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根拠のない不安

「ご出身は?」


同じ市内に住んでいることをとっくの昔に知っているはずの相手に、そんなことを聞かれて、それが遠まわしな嫌味だと言う事に気がついたのは、瞬きを数度した後だと思う。

たぶん、それに気がついたのはあたしと、こちらを気の毒そうに見つめている彼の兄の奥さんだという人だけだろう。

能天気で人の言葉の裏を読むなどということを思いもつかないだろう彼は、あっさりと「ん?同じに決まっているだろう?」と、恐らく質問者にとっては恐ろしいほど的外れな答えを返している。

眉を少しだけ動かして、次に言うべきことを探している女性は、彼の紹介によると、彼の実母だそうだ。

恐らく、このままいけば、この人はあたしの義理の母ということになるのだろう、たぶん、きっと。

就職活動も大学の卒業もそつなくこなした彼は、なんでもないことのように結婚しよう、とあたしへプロポーズをしてくれた。

それに浮かれたのは一瞬のことで、よくよく考えたらとても恐くなってしまったのは、いつものあたしの悪い癖、なのかもしれない。

どれだけ楽しみにしていても、直前になって怖気づいて、渋々参加するはめになっていまう自分の心理状態はよくわからない。

ただの臆病者、なのかもしれない。

だけれども、こうやってニコニコと笑っている彼の父親と、明らかに何か言いたそうにしている彼の母親と、そんな母親の様子にはちっとも気がつかない兄弟二人、それに右往左往する、おそらく義理の姉になる人と、あたし。こんな場面に晒される機会が定期的に訪れるかと思うと、うんざりするのもしかたがない、と自己弁護をしてしまう。

さっきからもチクリチクリとやられてしまう言葉の棘に、あたしは一方的に曖昧な笑みを浮かべて受け流すだけ。

恐らく、あたしの経歴がまったくもって気に入らないものなのだろう。

彼にはもっと、いいお嬢さんが似合う、と、言外に言っている。

女にとってはこれほど明確なやりとりも、男連中にとっては想像もしていないサイコバトルになるらしい。

今からこれでは、あんまり繊細とはいえないあたしの神経もどこか歪んでしまうんじゃないか、と、ため息をつくのをぐっと堪える。

ちっとも進まない時計の針と、ちっとも弾まないぎくしゃくとした会話。

時折見せる彼のお父さんの笑顔だけが救いで、ズキズキ痛む胸の痛みを誤魔化す。


「じゃあ、そういうことで」


彼がざっと簡単に結婚することを説明して、まるで事後承諾のように会話を終了する。

いくらなんでもそれはないんじゃないか、と、言いそうになって、彼の母親が能面のようになっていることに気がつく。

どう考えても否定の言葉を吐き出そうと勢い込む母親の第一声を、彼がまるではかったかのように邪魔をする。


「悪いけど、反対しても聞かないから」


何を言い出すかをわかっていたかのように、彼がそう断言する。

開きかけた口を閉じ、彼の母親が押し黙る。

彼には私は不釣合いなのじゃないか、とか、こんなに頼りない彼とはやっていけないじゃないのか、とか、そういう根拠の無い不安はその一言でどこかに消えていってしまう。

この人は、本質的なところでは何も間違わない人だと、わかっていたから、わかっていたのに自分勝手な思考でどんどん暗い方向へ突き進んでいた。


「ということで、まあ、細かい事は後からになると思うけど、とりあえず結婚するってことは気にとめておいてくれ」


嬉しそうな彼の父親とお兄さんに挟まれて、押し黙ったままの母親は、それでも一文字に引き締めた口を開こうとせず、それでも最後まで反対の言葉は口にしなかった。




二人で歩く帰り道、帰る場所はあたしの部屋で、これからもずっと彼と住む部屋。

学生の彼が居着くようにして馴染んでいったあの場所で、これからもずっと一緒にいられる。

嬉しくって不安で、だけれども、どきどきしている。

これからも心のどっかであたしの不安は大きくなったり小さくなったりしていくだろう。

それも、きっと間違えないと彼のことを信じていられるから。



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