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37 巨きな魂

 季節は幾度もめぐり、城をのぞむ風景も変化をくりかえした。

 春の風、夏の陽射し、秋のたそがれ、冬の雪にさらされて、草原の城も少しずつ、確実に時を刻んでいった。

 時流はあらゆるものを呑みこむようにして、過去を連れさった。


 それでもブルーベックはずっと、城の周辺から離れなかった。

 昼間は岩場の影や河の浅瀬や林の木陰で過ごし、夜になれば城門までもどってきて静かに坐りこみ、空を仰いだ。


 長い時節をこえて夜空を見あげつづけたブルーベックの瞳には、いくつもの流れ星が映った。

 時期によっては、流星群がおとずれることもあった。

 しかし、それらのひとつでも、ブルーベックの足もとに落ちてくることはなかった。


 それでもブルーベックはただ待ちつづけていた。

 その横顔はずっと期待していたのかもしれなかったし、あるいはもうあきらめていたのかもしれなかった。


 ときどき、通りすがる旅人や、城にたち寄る関係者たちが、城の近くでブルーベックのうしろ姿を認めたが、だれにもブルーベックの心意はわからなかった。


 街の人々は、ブルーベックの様子をうかがいに、あるいは連れ帰る意図をもって何度も接触をこころみた。しかし、だれ一人それに成功することはなかった。


 寒い冬の日に、ふり積もる雪のなかで眠り絶えそうになっているブルーベックの頬を平手で張って起こした猟師も、ブルーベックと会話をすることはかなわなかった。


 街の年長者たちはだれもが、ブルーベックにかつての城主をかさねていた。

 長い歳月、沈黙をつらぬきとおし、みずからの殻に閉じこもるブルーベックに、その面影が垣間見えたのである。


 ――そんなある日。


 その日は、心地よい風が吹いていた。

 晩夏だった。

 とても暑かった夏が終わり、空は少しずつ高くなりつつあった。

 もうすぐおとずれる秋の気配に、草原のすみずみまでがひと休みしているような、そんな日だった。


 全身からあらゆる水分がぬけきってしまうような酷暑が終わった安堵に、ブルーベックは城の前庭で仰向けに寝ころがって休息していた。

 苦しい季節が去っていった解放感に、伸びをして心身ともに弛緩させていた。


 つかれを感じていた。

 みずからの身体がずぶずぶと地面に沈みこんでいってしまうのではないかと思われるくらいの倦怠感をおぼえ、身体が重かった。

 

 ブルーベックは手脚をせいいっぱいのばして関節をほぐした。

 あたまの先から、たまっていたストレスが霧散していくようなおだやかな気持ちで、ブルーベックはまぶたを閉じていた。


 草原をわたっていく風が、ブルーベックの焼けた頬を冷やしていた。

 夏を通りすぎることの、ちょっとした憂いをふくんだやさしい肌触りに、ブルーベックは一度鼻をすすった。


 まぶたの向こうには高く、青い空があるのだろうと想像した。


 すると、呼吸がやわらいできた。

 ブルーベックはみずからが眠りにいざなわれていることを悟った。

 うとうとする意識のなかで、日記をぺらぺらめくるようにして、いままでのことを思いかえした。


(そういえばどれだけの時間が流れたのだろう……)

 指折り数えることも億劫になった。


 街を単身出発してから、どのくらいの歳月が過ぎたのか、ブルーベックにはよく思いだせなかった。


(何ヶ月? 何年? ……何十年?)

 ブルーベックの脳裏で、さまざまな季節が倒錯した。

 そして、そのうちそれらのことはどうでもよくなった。


 ブルーベックはすでに、時間の経過とは関係のないところにいた。

 そして、それはわざわざ再認することでもなく、ただ待ちつづけることに決めたときから、ずっとそうだった。


 夢をみるようにまどろんでいたブルーベックは、ふと――鼻さきをくすぐられるような感覚を味わった。

 最初は気のせいかと思ったが、こちょこちょと鼻のあたまを、なにかでなでられているかのようだった。

 むずむずした。


 そのときブルーベックは、その感触が、ローチが最初にブルーベックに声をかけてくれたときのものに似ていることを思いだした。


 故郷の集落から逃れ、孤独の奔走の果てに、丘の街にたどりつき、住人として受けいれてもらったあと、ブルーベックはしばらく心を閉ざしていた。

  

 みずからの運命となかなか折り合いをつけることができず、ブルーベックは沈黙し、大人たちの手伝いをしていないときは一人で牧草地に寝ころがっていた。


 当然、友だちなどいなかった。それでもひと月が経過した頃、ブルーベックがいつもどおり横臥していたとき、急に鼻のあたまをくすぐられた。


 ブルーベックが驚いて目を開けると、そこには満面の笑みをうかべたローチが、ねこじゃらしを手にして立っていた。


「ね、いっしょに遊ぼうよ?」

 ローチはくすくす笑ったあと、そう言ってブルーベックを誘った。


 ブルーベックはそのときのことを回想した。

 遠い昔のことのようになつかしかったが、当時の寂寥感やローチの屈託のない笑顔は、わりと鮮明に憶えていた。


 しかし、いまは記憶が錯綜しているだけだということはブルーベックにもわかっていた。

 

 たまたまおなじような刺激があり脳が混乱しただけで、じっさいはきっと、羽虫でもとんできて鼻のあたまにとまっているだけだろう――そう思った。

 

 それでも鼻のむずがゆさは、なかなかおさまらなかった。

 ブルーベックは面倒だったが、目を開けて確認することにした。


 すると――目のまえでゆらゆらゆれていたのは、ねこじゃらしだった。


 彼女が、河岸にしげっていたねこじゃらしの一本を摘んで、ブルーベックの鼻にちょっかいをだしていたのだった。

 

 ブルーベックはぼんやりとその顔をみつめた。

 彼女は笑っていた。あのときのように笑っていた。

 ブルーベックの視界は徐々に涙でにじんでいった。


「……ローチ、くすぐったいよ――」


 仰向けに寝ていたブルーベックを、あたまからのぞきこむようにして、ローチが笑顔をつくっていたのである。


 そしてそこで、ブルーベックの意識は静かにとぎれた――。

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