Disc.03 無線通信による思考境界改革
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天気 曇り、最高気温 2℃、最低気温 -7℃
「パソコンから声が聞こえる?」
「そうなんです。というのも、私の家には黒のデスクトップパソコンが置いてあります。CPUはRyzen7の第二世代、マザーボードとGPUはmsi製ですが型番は忘れました。CPUクーラーにAMD製の純正の物を使っているのですが、そこが今朝声を発したのです。その時は頭痛がひどくて薬を飲みました。」
「どれを飲んだの、○○さん?」
「先生に処方されていた××2錠です。」
「あれは一回1錠じゃなかったかしら?」
「すみません。言いつけを破って2つ飲みました。最近1錠だと効かなくていけないのです。」
「そっか。効き目が弱まってるのね。じゃあ今度また別のを検討してみようね。でも、先生が決めた量より多く摂取しちゃうと副作用が危険なだけじゃなくて、体が薬慣れしちゃって効かなくなることもあるのよ? 今度は気をつけなきゃね。」
「分かりました。しかし、1錠で効き目が感じられない場合はどうすればよいですか? 我慢できない頭痛で苦しいんです。」
「頭痛ねぇ……。こういう曇りとか雨の日にひどくなる感じ?」
「普段はむしろ天気が良い日に体調が崩れます。今日のような暗い日でここまで悪化したのは珍しいと思います。」
「そかそか、気圧ではない…っと。あ、ゴメンね、ちょっと内線。」
「はい、どうぞ。」
「(患者と無関係な内容の牧めぐみの発話:電話対応)」
「はいはい、中断しちゃってごめんなさいね。んで、頭痛がひどいのよねぇ。なかなか難しい話だね。」
「とても難しい問題だと思います。」
「もう一つ聞きたいんだけど、いいかな。」
「はい。」
「頭痛の症状が起こるときって、他の症状も同時に現れることはある? 例えば、あの蛇の症状とか、壁の症状とか…」
「最近は壁の症状も時々併発します。頭痛で座り込んでいるときによく壁が出現しますね。」
「あらあら。そんなにも頭痛がつらい状態?」
「以前の頭痛とは少し性質が違う気がしてなりません。症状が顕著になり始めたのは1月半ば頃以降だったと記憶しています。」
「先週や先々週はどうして教えてくれなかったの? あぁ、ううん、別に怒ってるわけじゃないのよ。ただ、苦しかったなら先生もそれを教えてほしかったなーってことだからね。」
「一過性のものだと思い、様子見していました。」
「なるほどねぇ…。次からは少しでも変わったことがあったら様子見せずに先生に相談してちょうだいな。先生も○○さんがどういう状態なのか詳しく知りたいの。」
「そういえば、先生はそれがお仕事でしたね。」
「ふふ。まぁ、そうね。おっけぃ、じゃあ話を戻して、…えっと、パソコンから声が聞こえるって話だよね。そっちも聞かせてくれる?」
「はい。正確に言うとパソコンのCPUファンから声が聞こえてきた話です。」
「なんて言ってたの?」
「ほとんど笑い声交じりだったので聞き取りづらかったのですが、何度か聞こえてきたのは『誰もが繋がっている』という内容の言葉でした。」
「誰もが繋がっている……、ふむ。どういう意味なんだろうね。」
「私の推測ですが、情報社会の究極の進化形についての表現かと。」
「どうしてそう思うの?」
「現代のネットワークはまだ文字や画像といった媒体を通じて間接的に情報を伝達していますが、もしこのまま指数関数的に技術の進歩が続くならば、最終的に最も効率の良い情報共有手段としての『感覚の共有』を得るのではないかと想像できます。そうなればもはや人間同士は肉体以外の障壁を全て取り除くこととなり、つまり全人類の意識を統一した何かが誕生することになります。そこまで情報技術が進化しているならば、ホモサピエンスの最優先事項である遺伝情報の保存はすでに完遂されており、彼らは生命活動を続ける必要がありません。その後残るのは、全人類の"統一意識"を継続するための装置のみでしょう。個々人はその装置のストレージ内で一体化され、『誰もが繋がり』、他人との境界線が流動的になりうるのです。」
「ほうほう、ということは、現代のコンピューターはその原始的な装置に相当しているのかな? すごく壮大な話で、なかなかついていけないわね。」
「コンピューターなどのハードウェアというよりも、それを媒介するネットワーク自体が統一意識に近い概念だと思います。」
「○○さんはもし世の中がそんな状況になったらどう思う?」
「とても恐ろしいことだと思います。精神の壁がなくなるのは、死よりも恐ろしいです。」
「そうだよねぇ、先生も同じ意見だな。人に聞かれたくないような恥ずかしい気持ちとか、他人に打ち明けたくない悩みとか、私も持ってるもの。」
「私に関してはそういったプライバシーへの懸念よりも、自我の霧散とでも言うべき状態が限りなく恐ろしいです。」
「うんうん。○○さんは○○さんだもんね。自我を強く保とうとすることは先生とてもいいことだと思うよ。」
「先生、話の腰を折って申し訳ありませんが、少し部屋が寒いです。」
「あっ、確かにそうね。さっきから急に気温下がってきたかな。ていうか、今日すごく寒いねぇ~。ちょっと暖房上げるわね。」
「今日は冷える日ですね。朝も布団の中で凍えていました。」
「わっかるわぁ~。先生朝は低血圧だから、リアルに布団の中から一時間ぐらい出られないのが悩みなのよぅ。」
「寝起きに血の気が引いてぼうっとするのは、すごく共感できます。朝日が差し込むと余計に辛いですね。」
「あはは、そうねぇ。先生も昼間までだらだら寝ていたいものだわ。」
「でもそれだと起きたときに頭痛がしますよ。気を付けないと、あの憎々しい壁もまたァァァァァァァァ(机を叩く音)」
「404号室の牧です、応援お願いします。…録音中止します。」