第10話
のぞみは小さく感動しながら思う…。
亮太こそが(たった小一時間程だが)探し求めた運命の相手なのだと…。
「亮太君(の絵)が、私のパートナーになれば…、絶対にすごい作品ができるはずですっ!!!」
それは、のぞみにとってはきまぐれな『感』などではなく、ゆるぎない『確信』なんだとひとり胸を奮わせる。そんな確信がどこから湧いてきたのかは…全く謎である。
しかし、のぞみは亮太の絵を見て目だけでは感じとることのできない『何か』を感じたのだろう。
「なぎちゃん、私…亮太君が欲しいです!」
のぞみを凝視して数秒後、やれやれ…、とため息をこぼし苦笑いしたなぎとは、目が大真面目で若干暴走しそうな空気を察知して、
「いやぁ…、か~な~り厳しいと思うよ~…」
興奮気味なのぞみの肩を落ち着きなさいといわんばかりに、ぽんぽんと叩いて再度苦笑いした。
「突っ走って、亮太に無理強いしたらさぁ、きっと亮太は君と二度と口をきくのをやめてしまうよ、うん。間違いない」
なぎとは、少しだけ声のトーンを落として真面目な顔をのぞみに向けた。
(今は大切なコンクール前。しかも亮太はなんだか行き詰まっているようだし。
さすがにこのタイミングで夢くいちゃんが暴走してワガママ言い出したら、亮太は間違いなく夢くいちゃんを嫌い、排除するよな…)
と思い、のぞみにストップをかけたのだ。
「夢食いちゃん、落ち着いて」
一息ついて真剣な顔で…
「亮太はさ、今ね、二月にある大学のコンクールに出す絵を描くのに大変なんだよ。
もしもね、今強引なお願いを亮太にしたら、間違いなく怒るよ。多分ね、絶交される。
亮太にとって絵を描くってことはさ、俺が立ち入ることが出来ないくらいきっと、特別で大切なことなんだよね」
「特別で大切…」
のぞみはなぎとの言葉にしゅんと萎れてゆく。
「亮太と絶交になったら、せっかくの居心地の良いお家も、おいしいごはんも無くなっちゃうんだよ?」
「えっ!そっ、それは絶対にいやですっ!!」
のぞみは、なぎとにすがるような目を向ける。
「だったらね、コンクールが終わるまで待ったほうがいいと思うよ。亮太はさ、去年は銀賞で奨学金のチャンスを逃しちゃったんだ。だから、今年こそはって余計に頑張ってる。俺も亮太に優勝してもらいたいからさ」
「えっ!亮太君ってそんなにすごい人なんですかっ?」
驚くのぞみに、なぎとは苦笑しながら、
「夢くいちゃんはうちの大学のこと、よく知らないみたいだからあれだけどさ」 厳密に言えば、知らないじゃなく、絵本のことばかりで興味がいかなかっただけだが…。
「亮太ってさ、大学じゃ、かなり有名なんだよね。頭いいし、絵だって群を抜いて上手いし、見た目もね、俺から見ても中々のイケメンだよ。
人見知りなだけなのに、クールでカッコいい奴だと隠れファンの女の子は沢山いるんだよ。
ま、亮太はそういうの大嫌いだからほとんど無視してるけどさ」
「へぇぇ~、全く知りませんでした。私、本当に大学のことって知らないんですよ」
のぞみは感嘆しながらつぶやいた。
なぎとはそんな亮太の唯一の親友であることを嬉しく感じているのだ。
そして、もちろん応援もしている。
「焦ってダメになるなら、じっくり付き合う。
…亮太はね、態度はあんな感じだけどさぁ、スゲー優しい奴だよ…。
でも、ちょっと偏屈で人見知り屋さんだから、難しいとこもある」
なぎとは何やら思い出したかのようにクスッと笑ってのぞみの頭を撫でた。
「…わかりました。コンクールが終わるまで待ちます」
のぞみは大きくひとつ頷いた後、
「その変わりっ!コンクールが終わったら、猛アタックですっ!」
改めてのぞみは決意表明をする。
「うんうん♪そん時は俺も絶対手伝うよっ♪」
笑顔のなぎとの心強い後押しに
「なぎちゃぁあん…」
くりっとした瞳でなぎとを見上げてうるうるとするのぞみ。
(まかせとけ~♪)といわんばかりに笑い、黙って頷くなぎと。
この2人に今宵、男女の垣根を越えた熱い友情(兄弟愛?)が芽生えた瞬間であった…。
そんな事は知るよしもない亮太に、天の誰かさんは(御愁傷様…)とつぶやいているかもしれない。
こうして、亮太の困惑と疲弊と迷走の一日が終わったのはずなのである…が。
◇
(結局全く進まなかったな……)
カンヴァスの前で茫然とする亮太。
カーテンの隙間から差し込む柔らかい光の筋や、チュンチュンとなく雀の声も、今の亮太は虚しいばかりであり…。
(こんなこと、絵を描き始めてから、初めてだな…)
キャンバスを見つめただけで、絵筆を動かすことが出来ずに夜を明かすという悲惨な一日のスタートを、亮太はこの日の朝、初めて経験する事となったのだ。
「…バイト、行かなきゃ…」
今日は抗議の単位にゆとりがある為、朝からバイトを入れている。
近所の道路工事の警備のバイトである。
(8時半前には現場入りしなくちゃな…)
立ち上がり、カンヴァスに白い布をかけ、うーんと体を伸ばして部屋を出る。
隣の居間はいつの間にやら2人は帰宅していて、静けさを取り戻していた。
こたつの上にはノートで折った、つのこうばこ。あまり上手とはいえないその箱を手に取り亮太は、間違いなくのぞみが作ったのだろうと口の端の片方を小さく上げた。
散らかった、んまい棒の袋をため息まじりで見つめた後に、無言でさっと片付けてシャワーを浴びに浴室へ向かった。