第3話
空腹のイライラを払拭するかのように、ひとりデッサン室に籠もり、黙々とスケッチブックに鉛筆を走らせ基礎的なデッサンを繰り返していく亮太。
亮太は実はデッサンが好きだ。
描いている時は雑念が消えるし、スケッチブックと自分以外の全ての世界が頭から消えるからである。
まあ、亮太にとっては一番心の落ち着ける『安定剤』のようなものなのだ。
「りょ~うたくんっ♪
…あ、いけねっ、デッサン中だしぃ…」
なぎとは口をつぐむ。
描いている時の亮太に話しかけてもそれは無駄な行為だし、何しろ邪魔になることは絶対にしたくない。
なぎとは亮太の絵画への熱がなんとなく好きなのだ。
(もうすぐコンクールだしね…)
ひと事のようにそう思うのんきさには理由がある。 なぎとは画家志望ではなく、実はイラストレーター志望なのだ。
家が裕福なのでもちろん奨学金とは無縁な生活だし、コンクールと言えば、今回は誰が金賞を獲るのかな~?くらいの興味くらいしかないのだ。
勿論、亮太が金賞を獲る事を心から望んではいるのだが……。
なぎとは、スケッチに勤しむ亮太を少し離れた場所からパイプ椅子に座り黙って見ている。
(それにしても…ホンっト上手いよなぁ~…)
亮太のスケッチブックを斜めか後ろから見つめながら、なぎとは感嘆して腕を組む。
スケッチブックの中には、人物の動きや動物の動き、植物や木などが様々な角度から描かれている。
ひたすら描き続ける亮太の手は、どうやら止まる様子は見られない。
(今日はもう話は無理だね…)
なぎとは亮太の傍らに缶コーヒーをそっと置き、デッサン室から出て帰路についた。
「それにしても夢食いちゃん、彼女は噂以上にかっ飛んだ子だったしぃ~…」
なぎとは、ほや~んと笑顔でおにぎりを頬張るのぞみを思い出す。その会話の内容は、さすがのなぎと(軽いバカ)でもちょっと驚きを隠せない程の、摩訶不思議な会話だったのだ。
「う~ん、惜しい。…実に惜しい!あんなに可愛いい子なのに勿体ないなぁ…」 腕組みをして、残念そうな面持ちで歩く。
(いや…、まてよ。ひょっとして亮太なら…♪)
何を考えているやら…。きっとろくでもない事だろうとは思うが…。
なぎとは愉しそうな鼻歌混じりで、うきうきしながら家路へ足を進めた。
◇
気がつくと時計は5時をゆうにまわっていた。
デッサン室に篭り、はや2時間程たったようだ。
「ふぅ。そろそろ切り上げて帰るかな」
椅子から腰を上げると、傍らのバッグの上に缶コーヒーが一本。
「なぎとか……」
謝るかあの女の話でもしに来たか。いや、両方だな…と思いながら嘆息する。 なぎとが缶コーヒーを持って来ると言う事は、謝りながらもさりげな~く話しを振ってくる合図のようなものだからである。
でも、そんななぎとの性格も亮太は何だか嫌いではないのだ。
それに、亮太はなぎとにひとつ感心している部分がある。
なぎとは絵を描いている時は絶対に邪魔になることはしない。
実は、描いている時に邪魔や横やりをいれてくる人間を亮太は極度に嫌う性質なのだ。
『親しき中にも礼儀あり』そんな気配りもちゃんとできるなぎとの性質だからこそ多少無茶をされても、亮太はこの大学で、唯一の友だと思っているのだ。
「さてと、ドラッグストア行って、それからスーパーで食材調達するかな…」
亮太の頭の中は早々と主婦モード。その右手の袖からはまだほんのりとコーンポタージュの匂い。
「はぁ…、全くよぉ…」
缶コーヒーを飲み干して、やれやれと首を振りデッサン室から退室し、帰路についた。
キャンバスを抜けて、煉瓦造りの正門に差し掛かると、煉瓦の壁にもたれている
「ぉぃ、うそ…だろ?」
何やら指先を指揮者のように動かし笑い、ぶつぶつと独り言を言うのぞみが視界に飛び込んできた。
(無視だ無視…とりあえず逃げよ)
亮太はスケッチブックで顔を隠すように早足で門を通過する。がしかし…。
「あ~っ、りょ~た君♪」 片手をぶんぶんと振りながら亮太の名を呼ぶのぞみ。
(何フレンドリーに人の名前呼んでんだよ!)
頭にはきているものの、無視して歩く。颯爽と歩く。
しかし、小走りでのぞみがついてくる。
「りょ~たくぅ~ん!」
(冗談じゃねーっ!ついてくんなよ!)
正直関わりたくないのが本音なのである。
(こいつと関わったら絶対ヤバイような気がする!)
亮太の野性の勘(?)がしきりに警告を繰り返しているようだ。
「か~め~い~りょ~たくぅ~~んっ!…待って―――ぎゃっっ!!!」
ドタッ―――!!
「!!!」
のぞみの奇声に驚き振り向いた亮太は、条件反射で慌てて駆け寄り転んだ体を起こし(はっ!しまった!)と自分の性質を恨む。
「イテテ……。にゃはっ♪やっと追い付きましたよぉ~♪」
(いや、お前転んだんだよ…)あきれ果てて、ため息もでない亮太は、
「あのさ、何なんだよ…お前は―――」
「おにぎりっ♪とてもおいしかったです~♪ありがとうございましたぁっ♪」
のぞみは亮太の声を遮るように深々と頭をさげ、満面の笑みで弁当箱を差し出した。
(うわっ…!やべぇ、可愛いい!)
