4幸福の絶頂
家まで送ってもらったクラーラは、エイヴァルトを見送ってしばらくしても頬を上気させていた。
痛みなんてそっちのけでぽおっとして、長椅子に寝転び、クッションを抱きしめて悶えている。
「あんなに素敵な人がこの世界に存在していたなんて……」
暴漢に襲われたところを助けてくれて、まるで大切なものであるかのように優しく声をかけて横抱きにして運んでくれた。
まっすぐに見つめてくれる碧い瞳に吸い込まれそうになって浮つきまくっていたが、出会いから別れるまですべてをちゃんと記憶できていることに自身でも感心する。
「エイヴァルト様はアイザックを知っていたのに、どうしてアイザックは話してくれなかったのかしら?」
立ち居振る舞いからして、エイヴァルトが貴族であろうことはクラーラにも分かった。フランツのように「仲良くしている仲間だ」と気安く紹介するのは憚られたのだろうか。
騎士として働くなら問題なくても、平民のクラーラと交流をもつには身分の壁があるから、それならまぁ仕方のないことだ。
それほど親しくないにしてもエイヴァルトはあの美貌だ、きっとアイザックも知っているだろうに。
こんなに素敵な人がいるんだよ……とか。王子様のような人がいる……とか。……なんて言い方をアイザックはしないだろうが、とんでもなく顔がよくて婦女子にもてまくっている騎士がいるのだと話題にしてくれてもよかったのに。
もてまくっているはクラーラの想像だが、あの顔なうえにとんでもなく優しくて気遣いができるときている。もてないわけがない。
送ってくれることになって、二人で馬の背に揺られた。
彼の前に横向きで座るクラーラが落ちないようにと逞しい腕で支えてくれて、聞き惚れる低く心地よい声でクラーラのことを訪ねてくれたのだ。
お互い初対面。美しい素敵な騎士様と馬の背に揺られて緊張しないわけがない。現実に緊張なんてしなかったのは、クラーラが図太いわけじゃなくて、エイヴァルトが気を遣って話しかけてくれたからだろう。
夢心地でとても楽しかった。
クラーラは成人した十五から彫金師として働いていて、ようやくデザインから製作までのすべてを任されるようになったばかりだ。
記念にアイザックの瞳と同じ紫色の水晶をはめ込んだピアスを作って贈ったことを告げると、息を呑むほど驚いて「それは素晴らしいね」と言ってくれて、駄目にしてしまった夕食も買ってくれた。
もしかしたらアイザックとの間によくない何かがあるのではと感じていたが、好意的に接してくれているように思われる。
きっと自分の思い違いだと、クラーラは素敵な人との出会いに幸せをかみしめた。
「今日のお礼にエイヴァルト様にもピアスを贈るのは駄目かな?」
エイヴァルトの耳に飾りがないのは確認済みだ。貴族は女性だけでなく男性もよくアクセサリーを身に着けるという。気に入らなければ使わないだろうが……優しい人なので気に入らなくても突き返したり、捨てたりしないだろう。
「あ、でも。わたしが作ったのなんて身に着けないかな?」
クラーラのレベルでは高貴な方々にお出しできる品は無理だ。それに貴金属品となるとお礼にしては重すぎる気がする。
エイヴァルトは優しいがあれだけの美貌なので、女性に言い寄られることは多々あるだろう。彼が今までに助けたであろう女性もお近づきになりたくて、あれやこれやと考えて貢物をしているはず。
「う~ん。アイザックに相談したほうがよさそうね。でもあと三週間は帰ってこないし。どうしよう。このままだとお礼の時期を逃しちゃうよ」
クラーラはエイヴァルトと恋人同士になりたいなんて大それたことを考えていない。愛人の子と蔑まれて成長したのもあって、エイヴァルトとクラーラでは身分が釣り合わないことを十分承知していた。
それでも一目で恋に落ちたのだ。どうせ叶わぬ思いだとしても、ちょっとくらい浸ってもいいのではないだろうか。
「手作りのお菓子とかじゃ口に合わないだろうな。お金持ちや高貴な人って舌が肥えてるだろうし……」
そもそも作ってもどこに持っていけばいいのか。
クラーラは王城の側にある騎士団を訪問することをアイザックから禁止されていた。フランツによると、家族や恋人が差し入れを持ってくることはよくあるらしいのだが、アイザックは公私混同を避けたいから緊急時以外は来るなと言うのだ。
もちろんクラーラはアイザックの言いつけを守っていたし、そもそも行く用事がないので訪ねたことなんて一度もない。
「助けてくれた時は近くの詰所って言っていたから、今日行ったところにエイヴァルト様がいるってわけじゃなさそうだしなぁ」
それにクラーラなんて大勢の中の一人にすぎない。
はぁ……と溜息を零しても頬は薔薇色に染まって(殴られた方は腫れている)いる。後ろ向きなことが浮かんでも心は晴れやかだ。
クラーラはアヒムに襲われたことなんてすっかり忘れて、素敵な出会いに妄想を膨らませていた。
そして翌日、全身が痛んで仕事を休んだが、寝床でゴロゴロしながらエイヴァルトとの出会いに想いを馳せ、とても幸せな時を過ごしていると、日が暮れた頃に扉が叩かれた。
「はいは~い!」と元気に扉を開けたら、なんとそこにはエイヴァルトの姿があった。




