第63話 告白
「今すぐに工事を中止して、ここから出て行ってくださいっ!」
それは、唐突に始まった。
「なんだ!?」
「あ、見てみろ! C棟の足場の上!」
三棟ある廃ビルのうち、既に解体作業が半分ほど進んでいる一棟をぐるりと取り囲む足場の上。彼女はその最上段で、足場に貼られた防音シートと共に、その服や髪を風になびかせながら立っていた。
ここに来る前に自宅に寄って着替えてきたのか、服装こそ病院から抜け出してきた格好には見えないが、近くで見れば、その袖口などから包帯が見え隠れしていることに気づくかもしれない。
「あれが工事現場に侵入したっていう女の子か? 何やってんだあんなところで」
「おーい! そんなところにいたら危ねぇから、さっさと降りてこい!」
だが、高い足場の下からは、そんな彼女の状態など分かるはずもなく、作業員たちは、ただただ勝手に工事現場に入り込んだ迷惑な子供として対応する。
工事監督も含めて、彼らは誰も、彼女がこの廃ビルの解体工事を依頼した四条 雄二の姪だとは知らないようだ。
「今すぐに撤収作業を始めないと、わたしはここから飛び降ります!」
そんな、最初の主張を無視して迷惑そうに言い返す作業員に対して、彼女はさらに大きな声で、そんなこと言葉を続ける。
普段の彼女からして、そこまで大きな声を出すことは珍しく、彼女自身も慣れていないのだろう。その声はよく通る声というわけでは無い、大声というよりも叫びという表現の方が正しい声だった。
「くそっ、なんだ? この場所に思い出のある近所のガキか? おい、誰か警察に電話しろ! あと、防護マット持ってこい!」
工事現場の監督らしき人物が作業員に指示した内容は、その役職として正しい指示だろう……だが、それは彼女の意思の強さを考慮したものではなかった。
カツン、と、靴が金属の足場を踏む音と共に、彼女が一歩前へと歩み出て、彼女の足裏、つま先側の半分が、空中を踏む形になる。
「私は、本気ですっ!!」
その行動と共に放たれた言葉は、彼女を見上げていた作業員たちの動きを止めるのに十分な重みをもっていたらしい。
荷物からスマホを取り出して警察に電話をかけようとしていた作業員も、落下事故保護用のクッションを取りに駆け出していた作業員も、まるで時間が停止したかのようにピタリとその手足を止め、その光景に釘付けになった。
「ば、バカな真似はよせ! 落ちて助かる高さじゃねぇぞ!」
「分かってます! わたしはこの高さから落下して、命を落としてしまった人を間近で見ていますからっ!」
……。
それは、間違いなく、俺の事だろう。
俺は、そんな声を聞きながら、全力で階段を駆けあがっていた。
本当は、このいつも過ごしている棟ではなく、彼女がいる隣の棟を登って、彼女を直接とっ捕まえたいところなのだが……その棟が三分の一ほど解体された時、俺は、その棟に近づけなくなった。
正確に言うと、活動できる範囲が、元々三棟あった廃ビルの敷地内から、残っている二棟の廃ビルの敷地内に狭まっていた。
廃ビルの地縛霊……。
だから、解体されて、ビルではなくなった、建物の残骸がある敷地は、もう活動対象外なのだろう。
でも……たとえこの手は届かなくとも、声を届けることはできる。
「自分の身をもっと大切にしろ!! 静子ちゃん!!!」
俺は、駆けあがった屋上のドアを勢いよく開き、隣の棟にいる静子ちゃんに向かって、彼女以上の大声で叫んだ。
「礼二さん……」
きっと、作業員に俺の声は聞こえていないだろう。
そして、消え入りそうな声で呟かれた、静子ちゃんの声も聞こえていないだろう。
だが、それでいい。
これは、俺と彼女の問題だ。
ただ真面目に仕事をしているだけの彼らを巻き込むのはお門違いだ。
「静子ちゃん、今すぐそんなことは止めて、家に帰れ!」
「嫌ですっ! 工事を止めないと、礼二さんと会えなくなってしまいますっ!」
「そ、そんなことはない! いつだって会えるさ!」
「だったら、何で、こっちに助けに来てくれないで、そっちから声をかけてきたんですか!」
「くっ……」
静子ちゃんは思い込みが激しくて、可笑しな行動を取りがちだが、けっして頭が悪いわけでは無い……。
むしろ友達と遊ばないで勉強ばかりしているせいか、夏休みの宿題を数日で苦も無く全て終わらせることが出来るくらい、勉強は得意らしい。
まぁ、宿題をやるのに頭の良さは関係ないが、前にパジャマパーティーをした時もトランプゲームで全勝していたからな……少なくとも地頭は良さそうだ。
だからこそ、彼女はきっと、俺がこちらの棟から話しかけてきた時点で、俺の活動範囲が狭まっていることに気づいている……。
そうじゃなかったとしても、嘘をついたところで見抜かれるだろうな。
「俺を庇ってくれる気持ちは嬉しいよ……だけど、俺は元々この世界にいるべき存在じゃないから別に……」
俺は静子ちゃんの言葉を認めた上で、それは仕方のないことなのだと、解こうとする……。
だが……。
「そんな世界に追いやってしまったのは、わたしですっ!!」
その言葉にかぶせるように放たれた彼女の言葉を聞いて、息が詰まり、その続きを話せなくなっていた……。
……そう叫んだ静子ちゃんの顔は、涙でくしゃくしゃになっていた。
「礼二さんが命を落としてしまったのは、わたしのせいです……」
否定したい……否定するべきだ……。
だけど、彼女がそんな取り繕うような言葉を望んでいないことも伝わってきて、自分の中で色々な感情が渦巻き、声が出ない……。
「幽霊になってしまったのも、地縛霊になってしまったのも、全部わたしのせいなのに……その上、更にわたしのせいでその存在すらも消してしまうなんて……そんなの、わたしには無理です……」
……。
これは、鎖だ。
俺がこの廃ビルに縛り付けられているように、あの日の出来事が、彼女をこの廃ビルに縛り付けてしまっている。
……結局、全部俺のせいか。
パジャマパーティーの翌日、宇井さんから聞かされた、静子ちゃんの過去。
俺と静子ちゃんの父親の姿が似ていて、そして、父親も、この廃ビルで命を断っている。
静子ちゃんは、2度父親を失い、そして、幽霊になった俺に出会った。
だから、彼女は後悔と絶望の鎖に縛られ、二度と父親を手放さまいと、父親とよく似た容姿の俺に依存している。
俺は、精神科医の医者じゃない。
そんなトラウマを背負った女の子に対して、どんな対応をするのが正解なのか分からない。
だけど、大人として、こんな関係を続けてはいけないということだけは分かる。
「静子ちゃん、よく聞いてくれ……俺は……」
「わたしのお父さんではない……って、そう言うんですか?」
「え……?」
今の会話に、俺が切り出そうとする言葉を察することが出来る何かがあったか?
