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第3話 屋上とスカート


「うぅ……ひっく……おじさん、しっかりしてください……っ」


「大丈夫だ……大丈夫だから……」


 俺がこの廃ビルの屋上から落ちたのは、夏の休日。


 買い物をするために家を出た後、引き返すのには微妙なタイミングで急にめちゃくちゃな雨が降り出したもんだから、走って駅前のスーパーに駆け込んで……。


 夕食の材料と一緒に傘を買ってスーパーを出て、傘を差した丁度そのタイミングでゲリラだったらしい豪雨がすっかりと止んで……。


 降った時間が短かったからか、それほど夏の暑い気温もやわらがず、ただただ蒸し暑くなっただけの帰り道を、水たまりも気にせず、ビショビショに濡れた服が身体に張り付く気持ち悪さを感じながら、家に帰っている途中のことだった。


「ごめんなさい……ひっく……私の……せいで……っ」


「いや、君のせいじゃない……俺が自分で勝手に滑り落ちて、君はその場にたまたま居合わせただけだ……警察にもそう話してくれよ?」


 廃ビルの屋上から身を乗り出しそうになっていた少女を助けて、代わりに落ちてしまったと言ったら、少しは格好がつくのかもしれないが、実際にも、その後の世間の認識的にも、俺がただ意味も無く廃ビルから足を滑らせた事故……。


 何故、誰も立ち入る用もない廃ビルの屋上に上がり、そこから足を滑らせたのかという疑問はとうとう解消しなかったようだが、これから普通に夕食を作るつもりであっただろう買い物が入ったエコバッグを持っていたおかげもあって、自分で身を投げたということにはならなかったようで安心した。


「ひっく……うぐっ……でも……」


「いいんだ、気にするな……自業自得って奴さ……」


 そう……全て、俺の自業自得……。


 あの日、あの時、買い物から帰っていた俺が、視界の隅に、ひらひらとした布のようなものを捉えて……思わずそちらに目を向けてしまったのは、自分の意思だ。


 見えそうで見えないその中を確かめようと、廃ビルの敷地に足を向けてしまったのは、自分の意思だ。


 命を落としたせいか何色だったかは忘れてしまったが、その色を確かに視界に収めた達成感と同時に、ようやく、状況の重大さに気づき、紳士的な対応をしようと屋上に駆け上がったのも、自分の意思だ。


 そこから先は、本当にただの不運な事故だったとしか言いようがない。


 勢いよく屋上の扉を開け、そのまま、何かを止めるように叫びながら走り始めたのは、きっと同じ状況に陥った紳士であれば全員が同じ行動を取るだろう。


 悪かったのは、この屋上にフェンスが設置されていなかったことと……少女の向こうに、綺麗な虹がかかっていたこと……。


 もし、その日、雨が降って、屋上が濡れていなかったら……。


 もし、足を滑らせた先に、落下防止用のフェンスがあったなら……。


 俺は今でも……あの時の色を、覚えていただろう……。


 だが、頭を打ったショックか、幽霊になった今でも、その色が思い出せない。


「虹……そう……虹の七色に含まれる色だったはずだ……」


 赤、橙、黄、緑、青、藍、紫……果たして、どれだっただろうか……。


 俺は、そんなことを考えながら、あの時の光景を思い出そうと、何気なく、窓の外、屋上の方を見上げる……。


 ひらひら、と。


 そう、あの日も、これと同じような、ひらひらを見たのだ……。


 そして……そうだ……。


 そのひらひらの向こう側の景色の色は……!


「って、ちょ、待てぇぇえぇえええい!!!!!」


 俺はそれを視界に捉えると同時に、あの時と同じように、階段を一心不乱に駆け上がる。


 もちろん、高層建築物らしく、このビルにもエレベーターは備わっているが、既に人の使わなくなった廃ビルだ……動くわけがない。


 まぁ、そもそも、今の俺はエレベーターにも階段にも頼らず、この廃ビルの敷地内であれば空を飛ぶことも出来るんだが、この時の俺がそれに気づくことは無かった。


 バン、と、扉を勢いよく開け、その向こうの景色を確かめる。


 空に虹はかかっていなかったが、振り返ったその少女の制服姿は、目に貯まっている涙も含めて、あの時と全く同じだった。


「命を粗末にしちゃいけませぇぇええええん!!!!」


 だから、俺も、あの時と同じように、そう叫びながら、少女の元へ駆け寄る。


 ……だが、同じだったのは、ここまでだ。


 今は、屋上の床は濡れていないし、そもそも、濡れていたところで今の俺は滑らないし、滑って屋上の外へ投げ出されたところで、落下することも無い。


 そして……。


 俺の声は彼女に届かないし、俺の姿が彼女の目に映ることも……。


「あの時の……おじさん……?」


「見えてるぅぅぅううううううう!?」


「はい、見えてます」


「しかも聞こえてるぅぅぅぅううううううう!?」


「はい、聞こえてます」


 どういうわけか、あの時の少女には、幽霊であるはずの俺の姿が見えて、声も聞こえるらしい……。


「いったいどういうことだ……」


 今までこの廃ビルにやってきては俺の貴重な睡眠時間を削っていった、学生も、土木工事の作業員も、酔っ払いも……どれだけ俺が叫んでも、喚いても、全く聞く耳を持ってくれなかったというのに。


 この少女には霊感がある、とかだろうか……それとも、生前の何かが、この現象を可能にしているのだろうか……わからない。


 分からない、が……。


「うぅ……ひっく……よかった……」


「よかった?」


「幽霊でも幻でも何でもいいんです……私は、おじさんに、もう一度、謝りたかった……」


「うん、俺も何でもいいんだけど、とりあえず、おじさんって呼ばれると傷つくお年頃だから、お兄さんって呼んでくれる?」


「私は、お兄さんに、もう一度、謝りたかった……」


 わー、もう一回言い直してくれるー。素直でいい子ー。


「コホン、まぁ、謝らないと気が済まないなら聞くけどさ、前にも言ったと思うけど、こうなったのは俺の自業自得だから……気にしないで……ってのは無理かもしれないけど、そんなに気に病まないでいいよ」


「でも……」


「あー、分かった分かった……まぁ、とりあえず、立ち話もなんだし、うちくる?」


「はいっ」


 あれ? なんか勢いで家に誘っちゃったけど、これって犯罪じゃね?


 ってか、何で誘われた方も元気にハイって速攻で返事してんの? 見たところ制服着てるし女子高生でしょ? 知らない人について行ったら危ないよ?


 うーん……いや、幽霊だし関係ないかー、それに、うちって言ったって、俺の今の家は廃ビルの一室だしなー、はっはっはー……。


 三十代後半、元サラリーマン、現在無職の男性、女子高生を廃ビルに連れ込む……。


 ……笑えねぇ。


「えっと……やっぱり今の無し……」


「飛び降ります……」


「待て待て待てぇぇぇぇえええい!!」


 やべぇ……え、何? 何この子……なんで急に笑顔を見せてくれたと思った次の瞬間に速攻で飛び降りようとしてんの……? 色々な意味でやべぇ……怖えぇ……。


 俺は……とんでもない子と関わってしまったのかもしれんぞ……。


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