母と我が家の繁栄
俺は中堅官僚の家の次男に生まれた。
家はそこそこの役職を世襲しており、父も手堅く職を務めて順調に昇進している。
俺たちの国、爾弥仁王国は優秀な王のもとで繁栄を謳歌している。
小国から周辺で抜きん出た国力を持った国へと導いた王である爾弥仁一世の手腕は疑いないところだが、この王はなぜか妻を娶らずに自分は国と結婚したのだと言い続けていた。
そして、高官や側近は美男ばかりが集められ、イケメンでなければ出世はできないと言われている。
まあ、それでも彼らは能力もあり、きちんと国を動かしているので陰口はあれど王の方針に公然と不満を言うものはいなかった。
さて、我が家の父と母は家同士の話し合いで結ばれたが、父は普通かそれ以下の顔面偏差値だったが、母は稀な美貌の持ち主だった。
色好みの王であれば間違いなく寵妃になっただろうと母の実家では悔しがったという。
しかし今の時代は女の美貌よりもイケメンが持て囃される時代であり、母は普通に実家の身分相応の父に嫁いできた。
父は母のことを溺愛し、母も満足していたと思う。
しかし、歴史書を読んでいると、母がやってきて、
「寵妃となって王の寵愛を受けても永続するかわからないし、後宮の争いも恐ろしいわよね。
やっぱり普通の家庭で愛されるのが一番。
私は幸せだわ」と自分に言い聞かせるように言っていた。
俺はそれを聞いて、母は満足しているように思えても心のどこかで寵妃となりたかったという思いがあったのかと思った。
実際、母は素晴らしい美貌に加えて、頭の回転も速い上に気も強く、幅広い交友関係を持っていた。父は母の社交のお陰で随分と得をしていた。
おそらく魑魅魍魎の王宮でも十分にやっていけた人だと思う。
実際、我が家の中心は母であり、表面はともかく我が家の実質的な主は母だった。
そんな我が家の家族は両親と兄と俺と妹二人の6人だ。
4人の兄弟姉妹だが、兄と二人の妹は母に似て絶世の美貌を持つが、俺だけは父に似て、いや父よりも大きな体格といかつい顔つきであった。
でも両親はそんな俺のことを可愛がってくれた。
父は自分に似たのが不憫だったのだろうし、母は男らしい顔つきだと褒めてくれた。
イケメンが優遇される時代、近所や学校でブサメンだのゴリラだの揶揄されたが、子供の頃から身体の大きかった俺は悪口が聞こえればそいつを殴りつけ、兄や妹も陰口を聞けば真っ赤になって怒ってくれた。
だから俺も子供のときにコンプレックスなんて持たなかった。
これは家族に感謝しているし、逆に兄が女のようだとからかわれたり、妹が男に襲われそうになった時には体を張って戦った。
妹達は俺を慕ってくれて、貴族達の子弟の集まりには虫除けによく連れて行かれた。
兄と行けば、女が集まり、紹介してくれと騒がれるのが嫌だったからかもしれない。
平均的な官僚の幸せな家族として過ごしてきた日々だったが、兄の卒業式から変化があった。
王肝いりの国立学校に貴族や役人の子弟は入ることもなっていた。
その卒業式は王が来て卒業証書を一人ずつに渡していく。
その後、通常、軍人志望は軍学校へ、文官志望は大学校に進学する。
兄は女に見間違えられる優男であったが、頭脳明晰で学年の首席であり、当然に文官志望である。
兄が成績順で一番最初に名を呼ばれ、卒業証書を受け取りに壇上に上がると、王は兄の顔を呆けたように見つめてしばらく身動きしなかった。
「陛下、お言葉を」
校長が呼びかけて、ようやく王は証書を読み上げて祝いを述べ、式が再開する。
どうしたのだろうと生徒や教師達は囁きあった。
観客席にいた俺も不思議に思い、隣の母を見ると母は何故か嫣然とした笑いを浮かべていた。
その夕刻、我が家で兄の卒業祝いをしていると誰かが訪ねてきた。
ドアを開けると、なんと出世頭の王の側用人である。
「喜びなさい。
貴殿の嫡男のルーク殿が王の小姓に選ばれました。
これはめったにない栄誉です。
私は王直々の命でそれをお伝えに来たのです」
それを聞いた父はひどく驚いていたようだが、母は冷静だった。
側用人がそれでは明日から王宮に出仕するようにと言って去ろうとした時、母が引き止めた。
「お待ち下さい。
ルークは大学校へ行くこととなっております。
王宮への出仕は大学校を卒業後にしていただきたい」
「何を言う!
