第17話
気がつけば、カーテンの隙間からは細い光の筋。
その向こう側では、雀が今日もせわしなく1日の始まりを告げている。
「あれっ?もう朝か…」
まためや夜を明かしてしまった亮太は、はっとして絵筆を止めた。
今朝は何だか昨日とは打って変わり、清々しい顔である。
どうやら昨夜は随分と筆が進んだようだ。
亮太は迷走から抜け出したようである。
(頑張るさ、なんかやれる気がしてる)
どうやらすっかりなぎとの術中にハマったようだ…。
目に力が戻り、完全にふっ切れたように亮太は小さく口の両端を上げた。
イーゼルに立て掛けられたカンヴァスの横には、昨日まで描いていた、(広くもなく浅い関係)がナイフで破られている。
新しいカンヴァスに、自分の感じた自由な心を描こう。亮太はそう決めて絵を書き直すことに決めたのだ。
こだわりを捨て、純粋に感じた世界を…。
そう思い新しく描いている絵のタイトルは、
『貘との戯れ』
貘とは、人の悪夢を食べるとされる中国の想像上の動物。鼻は象、目はさい、尾は牛、足は虎に似ていて顔は小さい。
そんな貘と少年少女が淡い闇の中で戯れる…そんな構成の絵である。
その絵は質感は暗いが、どこか温かく柔らかな空気を感じ、ダリというよりは、シャガールのような幻想的な世界を感じるように見てとれる。
◇
大きく伸びをして、カンヴァスに布をかけ、あくび混じりにアトリエから出て歩く亮太は、居間で何かに躓いた。
「みぎゃっ!」
尻尾を踏み付けられた猫のような鳴き声(?)に、
「うおっ!」
と慌てて足を退けると、そこにはのぞみの手が。
「いた…ぁいぃ…むにゃむにゃ……ZZz…」
大の字でこたつに寝転び、何とも間抜けな、幸せそうな寝顔でうっすら笑っている。
なぎともこたつで座ったまま爆睡中。
こたつの上の食べ散らかしたんまい棒の袋に埋もれている。
(やれやれ…、全く困った奴らだ)
小さく苦笑した後、幸せそうに眠るのぞみを覗き込むと、何やら亮太は報復という悪事をひらめいたらしく、ニヤリと笑い、
(こたつを汚した罰をうけるがいい…)
アトリエから絵の具(水性)とパレットと筆をこっそり持ってきて、のぞみのアホ面に筆を走らせ落書きしていった。
「ぶふっ!」
我ながらの完成度の高さに思わず吹き出しながら、散らかったテーブルの上をささっと片付けて、身支度をして、夢パパの家へと向かう。
テーブルの上には置き手紙と、亀井家のスペアキーがひとつ。
その手紙には、「戸締まりはしっかりと!朝飯はセルフで」
とだけ。
玄関の横の軒下に置いてある、昨日帰りに買った自転車にまたがり、亮太の家政夫生活がスタートする。
「……朝飯は…」
自転車を走らせながら、亮太は段取りを立てていく。
頭はしっかり家事モードである。
自転車で20分程度走ると夢野家へ到着できる。途中、パン屋とコンビニに寄り朝の為に軽い買い物を済ませた。
部屋の鍵を開け、風呂場の脱衣場のランドリーケースを確認する。
「よーし、昨日はちゃんと風呂に入ったな♪」
洗濯機を回し、浴室をテキパキと掃除した後に、ダイニングへ向かう。
先程パン屋て買って来たクロワッサンを籐のパンかごに並べて、上から薄手の白いレースのクロスをかける。
次に電気ポットを確認して、減った水を足した後、品のよい白い四角いロングプレートに、コンビニで買ったタマゴとベーコンでスクランブルエッグを作り、横に不本意ながらもコンビニで購入したサラダを盛りつける。
「食材がないから朝はこれで精一杯だな…。スーパー開いたらすぐに調達しに行こう」
冷蔵庫が見事に空なので今は、何もできないのだ。 昼は消化にいいうどんにでもするか…などと考えながら、テーブルの上に食事を並べていく。
「よし、オッケーだろ」
時刻は8時。
ジリリリーーッ
けたたましい目覚ましの音が鳴り響き、
カチャリ……
ドアが開く音と共に、ぬぼ~っとオッサンがアトリエから毛布に包まり出てきた。
「……」
リビングに広がるコーヒーの香りににうっとりして立ち止まり目を閉じる夢パパに、
「おはようございます、夢野先生」
亮太は朝の挨拶をする。「おおっ♪おはよう、亀井君♪」
夢パパは実に嬉しそうに笑みを溢した。
「朝食です。どうぞ」
ファミレスバイト仕込みの営業スマイルでダイニングテーブルに手を差し伸べた。そんな亮太に歩み寄り、
「亀井君は食べないのかい?」
夢パパは席につく。
「今日は午前中講義がありますので、一旦おいとまします。昼前には買い物を済ませ、お昼はご一緒させて頂きます」
亮太は夢パパがかぶっていた毛布を預かり、ベランダに出てそれを干した。
「わかったよ、いただきます」
夢パパは手を合わせる。
「では、俺、もう大学に行く時間なんで」
「そうか、うん♪気をつけていってらっしゃい」
夢パパはパンを片手に手を振る。
亮太は一礼して夢野家を出た。
「さて…と…」
自転車にまだがり、亮太はなぎとに電話を入れる。
『もすぃ…もすぃ~……』
(やっぱりまだ寝てやがる…)
「今日の講義、単位足りてるか?」
亮太はため息混じりで問い掛ける。
『……あぁ、ん、大丈夫ぅ…』
なぎとはぼんやりと頭の中のスケジュールを確認したようだ。
「じゃ、ゆっくりしてろ。あ、帰る時は夢食いも一緒に頼むわ」
『ふわはぁ~い…ママぁ』
なぎとはあくび混じりに返事したが、
「…ん…?」
どうやら大の字で爆睡中ののぞみが視界に入ったようだ。
「…ピ…ピエロだ…。亮太、ピエロがいるよ……」
なぎとは、のぞみを凝視して電話口でつぶやいた。
『…こたつの恨みだ…、じゃあな♪』
含み笑いを込めたような声でそう告げ、亮太からの電話が切れた。
「・・・・・」
携帯を握ったまま、無言でのぞみを見つめるなぎと。
「…ぶふぁっ…!め、目が半開きじゃんっ!」
すかさず携帯を構えた。
カシャカシャッとシャッター音が居間に響いた後、
「くっ、くっくっ……」
笑えて手が震えるのを必死で押さえながら、写メを撮り、
「亮太にメール♪」
なぎとは亮太に写メを飛ばす。
メッセージには、
『画伯、あんたは天才だよ~~\(^O^)/ 』
と……。
それを見て、亮太が爆笑した事は言うまでもない。