グレースの企みと法王の決定
シュンブン編集部に多数の証言と生き証人を示すと、特ダネに飢える彼らは興味津々に喰い付いてきた。
「これは大きなネタだ。間違いなく売り切れだな。しかし王の醜聞を暴くことには会社への圧力や暴力団の介在などリスクもある」
そんな躊躇は、軍の元帥が誰かを思い出させてやることで一掃してやる。
『名君、爾弥仁一世の闇』
と大きく題されたその週のシュンブンは発売日にたちまち売り切れとなったが、その多くは王室が買い上げ、表に出ないようにしたらしい。
編集部はえびす顔だったが、王の醜聞を広めたい俺には嬉しくないやり口だ。
その後のシュンブン社を潰せという王宮の圧力は、俺がその中心人物を数人消すことで静まった。
王の悪い噂は広がりはしたものの、俺の予想を遥かに下回り、王を引きずり下ろす動きは一向に見られない。
俺は、人権を訴える貴族や評論家、社会正義を売物にする新聞社に期待をかけ、彼らに王の悪行の証拠を送るが、彼らはなんの動きも見せない。
「何だ奴らは!
いつももっと人権や正義が必要とか、権力をチェックするのが使命とか、一人一人の命を大事にしようなどと綺麗事を言ってたくせに、この明白な権力による性暴力を見過ごすのか!」
俺の悲憤慷慨に、妹のメアリーは冷ややかに言う。
「王の少年への性加害は貴族やマスコミにとっては周知のことよ。
王と王姉はその手腕で貴族や大商人、知識人などの支配階級を牛耳っている。
王の暗部を暴き立てれば逆に爪弾きにされて失脚するだけ。
民衆は飯に関わることでなければ囃し立てるしか能が無い」
下の妹のアンは青い顔をして俺に訴える。
「フィル兄さん、ルーク兄さんの仇は取りたいけれど、このままでは私達が危ないわ。
何か手を打たないと」
メアリーの夫は内務省の、アンの夫は外務省の高官だ。
彼らを始めとする親族や兄を慕う部下達、王に干された貴族達、更に外国にも働きかけ、内外で王を引きずり落とそうと俺はあらゆる伝手をたどり、足掻き続けた。
だんだんと露骨になっている俺の動きは今や王や王姉にも明らかであり、王宮での政争が始まっていた。
しかし、武器を持たない争いは一枚も二枚も相手が上手だった。
各方面への俺の働きかけなど歯牙にもかけず、長年の権力を背景とした老練な王の座は小揺るぎもしない。
それどころか、俺や派閥メンバーの失脚が噂されており、こちらの陣営には動揺が広がっている。
「くそっ。
こうなれば軍によるクーデターしかあるまい」
しかし、それは王も予想しているところ。
俺と対立する将軍達が王都に続々と呼ばれ、警戒している。
軍内では若手将校はこちらについているが、ベテランの将軍はほとんどが成り上がりと俺を嫌っている。
内戦で勝ち残れる自信はあるが、国内は悲惨なことになるだろう。
「ここを渡れば国の破滅、渡らなければ我が身の破滅。
やはり渡るしかあるまい」
古代の有名な将軍の言葉を呟きながら、俺は軍に招集をかけようと兄から譲られた屋敷から出かけようとした。
「少しお時間をください」
そこに柱の陰から突然話しかけてきたのはグレースだった。
「貴様、まだいたのか!
さっさと私物を持って出ていくように執事から聞かなかったか」
この女の顔など見たくもない。
吐き捨てるように俺は言った。
「あなたとお話をしたくて戻ってきました。私はあなたの兄に騙されたのです。
いや、今更昔の弁解はしません。
それよりも今の窮状を脱し、王陛下を失脚させる手段を知りたくないですか」
「お前の口からなど何も聞きたくない。
俺はもう行く」
歩きかけた俺の足を止めさせるような悲鳴が上がった。
聞き慣れた声に振り向くと、俺が可愛がっている姪のキャシーがグレースに短刀を首に当てられている。
「元帥となったあなたを恐れて実家からは修道院に行けと言われて、行き場もありません。
私の話を聞かなければこの娘を殺して、私も死にます」
キャシーを殺すわけにはいかない。
「まずキャシーを離せ。
話はそれからだ」
「人質を離せばその腰の刀で斬り殺すのはわかっています。
私の話を聞き終わるまで彼女はこのままです」
「フィルおじさん、助けて!」
キャシーの声が俺の耳を撃つ。
「ちっ。
もしキャシーを傷つけたらお前を生まれたことを後悔させてやる」
俺はグレースを睨みつけた。
「フッフッ
ようやく私を見てくれたわね。
じゃあ私の話を聞いて。
王の男色はこの国の支配層には周知のことだけど、公には神に反する大罪よ。
教会に裁かせればいい。
異端とされれば誰も文句は言えないわ」
彼女の言葉を俺はせせら笑った。
「俺が何度教会に働きかけたか。
奴らには王の手が厳重に回っていて、動く素振りもない。
あれで聖職者だとはちゃんちゃらおかしい」
「この国ではそうね。
だけど法王庁に言えばどうかしら。
今の法王は神と教典を信じる厳格な方よ。
王の行状が耳に入ればただでは済まないわ」
自信満々に言うグレースは、俺の知る賢明だが控えめな女とは別人のようだ。
「どうやって法王に告げるのだ?
