33ノートリア子爵令嬢
イーサンが騎士団舎にやって来てから五日後、着飾ったノートリア子爵令嬢が騎士団に押しかけた。しかしながらエイヴァルトは不在にしており行先不明。
「約束していたのに酷いわ。どこにいるのか教えてください」
「任務については漏らせません」
「婚約者なのに!?」
貴族出身の騎士が対応したが、ノートリア子爵令嬢は「行き先を教えて」と言ってきかず、「戻ってくるまでここで待ちます」と居座ろうとする令嬢を追い返すのに、対応した騎士はたいへんな苦労をするはめになった。
本来ならエスコートされる側が赴くなんてあり得ない。はしたないと咎められる行為だ。
国王主催の宴には伯爵家以上の家格でないと招待されないが、同伴となれば問題ない。ノートリア子爵令嬢はよほど参加したかったのだろう。
愛らしく着飾った可憐な令嬢は大勢がいる場で恥をかくことになった。先日の騒ぎを目撃していた騎士たちの中に貴族の子弟もいたために、社交界での評判を落とすことになってしまった。
後継ぎのいないノートリア子爵家は、継ぐ爵位のない貴族の令息たちからすると好物件。総領娘であるリーリアは明るく淑やかで評判も良く、多くの縁談が持ち込まれていたが、これを期にほとんどの求婚者は去った。これまでの社交界での姿は偽りで、思い込みが激しい傲慢な娘だとの噂が立ってしまっていた。
ノートリア子爵家としては、トリン侯爵家との繋がりを望んでいるので問題ないのかもしれない。それでもエイヴァルトから完全無視されては、相手が格上といえど思うところがあるだろう。
慈しんで育てた娘が馬鹿にされていると憤慨してもいいはずなのに、エイヴァルトのもとにはノートリア子爵から苦情の一つも届かなかった。
それでもノートリア子爵令嬢は引く気がないようで。リーリアは「エイヴァルト様に辱められた」と友人らにのたまい、まるで既成事実があったかに振る舞っている。それは貞淑が求められる貴族の娘にとって価値を下げる言葉だ。エイヴァルトには異質に思えてならなかった。
エイヴァルトは仕事を理由に社交界から離れていたので、ノートリア子爵令嬢リーリアを知らない。社交にでることがある騎士に確認すると「あのような令嬢だとは思わなかった」と返される。
人前で猫を被るのは令嬢としてごく当たり前のことだが、エイヴァルトに関わってから襤褸を隠せなくなるなんて。自分は人を狂わせるほどの容姿をしているのだろうかと悩まされた。
国王陛下主催の宴の日、エイヴァルトは主たちが出払ったトリン侯爵家に忍び込んでいた。ただノートリア子爵令嬢から逃げたのではなく、この日でなければならなかったからだ。
ラインスに除籍を急かされたことと、トリン侯爵家が賄賂をばら撒いていると聞かされていたため、当主である祖父の執務室で帳簿の確認を行ったのだ。
トリン侯爵家には底なしの財産があるわけではない。ノートリア子爵領で産出される予定の金を狙っているほどなのだから、底をついていてもおかしくないと感じて調査に向かった。
ノートリア子爵領から流れる金を政権を取るための資金とするにしても、今現在はどうなっているのか。驚くことに借金だった。それも貴族の体裁を過剰に保つために、母や兄嫁たちにかかる服飾や宝石類の散財も莫大だ。さらには父や兄たちの愛人に対する費用も嵩んでいる。
後に出入りの商人を訪ねると、それらはすべて未払いで、ノートリア子爵家から得られる援助をあてにしていると思われた。
「これは破産させる気だな。もしやノートリア子爵家は……」
賄賂の件は当主である祖父に。破産の責任をとって父は引退し家督は長兄イーサンが継ぐことになるだろう。その破産はノートリア子爵から流れる資金が見込めてしまうと成り立たない。
そのためにはエイヴァルトがリーリアと縁を結ぶのを阻止したいはずだ。だが宰相であるセバスティアンからの横槍が入る気配はなかった。
クラーラを狙うエイヴァルト諸共に処罰したいのかもしれないが、エイヴァルトがノートリア子爵家を継ぐのは望んでいないだろう。なぜなら……。
「ノートリア子爵はウィンスレット公爵の……閣下の駒なのか?」
ノートリア子爵は権力の向上を望んでトリン侯爵家に接触したのではなく、罠に掛けるつもりなのではとの考えが過ぎる。
恐らく、いや、きっとそうだ。ラインスも潰されるのはトリン侯爵ライハインツと父であるカーネスだと言っていたではないか。
トリン侯爵家はイーサンに残されるが、爵位は残ってもこれまで通りの生活はできない。宮廷での政権争いからは身を引くことになる。
エイヴァルトはノートリア子爵家に入っていたら離婚だろうし、入っておらず除籍が叶えば現状維持だろう。どの道金で出世を買おうとした過去は付き纏う。
「考えが間違いでなければ、ノートリア子爵令嬢は傷を負ってしまう。なぜこのような役割を呑んだのだろうか」
傷物にしないでとの言葉を思い出す。
あれは本心なのか、それとも覚悟してのことなのか。
真実を確認したいところだが、初めて顔を合わせた時の反応が気になった。
彼女は確かにエイヴァルトの顔を見て頬を染めていた。演技で仕草は作れても頬が染まるだろうか。迂闊に近寄って予想と反していたら逃げられなくなってしまう。
どうしたものかと対応に苦慮していると、王太子が騎士団舎の見学に度々訪れていると耳に挟んだ。




