18 空の青さと雲の白さ
午後の陽射しのなか、ブルーベックは〈月の城〉の領内に踏みこんでから、しばらく周辺を歩きまわったのち、正面扉が視界に入る前庭のはずれの石柱に寄りかかるようにして立っていた。
石柱は180センチをこえるブルーベックよりもずっと高く、立地的に巨大な城門の影になっており、かくれるにはうってつけのところだった。
街で前もって下調べをしてきたが、やはり実寸で城をみると、その大きさに驚いた。
敷地は非常に高い外塀にかこまれており、広壮な本館もさることながら、奥のほうに並列している二棟の尖塔は空をつきささんばかりだった。
手をかざしながらよくみると、尖塔と尖塔のあいだには吊橋のような桟橋が架かっていて、なんだかふしぎな光景だった。
しばらくみつめていて、そこをめざしていかなければならないわけでもないのに、ブルーベックはなぜかため息をついてしまった。
昨日の朝に出発して徒歩で赴いてきたが、もともと足腰は丈夫なほうだったし、準備もととのえてきたので、疲労感はあったが、ブルーベックはまだ元気だった。
巨人族だからかならずしもそうなのではなく、たとえば厚い脂肪が痛覚をにぶらせたりすることがないことと同様で、身長や体重が一般以上でも、身体が特別辛苦につよいということはない。
ブルーベックは幼い頃から大人たちの手伝いのために身体を使ってきたし、街で暮らすにあたっては、住人たちにとけこむため積極的に生活品の運搬に手を貸したり、住宅建築を補佐したり、老人たちの薪割りをしてあげたり、牛追いや羊たちの放牧の面倒をみたりといったことを日常的にこなしてきた。
だから自然と体力がついていたのである。
くわえて、なによりブルーベックは充分に休憩をはさみながらあゆんできたし、危険を察知したら岩影に身をひそめたりもした。
疲弊して外敵に鈍感になってしまうことだけは避けてきたのだ。
ブルーベックは石柱の影から空を仰いで、胸にたまったものを吐きだした。
城門の門柱のうえに、ふくろうの石造がみえる。
その眼は閉じられているのに、まるで威嚇されているかのような圧迫感にブルーベックは一瞬身をちぢめた。
それでもやがて、空の青さとそこに流れる雲の白さに見いった。
ぼんやりとみつめていると、急にいいしれない孤独を感じて涙がでそうになったが、まぶたを閉じてこらえた。
街でのすみかだったみずうみの近くの粗末な小屋にいても、そういったことは何度もあった。
夜が多かった。
突然の心細さに襲われ、身体の芯をぎゅっとにぎりしめられたかのように苦しくなって目頭が熱くなった。
しかし、ブルーベックはいつでも泣いてしまうまえに、わきあがる感情のすべてを呑みこんだ。
そして、眠るときはいつでも火の国の故郷にいた頃の両親を思いだした。
哀しい別れをしたが、思い出の両親はいつでもほほえんでいて、ちからづよく、それはとても頼りがいのある大樹のようだった。
だからブルーベックは、城門の影のなかで、目をつぶりながらなつかしい時代を回想した。
そうすることでブルーベックはやわらかな安堵につつまれ、緊張していた心が弛緩して、そのまま石柱にもたれかかるようにして坐りこんだ。
このあとなにをするべきだろうか。
夜まで待っていればいいというわけでもなかったし、めだたない場所に坐っているだけでも、危険がなにもないわけではない。
城の敷地内にいても、野生の獣たちや悪い妖精、毛むくじゃらの野人、赤いトサカの小鬼などといったモンスターの出現は充分に予期されたし、悪天候にみまわれる可能性もあった。
無事にたどりつくことができたが、なにも解決していないと気をひきしめ、ブルーベックは立ちあがる。
腰を落ち着けてしまうには、まだ早かった。
そして、安全を確保するべく周辺を散策しようと思いたったが、ブルーベックはふと脚をとめ、あわてて石柱のうしろにかくれて街道をうかがった。
舗装路を、ふたつの人影が歩いてきている。
一人は物々しい装備と黒いマントをつけた男で、もう一人は魔女のような衣装の女だった。
その二人は、どうみても盗賊だった。
二人の男女からは堅気の人間にはない独特の雰囲気が全身からたちのぼっており、それはまるで暗雲のようにブルーベックのそばまでただよってきていた。
