第62話 逃亡
ピリリリリ、という、聞きなれた、味気ない着信音で目を覚ます。
仕事の電話みたいで嫌だと錬からは不評だが、俺は逆にそれがよくてプライベートでもこの昔ながらの単調な着信音を使い続けている。
上司や取引先からの電話じゃないかと、この音を聞くたびに胸がキュッと締め付けられるような感覚があるが、そのおかげでこうして寝ている時でも着信が鳴ったら起きられるというメリットがあるからな。
「はい、久場ですけど?」
だが、そのデメリットとして、電話に出た時の返答もとても業務的になった。
ちゃんと頭が働いていて、スマホの表示を確かめるという意識があれば、電話の主に合わせて返答を変える余裕があるが、何せ今起きたばっかりだ。
とりあえず3コールまでに電話に出る、という、身に沁みついた身体の動きに任せて電話に出たものの、そんなことを考える頭の余裕までは無い。
「礼二さん、お休み中のところ失礼します。地方公務員の宇井です」
「宇井さん? どうかしましたか?」
電話をかけてきた相手は、そんな業務的な対応で正解だったかもしれない、真面目で大人な地方公務員の宇井さん。
こちらも寝起きにしては真面目に返答したつもりだったが、どうやら寝起きの声までは隠せていなかったらしく、彼女には俺が寝起きであることがバレているようで、何となく気恥ずかしい気持ちになる。
しかし、その気恥ずかしさも相まって、直前まで昼寝をしていた俺の頭はだんだんと覚醒してきた。
相手も業務的な返答をしてきたということや、彼女からの電話はいつも自分にとってとんでもなく重要な案件だからという理由もあるのかもしれない。
……そして、どうやら今回の電話もその例にもれず、俺にとって重要な案件らしい。
「そちらに、静子さんが伺っていませんか?」
静子ちゃんが、ここに……?
いったいどういうことだ? 今は静子ちゃんは入院中で、しかも、一時的な記憶喪失で俺たちのことを忘れているはずじゃないか?
俺はその言葉に促されるように部屋の中を見渡してみるが、今のところは、彼女が訪れている様子も、訪れていた形跡も見当たらない。
「とりあえず周りに彼女の姿は見当たらないですけど、すみません。俺、工事が昼休憩の時間で止んでから、本当についさっきまで昼寝をしていたので……それよりも、静子ちゃんがここにくるって、どういうことですか?」
「それが……申し訳ございません……。るあさんがお見舞いに訪れた影響で、静子さんの記憶が戻ったようで、騒ぎになる前に、警察の協力の元、彼女を保護しようとしたのですが、逃げられてしまいまして……」
そんな簡易的なあらましの後、宇井さんは、この数時間で起きた出来事だとは思えないドタバタ劇の内容を話してくれた。
こんなことにならないようにと、宇井さんは、事前にるあちゃんの元を訪ねて、彼女に静子ちゃんのところへお見舞いには行かないようにとお願いしたが、るあちゃんは宇井さんの言うことを聞かずに、すぐにお見舞いに行ってしまったこと。
記憶を取り戻した静子ちゃんがどんな行動に走るか分からなかったので、警察の手を借りて保護しようと行動したが、病院に着いた時には既に予想以上の事件が発生していたため、半ば強制的に関係者を警察署へ連行したこと。
当事者たちから事情を聞くと、るあちゃんが病院についた時、タイミングが良いのか悪いのか、同じくお見舞いに来た静子ちゃんの叔父さんと鉢合わせて、静子ちゃんに会わせろ会わせないで口論になったこと。
ロビーで二人が口論しているという噂を聞いたネココが病室を飛び出して、るあちゃんの言い分に加勢する形で暴走して、病院のロビーにあったソファーを手当たり次第にひっくり返したこと。
何故かネココのポルターガイスト能力が変質し、霊体化していない物にも触れられるようになっていた影響で、一般人の目撃者が多く、病院では現在、警察や役人が対応に追われていること。
そんな事件の事情聴取や、役所側が検討している今後の対応方針の説明などをしている最中、静子ちゃんがお手洗いに立ち、なかなか出てこないので確認すると、個室の壁が霊体化していて、彼女の姿はどこにも無かったこと……。
どうやら別室で取り調べを受けていたネココも同じタイミングでお手洗いに立っていたようで、おそらくネココが机の下などから静子ちゃんをお手洗いに誘導して、逃亡の手伝いをしたものと思われること。
「おいおい、幽霊はトイレに行かないだろ? なんで取り調べの担当者はネココをトイレに行かせたんだ」
「ポルターガイストが変質した影響で催したのかもしれないと言われ、行かせてしまったそうです」
「変質って、霊体化していない物体に触れるようになったってやつか? 俺も同じことが出来るが、トイレに用はないぞ?」
「他人にはそこまで分かりませんので……」
「まぁ、そりゃそうか」
そして、宇井さんは、二人が逃亡したなら向かう先はここだろうと、俺に電話してきたらしい。
何というか、想像以上に大変なことになっていて、本当に関係者の方々には同情するが……静子ちゃんが俺の事を想い出してくれたこととか、警察から逃げてまでこちらへ向かってきてくれることに関しては、なんとなく嬉しく感じてしまう……。
大人として、良くない感情だな……。
「礼二さん、そういえば、お昼寝を始めたのはいつ頃ですか?」
「多分、12時半くらいだったけど、何でそんなことを聞くんだ?」
「突然すみません。いえ、その、そちらから特に工事の音が聞こえませんので、午後の工事はお休みなのか、と……」
「え……? ちなみに、今は何時です?」
「午後2時過ぎですね」
時間的には、確かに、もうとっくに作業は開始していていい時間だが……確かに、今、窓の外へ意識を向けても工事の音は聞こえない。
午後の工事が休み……? いや、そんなはずはない。
今日は一日中、工事があるはずだ……俺の睡眠時間がかかっているから、貼りだされている工事のスケジュールは毎日チェックしている。
「おい! そっち、いたか?」
「いや、こっちにもいねぇっす!」
そんな疑問を感じたので、窓を開け、工事が再開されているはずの外を見渡してみると、いつもの重機や工具が発する大きな音こそ聞こえないものの、人の怒鳴り声のようなものが聞こえてきた。
「まいったなぁ……これじゃあ工事再開できねぇぞ? 警備員は何をやってたんだ?」
「それが、出入り口に立っている警備員は、入ってきた高校生くらいの女の子の姿を見てないらしいんすよねぇ」
「は? バカ言え、出入り口以外は防音壁が立ってるだろ! スポーツ選手でもない学生が、掴むところもないあの壁を乗り越えてきたってのか?」
「……もしかして、壁を擦り抜けてきた、とか」
「……」
……。
「宇井さん、どうやらすぐにこっちに来た方が良さそうだ」
「え……?」
「たぶん、二人とも、ここに来てる」
俺は宇井さんにそう言って電話を切ると、他の助っ人に電話をかけながら、工事現場の人たちと一緒に、廃ビルへの侵入者を探し始めた。




