36 碧の大地
ルイはしばらく太陽のきれはしを眺めてぼんやりしていたが、ふとブルーベックがとなりでもじもじしていることに気づいた。
ブルーベックはルイをみたり、ディレンツァをうかがったりしながら、おどおどしている。
「――どうしたの?」ルイは柔和に訊ねる。
「う、うん。あの……質問なんだけど」
思いつめたような、深刻そうな表情だったので、ルイも気遣った。「どうした? 急にあらたまっちゃって?」
「あの……えっと、昨日の夜に――盗賊の人たちがとっていっちゃったものは……流れ星じゃないよね?」
ブルーベックは細心の注意をはらって手のこんだ作業をしているような態度で質問してきた。
(そうか)とルイは悟った。
おそらくブルーベックには〈伝説の宝石〉についての知識はなにもなく、〈月の城〉の重要性は流れ星の童話にしかないのだった。
もしなにか貴重で稀少なものが城にあったなら、それは流星に象徴されるものかもしれず、それが何者かに盗まれてしまったのであれば、みずからにとっても一大事だと考えるのはとても自然なことだった。
流れ星がなにかの比喩だと推測することも当然なことだ。
ルイはどう話せばよいか考えたがつぶさに説明することはやめることにした。
「ちがうちがう。あれは別物よ。なんていうかちょっとめずらしい宝石なの。まぁ、私たちはあれがほしかったんだけど、あなたの望んでいるものとは関係ないものだから、ぜんぜん気にしなくていいのよ。そういえば、なんだかんだであなたを私たちの都合でふりまわしちゃったわね、悪かったわ」と、ルイはブルーベックを安心させるべく、手を左右にふりながら答えた。
ブルーベックはそのあいだ、じっとルイの瞳をみつめていたが、やがて「そうなんだ……よかった」とつぶやき、もうなにも問いかけてこなかった。
だれとも話をしなくなると、とたんに風の音が耳に入ってきた。
風が林の梢をゆらしたり、遠くの雲を押し流す音が聞こえてくるようだった。
流されていく雲が、半分ほど顔をだした太陽を反射して橙に染まり、そのとなりで落ち着いている月をさっそく覆ってしまった。
ルイは流星の童話について、そして宝石の伝説について思いをめぐらせる。
「城で流れ星をひろえば幸せになれる」と、「宝石のかけらをすべて収集すれば夢が叶う」――それらをルイは当初、とても似通った筋だと思い、ディレンツァにそうつたえた。
確かに本質的にそう考えられなくもなかったが、根本的な部分でやはりそうともいえないと気づいた。
それは、夢を叶えることが、かならずしも幸せとはかぎらないからだ。
ルイはまぶたを閉じてだれかの夢や希望、そして幸せについて忖度した。
すると「おーい」という呼び声が聞こえる。
アルバートの声だった。
ルイが目を開けると、離れたテントのほうからアルバートが手をふっている。
ディレンツァやブルーベックはすでにそちらを眺めていた。
アルバートはテントの人たちにまざって「朝ごはん、もらえそうだよ!?」などと手招きをしていた。
ルイがディレンツァをみると、ディレンツァもちらりとルイをみた。
気のせいかもしれなかったが、ルイにはディレンツァが少しだけ口もとをゆるませたようにみえた。
ルイは、ディレンツァがほほえんでいるのをはじめてみたような気がして、なんとなくうれしくなった。
ルイはブルーベックの背中を押すようにして、ディレンツァとともにテントに向かった。
そして、東の空で太陽が照りかがやき、もうすぐ到来する暑い季節の熱をはらんだ陽射しが強まって、草原の丘に強い風が吹きはじめた頃、ルイたちは帰途につくことにした。
天体観測の一群も、ぞろぞろと帰り支度をはじめている。
二頭だての馬車の馬たちが何度かいなないた。
アルバートの交渉により、ルイたちも街までかれらの馬車に便乗できることになった。
陽気なテンションで要求をとおすアルバートを、ルイは横目にみていてなんだか不服だったが、あえて黙っていた。
半日はかかる距離を歩かないで済むならそれにこしたことはなかったからだ。
出発まえに、城門付近でふらふらしているブルーベックに、ルイは最後、問いかけた。
「本当にもどらないのね?」
ブルーベックはルイをまじまじとみて、うなずく。
「――うん、みんなにはわるいけど」
その顔には信念があった。
だからルイはもう、強引にでも連れて帰るという選択肢はないと判断した。
「わかったわ。それならそれでいい。あなたが決めたことだもの。私もあなたを信じるわ。でも、淋しかったり、苦しかったりしたらぜったいに帰るのよ。あなたを待ってる人もいるんだから」
ルイが念を押すと、ブルーベックは無言のまま微笑した。
心なしか大人びた表情にみえた。
ローチの名まえはあえて口にしなかった。
無粋なことだと思えたし、ブルーベックが熟慮のうえ独力で過酷な運命にのぞむことにルイが口だしすることはやはり筋違いだった。
かすかでも期待しているならそれでいい。
夢とはきっとそういうものにちがいないのだから。
ルイは気づいた。
夢や幸せには結局、個々の主観が大きく関係している。
だから、きっと両者はおなじくらい、心のはるか底にまで根ざしているのだろう。
ルイはブルーベックの目と顔をみた。
ブルーベックの真意はルイにはわからなかった。
しかし、ブルーベックが遠く離れたところにいても、ローチの手をにぎりしめていることはわかった。
「ルイ、行こう――」
ふと背後から声をかけられ、ルイは呼ばれたほうをふりかえる。
幌馬車の一台に着席したアルバートと、いままさにのりこまんと脚をかけているディレンツァが、ルイに時間がきたことを告げたのだ。
ルイはもう一度ブルーベックをかえりみて、手をふりあげる。
「じゃ、私たちはいくわよ。またいつか逢えたらいいね」
「――うん、元気で」
ブルーベックも恥じらうように手をふり、ルイはふたたび草原に向きなおった。
どこまでもつづく碧の大地が、目のまえにひろがっている。
淋しいこと、つらいこと、哀しいことがこれからもたくさんあるにちがいない。
でも、ちょっとくらい楽しいことだって待っているだろう――ルイは目を細めた。
ふいにつむじ風が巻きおこって、ルイの髪があばれる。
あわてて髪をおさえたルイの瞳には、風のなかで笑いながら踊っている風の妖精たちが映った。
冒険心がかきたてられる。
心に満ちていく昂揚感に、ルイはうれしそうに大地を蹴った。




