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16頼みごと


 親に……家族に逆らうのなんて初めてだった。エイヴァルトにとって家族は求めてやまない存在だったが、同時にとても遠い人たちでもある。


 幼い頃は愛されたいとの気持ちがあったのだろう。曖昧にしか覚えていないが、親に抱きしめられる同じ年頃の子供たちを見て羨ましい気持ちになったのを覚えている。

 けれどトリン侯爵家でのエイヴァルトは無能で、彼らにとって愛する存在になりえなかった。合格に満たない存在は、たとえ幼子であっても無邪気に甘えるなんて許されないのだ。

 愛されたいならトリン侯爵家に恥じない、有益になる存在にならなければいけない。


 当時は他人と比べると悲しくて辛かった。どんなに努力しても結果が伴わなければ見てもらえない。向けられるのはトリン侯爵家の面汚しと語る冷たい視線だけだった。


 いつの日か認められたい、トリン侯爵家の一員になりたいと思っていた。

 ついに望みは叶わなかったが、エイヴァルトはとてもすっきりしていた。なにか得体のしれないものから解放された気分だ。

 

 清々しい思いで騎士団舎に戻ったエイヴァルトをアイザックが待ち構えていた。

 恐らくクラーラに関わることだろう。昨夜のアイザックの態度は貴族に妹をどうこうされる焦りや怒りではなく、もっと別の何かに怯えているように見えた。それが何かはこれから判明すると思われる。

 エイヴァルトとアイザックは夕暮れ時の訓練場に出る。人がおらず邪魔されるような場所ではなかった。


「ウィンスレット公爵に会いたいんだが、どうしたら会える?」

「ウィンスレット公爵……宰相閣下か?」


 またどうしてそんな相手と。思わぬ相手の名にエイヴァルトは瞳を瞬かせた。

 ウィンスレット公爵家はカルディバー王国建国時より続く公爵家で、当主であるセバスティアンは若くから宰相を務める、国王に最も近しい存在だ。

 長い歴史と爵位からしても、エイヴァルトの生まれたトリン侯爵家では太刀打ちできない存在。トリン侯爵家は長年、そのウィンスレット公爵家に成り代わろうと画策しているのだ。

 そんな大貴族の名が出てこようとは想像すらしなかった。


「どういうことなのか説明してくれ」

「それはできない」

「できないって……相手は公爵だ。理由も分からないままでは、面会の取り付けは難しい」

「侯爵家の人間でも無理なのか?」


 紫の瞳は切実さを物語っている。いったい何があるのだろうかと、エイヴァルトはごくりと唾を飲み込んだ。


「無理というか……トリン侯爵家とウィンスレット公爵家は仲がいいとは言えない」

「そうなのか。オルトール様は隠居して領地にこもると言っていた。約束がなくても行けば会えるだろうか?」


 口ぶりからして前公爵であるオルトールとは個人的な面識があるようだ。いったいどのような繋がりなのか。想像すると緊張が走った。


 前ウィンスレット公爵オルトールは、息子のセバスティアンに公爵位を譲って早々に引退した。同時に宰相の役職からも離れて、病を得た前の王太子ローディアスが急逝するまで側に仕えた人だ。昨夜遭遇した現在の王太子ディアン殿下はローディアスの一粒種である。


 そのオルトールも三、四年前にはアイザックが言うように、高齢を理由に都から去った。オルトールも宰相を務めた重鎮だ。アイザックはそんな彼と面識があるのか。


「父親なのか?」


 まさかと思いつつ確証を持って問えば、アイザックは「いや、違う」と首を横に振った。


 違うなんてあり得るのか? 平民が前ウィンスレット公爵と繋がりがある時点で異常なのだ。アイザックが愛人の子であるのは周知の事実だが、その父親が誰なのかまでは知られていない。


「ではなぜ前公爵と面識がある?」

「それは……困った時は息子……ウィンスレット公爵を頼るように言われた。だが頼るつもりなんてなかったので、どう連絡を取ればいいのか分からないんだ」


 騎士団に属して身分が保証されていても平民と貴族の垣根は高い。出世して部隊長の地位にいても、個人的に直接声をかけるには到底及ばない相手だ。

 話が飛んだだけでなく目を合わせない。言いたくないようだが言っているようなものだ。だから今は追及するのはやめておこうと、エイヴァルトは一つ息を吐きだした。


「クラーラのことだな?」

「そんなところだ」


 それ以外にはないだろう。

 エイヴァルトは鎮痛な面持ちのアイザックを前にどうしたものかと溜息を吐いた。


 除籍してくれと啖呵を切ったばかりで、トリン侯爵家の人間として声をかけるのはばかられた。それでも個人的にウィンスレット公爵家の人間との繋がりくらいは持っている。その相手はウィンスレット公爵の次男ラインスだ。

 彼とは王立学院の同学年で、入学から卒業まで学年一位の座を独占された相手だ。卒業以来、個人的な繋がりは皆無ながらも話しかけて礼を欠く相手ではない。

 ラインスは父親の後に続くべく文官として王の側に仕えている。同じ場所ではエイヴァルトの兄二人も次代の宰相を狙って働いているので遭遇の危険があった。

 トリン侯爵家はウィンスレット公爵家と仲が良くないので、兄たちに見つからないように接触するのは骨が折れそうだ。


 けれど目の前には困っている男がいる。しかも彼に対しては、嫉妬から八つ当たりと蔑みをぶつけてしまった弱みもある。そして何よりもクラーラに関わることなら、負け続けた相手に頭を下げることだって苦ではない。


「分かった。伝手を頼ってみよう」

「本当か、感謝する!」


 アイザックはエイヴァルトの手を取ると上下に振った。馬鹿力なので地味に痛い。

 それにしても――この男は前ウィンスレット公爵オルトールの息子なのか。

 オルトールは確か七十近い年齢になるはずだ。エイヴァルトの祖父よりも一回りほど若いが、ずいぶんと年若い娘を愛人にしたものだ。

 決して珍しくはない。ないが……ウィンスレット公爵家は伝統と格式が高いだけでなく、高潔な一族で知られている。公表されると悪い印象を持たれるだろう。トリン侯爵家などが喜んで飛びつきそうな醜聞だ。


 これをアイザックやクラーラが世間に知られることを望んでいないのなら、エイヴァルトは意に沿うまで。トリン侯爵家の人間が近づくと警戒されるだろう。

 まずは過去に一度も勝てなかった相手に頭を下げるべく、アイザックと別れたエイヴァルトはその足で情報収集へと向かった。





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