大司教達この国の教会の上層部は全て王の息のかかった者だぞ」
俺の疑問にグレースは立板に水のようにスラスラと答える。
「私の伯父の一人が神に仕えると言って幼いときから修道僧になっているの。
もちろん堕落とかには縁が無い修行一筋の僧侶よ。
伯父は昔法王に師事していて、今も親しく話をできる仲なのよ」
そこで彼女は言葉を切り、俺の方にニッコリと笑う。
その笑みは勝ちを確信した者の浮かべるもの。
もうキャシーのことはその腕から離し、キャシーは俺の膝に走ってきた。
「フィル、私と取引しない?
伯父を通じて法王に話す機会を作ってあげる。
その代わりに私と結婚して、妻として遇して欲しいの」
(盗人猛々しい!この売女が!)
グレースの最後の台詞は、俺を激怒させるのに十分なものだった。
しかし、法王が王を処断してくれれば形勢は一気に逆転、流血せずにこの爾弥仁王国を転覆できる。
俺は迷ったが、膝にすがりついて泣いている姪を見て心が決まった。
選択肢があれば内戦の中に幼い姪たちを投げ出すわけにはいかない。
「わかった。
しかし法王が王に対して破門などの処分を行ってからの話だ」
「いいでしょう。
その代わり、ここに誓約書を書いてもらうわ」
俺はグレースの言うがままに記述し、血判を押す。
その内容は王の失脚後の婚姻、公式の場での妻の扱い、愛人の禁止、夜の夫婦の交わりの確約など詳細に渡った。
「まるで商人の契約書だな。
愛などどこにもない」
「偽りの愛を信じてあなたの兄に酷い目にあいましたから」
俺の皮肉にグレースは真顔で返す。
それからは急展開であった。
グレースは既に準備を整えていたらしく、直ちに僧形の伯父に引き合わせられる。
俺はこの僧侶らしい男に半信半疑だったが、王の悪行を話し、その詳しい証拠を見せると、その僧は激怒して直ちに法王に話すことを確約してくれた。
「まさか名君との世評高い爾弥仁王がそんなことを陰で行っていたとは。
神が許さぬ異端の所業です。
法王様は必ずや正義を現されましょう」
全く王の噂を知らぬらしい、この世間離れした僧侶はシュンブンなど読まないのだろうと俺は思った。
それから早々に俺は法王庁に呼ばれる。
俺の嫌な顔を知らぬ素振りで、グレースも同行してきた。
法王の謁見は風聞を恐れてか高位の僧侶のみの数人だけで行われた。
俺は前と同様のことを述べ、その証拠として多くの証言を示す。
法王は白髪の厳しい顔をした痩身の老人であった。
俺の話を聞き、何度も顔を顰め、首を振り信じ難いと呻く。
話し終わった俺は沈黙して法王の沙汰を待つ。
「おお神よ。
このような所業を、神に仕える筆頭であるべき王の座にある者が行うなど許されるべきことではありませぬ。
直ちに異端と認定し、破門いたしましょう」
「お待ち下さい。
その男の言葉だけで一国の王を裁くなどもってのほか。
まずは王に弁明の機会をお与えください」
そう言ったのは王に近い爾弥仁王国の大司教であった。
俺が反論しようとすると、隣で女の泣き声が聞こえた。
「法王猊下、我が夫は王様に男色を無理強いされ、虐待を受けた挙げ句に飽きて毒殺されました。
そのような犠牲者が多数おります。
しかし王の権力を恐れて誰も声を上げられません。
御慈悲でござります。
あの神に背く王を処罰し、正義をお見せくださいませ」
グレースは悲しげにすすり泣き、慈悲を乞う。
その姿は夫の仇を誓う貞女の鏡のようであった。
大司教と彼女の言葉を聞き、法王はしばらく悩む。
「よかろう。
では異端審問官を派遣し、王やその周囲を尋問することとする。
派遣するのは藻頭句図がよかろう。
奴を呼べ」
法王がそう言うと、周囲の者が怯えるような顔つきとなる。
現れたのは、大きな四角い顔をにこやかにしている男であった。
「藻頭句図よ、爾弥仁王国へ行き、彼の地に異端の所業を行う者がいないかを調べよ。
もし見つかれば異端を絶滅させよ。
そのためであればいかなる手段をとることも認める」
法王の言葉に嬉しげにこの男は答える。
「神の栄光のために、我が全霊を尽くします」
それから俺はこの男と二人三脚で国の掃除に走り回ることとなる。