二人の仲のよさが窺えて嫉妬心が湧いた。
「チャラチャラしてるって、誰かさんに冷やかされてたな」
フランツの言葉にエイヴァルトは目を瞠った。
確かにそれは自分の言葉だが、今ここで暴露しなくてもいいだろうと焦る。
勝手な話だが、クラーラに嫌われたくなかった。
けれどエイヴァルトの心配をよそに、クラーラは「なにそれ」と愛らしく笑っている。
「チャラチャラなんて。アイザックには似合わない言葉ね」
「なぁ? あいつ硬いもんな?」
フランツはクラーラに同意しながら、意味あり気にエイヴァルトを横目で見た。
「あれ? そういえばフランツさんもピアスしてないのね」
もということは、エイヴァルトがしていないことにも気づいてくれているようだ。フランツだけでなく、自分を見てくれていたことに嬉しさがこみ上げてくる。
「戦闘で怪我するかもだからアクセサリー類を身につける騎士は少ないね」
「えっ、そうなの!?」
ポットを手にしたクラーラが勢いよく振り返った。エイヴァルトは、中の熱い湯が溢れてクラーラが火傷をするのではと焦ってしまう。
「アイザックは喜んでいたから気にしなくていいよ」
「え? あ……、うん」
クラーラが歯切れの悪い返事をした。何となくだが落ち込んでいるように見えてしまう。
二人のやりとりを表立っては静かに聞いていたエイヴァルトに、クラーラが「どうぞ」と言ってカップに入れたお茶を出してくれた。
甘い香りがして、女性が好みそうだなと思っていると、フランツが「好み変わってないね」と、クラーラと親密であることをアピールでもするかに会話を続けていた。
「フランツさんも好きだったでしょ? 好み変わっちゃった?」
「変わってないよ。疲れた体には丁度いいし。ね、隊長?」
急にふられて「ああ、そうだな」と、よくわからないまま答えてしまった。
すると前に座ったクラーラが「昨日はありがとうございました」と、丁寧に頭を下げる。
「仕事だ。礼を言われるまでもない」
やましい気持ちを隠したくてあえて硬く答えたが、冷たい言い方だったかもしれないと途端に後悔した。なので「元気そうでよかった」と慌てて付け加える。
「すぐに手当てをしてもらったのがよかったのだと思います。ほら、頬も腫れてません」
暗にエイヴァルトのお陰と言われた気がして心が浮き立った。
きらきらと輝く不思議な紫の瞳がエイヴァルトに向けられて、その瞳の持ち主が好意的に見つめてくれているのだ。
エイヴァルトはどんどん惹かれてしまう自分自身に、このままではいけないと感じた。
「酷くならなくてよかった」
なのに優しい言葉を口にして、クラーラにも自分を気に入ってもらいたいと思ってしまう。好意を向けられているのは分かっているだけに、その向けられる気持ちを失いたくなかった。
「エイヴァルト様のお陰です」
そう言って恥ずかしそうに下を向いたクラーラはとても愛らしくて、見ているだけで心が満たされた。
この気持ちを解放できたならどんなに幸福だろうか。
けれどエイヴァルトは自分がした卑怯なことの数々を鮮明に覚えている。しかもクラーラとの間には貴族と平民という、越えられない壁があった。
平民の娘は貴族の子弟に嫁げない。
爵位を持たない次男以降が貴族位を抜けて平民になることは珍しくないが、トリン侯爵家の出来損ないにも与えられる爵位はあるし、優れた見た目を使ってトリン侯爵家に有利になる結婚をしなければならない立場にある。
もしエイヴァルトがクラーラに思いを告げて受け入れてもらえたなら、それこそ愛人にするしかなくなってしまうのだ。
愛人の娘と貶めたエイヴァルト自身が、貶めた娘を愛人にするなんて。
こんなに愛らしく可憐で美しい女性を日陰者にしていいわけがない。
エイヴァルトのこの想いは永遠に秘めなければならないのだ。
それこそが関係のないアイザックだけでなく、クラーラをも苛立ちの捌け口にした自分への戒めなのだと感じた。