王陛下直々のお召しぞ」
「王国法では成人の年齢は18歳。
ルークはまだ15歳です。
法によれば親の許しのない任官は認められていません。
私は学校を卒業するまで任官を認めません」
母の毅然とした態度に押されたのか、側用人は後で後悔するなよと言い捨てて引き揚げた。
俺には何故母が王のお召しを断ったのかわからなかったし、兄も「僕は行っても良かったのに」と言っていた。
母は兄を抱き締めて、
「子供のうちから働く必要はないわ。
母が守れる間は守ってあげる」と言って聞かせていたが、その夜トイレに立った俺は、母が父に対して、欲しい物は焦らして値を上げるものよと言っているのを聞いた。
もっともその意味はさっぱりわからなかったが。
数日後、立派な馬車が来て両親と兄は礼装をしてどこかに出掛けていった。
帰宅した時、父は疲れた様子だったが、母の目は爛々と輝いていた。
それからは王は何も言ってこず、我が家は平穏であった。
俺は兄とは年子であったので俺は次の年に卒業式を迎えた。
次男であり、その顔つきからも当然に俺は軍人を志望したし、父母も賛成してくれた。
卒業式では俺は成績は中の上であったが、卒業証書を渡される時になぜか王が名前を見た後、「お前はルークの弟か」と確認し、がっかりしたように溜息をついたのが不思議だった。
あの優秀な兄と比べて、ひどく成績が悪いと思われたのかもしれない。
俺はそれから軍学校に進み、寮生活となった。
兄や妹は涙を流して別離を見送ってくれた。
軍学校は厳しく家に帰れなかったため、その後しばらく家族のことは詳しく知らない。
手紙で兄が大学校を卒業して、エリートコースと言われる王の小姓組に配属されたことと、母の強い希望で妹が高位貴族子女の進学先である上級貴族女学校に進んだこと、もう昇進は終わりと見られていた父が更に出世したことを知った。
軍学校を卒業して任官前にようやく帰宅できた。
両親は大歓迎してくれた。母は相変わらず美しく、若々しかった。
父はなんと男爵になったという。中堅官僚から異例の出世である。
妹達はますます美貌に磨きがかかっていた。
高位貴族の学校は厳しいらしいが、元気な様子だった。
「身分不相応でお金もかかるし、無理して貴族の学校なんて行かなくてもと思っていたわ。
でも、結局貴族になれたから、前みたいに見下されなくなったし、これからを考えればこの学校に行っておいて良かった。
お母様はうちに爵位が来ると予見していたようね」
妹達はそう言って笑っていた。
兄は深夜に帰ってきた。
久しぶりに顔を見たら昔以上のイケメンになっていた。
しかしひどい激務らしく随分と青ざめた顔色であった。
母は倒れるように帰ってきた兄を抱きとめて、着替えさせて、風呂に入れ、食事をさせていた。
そのさまはまるで幼子を育てているときのようであった。
父はその様子をオロオロしながら見守っている。
身体が強くない兄とは言え、いくらなんでも過保護ではないかと俺は思ったし、妹も同じ感想のようであった。
これは母が取られたような気がしての嫉妬もあったのかもしれない。
家族はみんな母が大好きであったから。
翌日は兄も非番だったので、俺は兄とゆっくりと話ができた。
兄の就いている小姓組は王の側で公私を問わず大小なんでも仕事をさせられるという。それも当直の日は昼夜を問わずだ。
なかでも兄は王に気に入られて年少ながら重要な仕事を与えられているという。
また、当直の日も多く、疲れているようだ。
それを聞き俺はさすがは優秀な兄だと誇らしく思った。
「兄さんなら慣れればそんな激務でもなんなくこなせると思うぞ」
俺の励ましを聞いて、兄は「そうだな、応援してくれる家族のためにも頑張らなければな」
と微笑んだ。
我が兄ながらその笑顔は天上の天使も叶うまいと思うほどの美しさだった。
俺が軍に戻ると、配属先が来ていた。
そこは通常なら大貴族の子弟が配属されるエリートの近衛部隊。
確かに父が男爵になったので、そこそこいいところに行けるかとは思っていたが、まさか近衛とは。