ふかふかと空気を含み揺れるセミロングの愛らしい焦げ茶色の髪に、くりっとした黒目の大きな瞳。
身の丈175センチの亮太を見上げる、その胸下くらい程しかないちっちゃな背丈。
小動物バンザイ。
亮太は思わず、あのCMのチワワを思い浮かべた。がしかし、
「ん…?」
思わず弁当箱を包むナフキンに目が行くと、
(弁当箱が見えてる……って言うか……ナフキン結び方おかしくね?)
上の結び目が4つ……。しかも凄い硬結びだ…。
「何だ…これ…?」
つぶやき凝視した横からひらひらと銀色の紙くず。
「おま、マジかよ!信じらんねーっ!はぁああ?何だこのゴミはよーっ!!!」
「あ、ゴミ箱なかったから…とりあえずいれちゃいました♪てへっ♪」
照れくさそうに笑うのぞみに…
「とぉりあえぇずぅうだとぉおおーーっ!!?」
とうとう限界がきたようだ。とてつもないく怒りで肩を奮わせて、もちろんキレ顔である。
「お前さぁ!!マジでいい加減にしろよなぁああっ!!」「へっ???」
「へっ?じゃねぇよ!ゴミ入れて返却するなんて非常識な事しねーだろうがっ!普通はよーっ!!!
でもって、何だ?この親の仇のような結び目は!
お前は弁当もろくにつつめんのか!
俺ならなあ、弁当箱もナフキンも綺麗に洗ってナフキンにはちゃんとアイロンかけて!紙袋にきちんと入れて返すけどっ!」
いやいや、普通はそこまでしまい。
しかし、怒りで我を忘れたキレた亮太は、のぞみを怒涛の如くまくし立てる。
「だいたいなぁ、昼間だってそうだろっ?落っことした菓子の心配よりも、ぶつかった相手に即座にごめんなさいだろーがっ!
全く!服は汚れるわコーンポタージュ臭ぇわ!最悪だよっ!」
「ぇえっ!もしかして、コーンポタージュ味…お嫌いですか?」
ぽよーんとした顔で驚き亮太を更に見つめた。
イラッ!!!
「そー言う話をしてんじゃねーよっ!常識外れも大概にしろっ!!!
もういいっ!お前には何を言っても通じないみたいだからな。はいはい、弁当箱ね、そりゃどうもありがとう」
亮太は雑にのぞみの手からむしり取るように弁当箱を奪い、
「金輪際2度としゃべりかけるなよっ!!!」
プイッとして歩き出した。
「・・・・・」
茫然自失ののぞみは、まるでマリオネットの糸が切れたかのように、へたりと地面に座り込み俯いた。
(やべ…言い過ぎたか?) ちらりと振り向く亮太の胸に、座り込み動かなくなったのぞみに対しての小さな罪悪感が生まれてしまったようだ。
そんな亮太の耳に響く、のぞみの鼻をすんっ、とすする音。
(マズイ…泣かしちまったか…?)
足を止めて、握った両拳に嫌な汗をかく。
のぞみは全く動かない。
「うぅ…ぐすっ…」
(うわっ!マジで泣いちまったか!!)
――亮太は恐る恐るのぞみに近付くと、
「ぉ…おぃ…、」
「ぐすっ…、ぇっぐ…」
(マジで泣いてる!やべえっ!)
「今日の晩御飯…、どぉ~しましょおぉぉ~……」
「はい??ば、晩なに?」 把握不可能なのぞみの言動に、とまどいどもる亮太。
「んまい棒…、全部食べちゃったんですぅ…。なぎちゃんがぁ、亮太君は親切だからお弁当箱返したら、おいしい晩御飯をご馳走してくれるからって…」
「な、なな…?」
「ふぇっ、…でもぉ、亮太君が怒ってるという事は…」
悲壮感を漂わせ、潤んだ涙目で亮太に訴えかけるのぞみ。反して、嫌な流れを明確に察知して、再度怒りに震える亮太。しかし、のぞみはそんな怒れる亮太の心情など気づける器量はなく、
「…飢え死にですね…私。お財布空っぽだし…、ぐすん…」
お前、俺の昼飯奪って食っただろ?
心の中でツッコミつつも、亮太は携帯を開き、早急になぎとに電話する。
(あーんの野郎ぉ…!マジ何考えてんだよ!)
何度もコールはするが、留守電に切り替わる。
(何をやってんだ馬鹿ヤロ-がっ!さっさと出ろよなぁあーっ!!!)
でるはずはない。なぎとは今帰宅後恒例となっている入浴中である。
「亮太くぅ~ん…、お願いですぅ~!!!私を捨てないで下さぁ~~いっ!」
のぞみの捨て身の嘆きに、帰宅途中のサラリーマンが歩く足を緩めて二人をじっと見つめている。
その視線を察知した亮太は、
「ちょ!人聞きの悪い叫びをあげんなよーっっ!
あああっ!もういいっ!はいはいわかったよ!ついてくればいいだろっ!!!」
のぞみの手をひっぱり上げて体を立たせた。
そして、もう片方の手でなぎとの携帯に素早くメールを送る。
『さっさと電話してこい!アホ!』と・・・
(ちきしょう!薬局によるのは明日にして、とりあえずスーパーで食材調達して、さっさと飯食わせて追い払おう!)
お金を貸せば事は簡単に済むはずなのだが……。
亮太はこのおかしなのぞみの性質―――未知との遭遇に、かなりパニックに陥って我を忘れているのであろう。
こうして……。
今日出会ったばかりののぞみを家に招き入れなくてはならないという、異常な事態に見舞われてしまう亮太であった。