怪物1
場面は変わる。ティアと三賢がまだ戦っている時、別の路地裏で黒也と末那が走っていた。しかし、ティアが三賢と戦っているため、ほとんどの構成員はそっちに意識を向けていたが、そうではない人もいる。
「お前は……【縛れ】うがっ!」
そういう人物には魔術を使い、一瞬で気絶させていった。それは決して楽なことではなかったが、それでも魔術を使わなくては切り抜けることが出来ないので、その消耗は避けられないものだった。
「はぁ……はぁ……、後どれくらい?」
「もうちょっとだよ、後一分ぐらいで辿り着く。ねぇ、少し休憩したら?そんな状態だともしもの時に動けないよ」
末那が黒也の状態を心配して、休むように促してくる。それは、とてもありがたいことだったが、それでも休むわけにはいかないのだ。今はティアが戦っているため、そっちに注目がいっているが、いつ黒也たちに気付くのか分からないからだ。
実際にここに来るまでに何人か気絶させていて、この異常なことにいつ気が付かれてもおかしくない。
その時だった。建物の上から何かがが落ちてくる。ソレは隕石が落ちて来たと錯覚させるほど、勢いよく地面に追突し、爆音を辺りに響かせる。
「なっ――⁉」
黒也は末那の前に出て、飛び散るコンクリートの破片から末那の身を守っていた。砕けた破片がジャケットを裂き、熱く脇腹をかすめる。だけど、そんなことよりその“何か”の正体が気にかかった。一体、何が落ちてきたらこのようなことになるのだろうか?そして、偶然こんなことが起きたとは到底思えず、何者かが黒也たちを狙って物を落としてきたのだろう、と黒也は予想していた。
しかし、それは半分正解で半分間違いだった。
黒い人影、ソレは砂ぼこりの中に見え、黒也がいるところに向かってきている。その正体を理解することは容易い、だけど、それを認めることは出来ない。だって、今落ちてきたものが人間で、この落下の衝撃で怪我をせず、すぐに僕のことを襲ってくることなんてあるわけないだろう。
だけど、ソレを認めなくてはならなかった。
「よォ、数時間ぶりだな」
砂煙の中から現れたのは、金剛隼人だった。金剛はこの落下の衝撃でさえ、怪我をしている様子は無く、その声には余裕も怒気もなかった。足元にあるのはクレーター。その中心に、確かな“死神”がいる。
「今回は逃げねェよな?」
逃げるわけないよ。だって、目の前の死神から逃げることが出来そうな雰囲気は一切無いのだから。前に逃げることが出来たのは。一度も魔術を見せたことが無かったからだ。もう、その力を知られているせいで、逃げようとしたところで簡単に捕まってしまう。
「黒也っ、すぐに逃げよう!」
だから、その提案に乗れない。
「一応聞きますけど、標的は僕のみですか?」
「当たり前だろ、オレが関係ない人を巻き込むと思ってんのか」
それならよかった。ならば僕がするべきことは単純だ。難易度は別格ではあるけど。
「末那さん、離れてくれ。僕は――金剛さんを倒してここを切り抜ける!」
「えっ、そんなの無理に決まって……」
「へェ、良いこと言うじゃねェか。なら、その力をオレに示せェ!」
背筋に冷たいものが走る。こんな命の危機は、夜舞黒也にとっては初めてであり、前世でも少ししか経験していない。だけど、これを切り抜けることが出来なかったら、明日はやってこないんだ。
【突き刺せ:影闇】
前世で使っていた魔術には、特徴がある。まず、最初にどのような効果を出すか命令する。ただし、これは【縛れ】や【突き刺せ】などの簡単な命令しか出せず、もっと複雑な動きをさせるためには、脳内で想像しなければならない。そして、二つ目に魔術名を言う。これは省略することも出来るが、名を呼ぶことで威力を上げることが出来る。
今、黒也が使ったのはこの二つのみで、詠唱や魔法陣などは使っていない。何故なら、この世界の魔力の薄さでは、成立するか怪しく、まだ慣れていないこの状況では使うわけにはいかないのだ。
そのため、魔術の威力が落ちていて、地面から飛び出した複数の影の槍は、金剛の表面に突き刺さるだけで、奥まで貫通することは無かった。
「ハッ、この程度でオレを倒せると思うなァ!」
(威力が落ちていることは分かっていたけど、まさかこの程度しか効かないとは。空き缶ぐらいなら突き抜ける威力なんだけどね……)
しかし、効かないと分かっていても、魔術を止めるわけにはいかない。黒也はさらに影の槍を作りだしていき、金剛に向けて放つ。だけど、そのすべての影の槍は、確かに金剛の身体に命中していたが、それらはどれも皮膚を浅くかすめただけで、奥深くまで突き刺さることはなかった。地に影を落とした無数の槍は、まるで紙細工のように無力だった。
「チッ、この程度かよ。それなら一気に終わらせるぞォ!」
次の瞬間――爆発音とともに金剛の姿が掻き消えた。
「は?」
何が起きたのか分からない。だけど、無意識で影の槍で身体を守ろうとしていた。
そして、そのおかげで生き残ることが出来たのだ。
「死ねェ!」
急に目の前に現れた金剛の拳が、無数の影の槍を貫いて。黒也の腹に突き刺さる。肺の中の空気が抜き取られるように、瞬間的に呼吸が止まり、後方へ殴り飛ばされた。その衝撃であばらが何本か折れ、口に血の味が滲んでいく。
黒也は主導権を失ったと錯覚するほど、身体を動かすことが出来ず、ただ呼吸するだけで精一杯だった。
「ぐ……っ、あ……!」
「へぇ、まだ生きているのか、しぶといな。だけど、これで終わりだ」
少しずつ、金剛が近づいてくる。しかし、黒也は身体を痛みのせいで身体を動かすことが出来ず、それから逃げることが出来ない。
ああ“死”が近づいてくる。ソレは黒也を包み込んでいき、安寧の眠りをもたらそうとしてくる。
けれど、そんな安寧など、今の僕には不要だ。まだ何も成し遂げていない。この世界に生まれた意味も、前世の記憶が宿る理由も、前世の真実にも、何一つ答えに辿り着いていない。だったら、まだ倒れるわけにはいかない。その理由を知るまでは、この命を燃え上がらせて“死”という闇に抗って見せよう!
【我が命は燃え、闇に抗う。この晄は闇を掌握し、痛みを刻み、道を穿つ。我が存在が砕けようと、この意志は決して崩れぬ】
詠唱、魔力が薄いこの世界ではそれが成功する可能性は低い。しかし、黒也は強靭な意思を持ってそれを成し遂げた。
【掴め:黒怨掌】
影がうねる。地面から、金剛の足元から、背後から、闇が複雑に絡み合い無数のとなって金剛に襲い掛かる。その腕は、胴を、肩を、脇を、足を、首筋を。獲物を押さえ込むように、容赦なく掴んでいく。
「なんだ、やればできンじゃねェか」
金剛は掴まれたそばから振りほどいていくが、闇の腕は絶え間なく襲い掛かり、息を吐く暇を与えない。影がうねる。空気が軋み、壁面に落ちた影すら震え始める。それは未知の異物に対して、世界が悲鳴を上げているようだった。
「……チッ、ちっとばかし痛ェな」
腕を振りほどくごとに、皮膚にうっすらと痕が刻まれていく。それは、この魔術が金剛に通じている証拠だった。そのことに気付いて金剛は獰猛に笑う。
「面白くなってきたなァ、もっと戦おうぜ」
「いいですよ、僕の全てを出し切ります」