更に俺はその中でも優秀な隊長のところに配置され、英才教育を施された。
そして精鋭部隊の小隊長として戦地に送られて、功績を上げ続けた。
何故か、俺の部隊は精鋭が優先的に送られ、装備も最新のものが来る。
同僚達の妬みが激しいが、一方で俺がこの恵まれた環境を最大限に活かして、先頭に立って戦い戦果を上げて軍に大きな貢献をしていることは多くの幹部が認めていた。
功績を認められた俺の昇進はずば抜けていて、大貴族の子弟すら俺には及ばない。
俺の昇進を誰よりも喜んでくれたのは母であり、兄であった。
その兄の昇進は俺などとても及ばない恐ろしいほどの速さであった。
父は引退し、兄が当主となった後、すぐに小姓から側用人補佐に昇格し、まもなく側用人となる。
そしてその中でも抜擢され、王の側で内政外政のすべての政務に目を通し、自分の意見とともに王に上げることとなる。
王宮に出仕した時はほぼずっと王の近くで侍っているのだ。
実質的には宰相よりも権力は大きい。
しかも兄は側用人だけでなく、宰相補佐にもなり、王の絶大な信頼を背景に裏と表両方で絶大な権力を握った。
爵位も子爵を経て伯爵となり、俸禄も巨額なものとなった。
前代未聞の出世と噂されているようだ。
俺はあの優秀な兄ならおかしいことではないと不思議に思わなかった。
それは母がそう言っていたからかもしれない。
兄の異例の出世もあってか、妹達は貴族からの求婚が殺到していたようだが、母は内政と外交にそれぞれ大きな力を持つ二つの大貴族を選んだ。
そこの当主は妹を一目惚れしたようだが、彼らも有能であり、その地位に胡座をかいている男ではないことは会ってすぐにわかった。
地位も能力もあり、そして容貌も悪くない夫に妹達も満足しているようだ。
母は暇があれば子供たちを呼び、兄を支えるように、皆協力して我が家をもり立てるように繰り返し言い続けた。
絶大な権力者の長男、若手で一番の実力者の次男、そして内外に大きな力を持つ二人の婿。
彼らに囲まれた母はゴッドマザーと噂される。
俺は妹達と話をする。
「歴史を見ると王の寵妃は自分の縁者を引き立てるよな。
母は寵妃となってこういうことをしたかったのかな」
俺の言う事に妹達も頷く。
「私達も話していたのだけど、お母様は上昇志向が強かったのよ。
そしてその能力もあったのに満たされなかった」
「私達は夫に求婚されたけど、その後に義母などの奥の女性からの試験があったの。
私達は女学校に行っていたから問題なかったけれど、お母様はどうやらその試験で落とされて大貴族の妻になれなかったみたい。
それで無理してでも私達を女学校に行かせたのよ」
「しかしお前達の結婚も兄貴の異例の出世あってのこと。
母はそこまで読んでいたのかね」
おそらく父に男爵が与えられたのも兄のお陰だ。
それ以上は妹達もわからなかった。
それよりも兄の結婚が現下の我が家の大問題だった。
俺は以前に巡回中に伯爵令嬢の乗った馬車が山賊に襲われているところに出会い、それを助けたのがもととなり、彼女との縁を深めていた。
最初は身分も上で俺の面相からして相手にされまいと諦めていたが、意外にも彼女が積極的であり、伯爵夫妻も兄のことを聞くと認めてくれた。
アバタもエクボと言うが、彼女は本当に俺の妻になってもいいと思ってくれているようだ。
しかし、公式には俺はまだ別家もしていない部屋住みの身分。
兄が結婚すれば別家を立てて結婚してもいいと母に言われている。
その兄は噂はあれどなかなか相手が決まらずに母がやきもきしていた。
「お母様が兄さんにかかりきりになっているからね。
お嫁さんもなり手がいないのか、お母様が選びすぎなのか」
「兄さん、一段と痩せたんじゃない。
優男ぶりに磨きがかかっているけど、身体は大丈夫かしら」
妹達とそんな話をしながらも、我が家は母を中心にまとまっていた。
俺はこの調子で我が家はますます幸せになるのだと信じていた。
母が倒れて急死するまでは。