頭が良い子だとは思っていたが、まさかここまで状況や人の心境を察する力があるとまでは思っていなかった……いや、それよりも……。
「分かってるなら……」
「分かってます! 分かってないのは、礼二さんの方ですっ!!」
「……俺?」
なんだ? どういうことだ?
俺が分かってない?
いや、分かってないということが、何のことを言っているのかすら分かってないが……。
「……」
「……」
2人の間に、少しの沈黙が流れる……。
意識の外にあったが、工事現場の人たちも、その光景にどう反応したらいいのか分からず何も行動を起こせていないようだ。
まぁ、当たり前だ……。
彼らに聞こえているのは、静子ちゃんの言葉だけ。
だから、彼らの視点からすると、きっと静子ちゃんが急に、誰もいない屋上に向かって独り言を叫び出したように見えているだろう。
それが精神の病気や薬の副作用などで幻覚が見えている人物だとしたら、迂闊に刺激するわけにもいかないだろうし、声をかけることも手を出すこともできないのは当然だろう。
「最初は確かに、そうでした……」
言い返せない俺と、何をどうしたらいいのか分からない作業員さん達が見守る中、静子ちゃんが語り始める……。
「あまりに雰囲気が似てるので、あの日、息を止めてしまった礼二さんを目の前にして酷いショックを受けて、それ以降、その日に何をしていたのか思い出せません……」
「そして、礼二さんと再会した時、何だかよく分からない感情に支配されて、二度とこの人を失うわけにはいかないと思ったのは確かです……きっと、その時はまだ礼二さんにお父さんの面影を重ねていたと思います」
「その時は……?」
「はい、でも、今は違います」
「それは……」
「だって、礼二さん、お父さんと違って、全然優しくないですから」
ガクッ、と、何だか思いっきり、全身の力が抜けるような感覚がした。
「俺が、優しくない……?」
それなりに優しく接してきたと思うんだが……ちょっとショックだ。
「あ、いえ、その、ちょっと言葉が不適切でしたね……礼二さんも確かに優しいんですけど……なんというか、お父さんが温かい優しさだとしたら、礼二さんは冷たい優しさ、みたいな感じなんです」
「俺が、冷たい……?」
うっ、心当たりが無いわけでは無くて、ちょっと胸が苦しい……。
だが俺としては、冷たく接しているわけじゃなく、常識的な大人という立場から静子ちゃんのことを思って、真面目で厳しい対応をしていただけで……。
「でも、そういう優しさを、先生以外の全然知らない人から初めて受けたからですかね……なんだかむず痒くて、心地よくて……」
そう言って、静子ちゃんは、もじもじと身体をよじりながら、顔を赤らめた。
可愛らしい仕草なんだけど、立ってる場所、長高所の不安定な場所だから、ちょっと落ち着いてもらいたい。
「……気が付いたら礼二さんのことを、好きになってましたっ」
う、うん……なんというか、今までそういう気持ちを向けられている感覚が無かったわけでは無いんだが……こうして直接言葉に出されると、少し照れるな……。
……俺、今、顔赤くなってないよね?
「コホン……」
すぅ、はぁー、と、軽い深呼吸をしてから、俺は気持ちを切り替えるために、咳払いをする。
静子ちゃんの気持ちは分かったし、素直に嬉しい。
俺や宇井さんが懸念していたようなトラウマも、それほど重症化していないようで、それも安心した。
……だけど。
「すまない、静子ちゃん……俺はその気持ちに応えられない」
「えっ……?」
俺のその返答に、静子ちゃんの恥ずかしそうな顔は、一瞬にして疑問の表情へと変わる。
悪いな、静子ちゃん……。
もし俺が、温かい優しさを持った男なら、その告白を受けただろう。
だが、残念ながら、俺は冷たい優しさを持った男なんだ……。
だから、申し訳ない……最後までこの冷たい優しさを突き通させてもらうぞ。