ブルーベックは気圧されてしまって身動きをすることができなくなってしまった。
少しでも動けばすぐに勘づかれてしまい、逃げてもつかまってしまうだろう。
相手が邪悪な性質であれば、すがたをみてしまったというだけで殺されてもおかしくはない。
ブルーベックはおびえながらも観察をつづけた。
隙をついて逃げだすにしても相手を把握するのは大切なことだった。
女のほうは糸であやつられているみたいに不規則な動きかたをしていたが、顔つきもおだやかでそれほど好戦的な人物にはみえない。
問題は男だった。
帯剣している。
しかも目つきは鋭敏で、瞳の奥には灼熱の炎がうずまいているような威圧感があった。
じっとみていたブルーベックはだんだんおそろしくなって自然と脚がふるえた。
歯がかちかちと鳴る。
そして、そんなブルーベックを女のほうがめざとく視認し、ゆびさしながら「かくれんぼ、発見!」と叫んだ。
ブルーベックは「うわっ」と悲鳴をあげ、じりじりとあとずさったが、もう遅かった。
二人はそのままの速度でブルーベックの目前までやってきた。
男のほうがにらむようにブルーベックを一瞥し、「子ども? そうか巨人族だな……」とつぶやいた。
すぐに手をだしてくるようなことはなかったが、ブルーベックは恐怖に言葉を発することができず、ただうなずく。
「あ、あんなところにふくろう男爵も発見!」
女のほうは、興味が門柱のうえにあるふくろうの石像にうばわれたようだった。男爵の意味はわからない。
「ここで、なにをしている?」
男は、女を無視して低い声でブルーベックに訊ねてきた。
依然として男はブルーベックをナイフのような視線でみつめている。
男とブルーベックの目の高さは、ほぼおなじだった。
「あ、え……」とブルーベックがふるえる口もとで返事に窮していると、女のほうが二人のあいだにぴょんぴょんと割って入って、「ふーん」とブルーベックを足もとから舐めるように見あげて、顔までくるとにこっとほほえんだ。
「お城の番人さん?」
ブルーベックはうろたえながら頚を横にふる。
女はブルーベックよりあたまひとつぶんくらい背が低かった。
しかし、その人懐こい瞳にみつめられると、ブルーベックは落ち着かなかった。
「うふふ、身体はおっきいのに、気はちっちゃいんだね」
女が猫が毛づくろいするようなしぐさをしながら笑った。
ブルーベックはなぜだか照れくさくなり赤くなる。
「街の民か?」
まるで女のことは頓着せず、男が朴訥とした口調でつづけた。
少しだけ殺気がゆるやかになった気がして、ブルーベックはあいまいな表情でうなずく。
「なぜここにいる?」
しかし、男はすぐに詰問調にもどった。
まるでブルーベックの繊細な心をもてあそんでいるかのようだった。
ブルーベックはふたたび恐怖に背筋をのばし、ふるえながら答えた。
「……流れ星をみつけるために」
女のほうが「うん?」と頚をかしげる。
男のほうはしばらく黙ったまま、ブルーベックの目をみつめた。
まるで瞳を通してブルーベックの心の奥深くをのぞいているかのようだった。
ブルーベックは居心地の悪さと野獣にマークされたかのような戦慄に、生きた心地がしなかった。
街にいた頃はブラウンやチャーリーにからかわれたこともあったし、街の人たちにいわれのない中傷をうけたりもしたが、ここまで本格的な死の匂いがする(それも無言の)脅迫はなかった。
しかし、しばらくすると男はふっとブルーベックから視線をそらし、もうまるで関心がないかのように「ティファナ、いくぞ――」と女にうながして、城の正面扉に向けて歩きだした。
ブルーベックが微動だにできないままそのうしろ姿を見送っていると、「うふふ、かくれんぼちゃん、ザウターのお気に召したみたい。ばいばーい、元気でね」と、女のほうがくすくすと笑みをうかべながらブルーベックにウインクをしたのち、男のあとを跳ねるようにしてついていった。
二人の盗賊は躊躇することなく正面扉を開け、城に入っていった。
盗賊たちの影が城内に消えてしまうと、まるで太陽を覆っていた黒い雲が風にあおられて流れていったかのように平和になった。
体感気温さえ変わった気がする。
ブルーベックは無意識にため息をついた。
野生の獣や怪物たちに遭遇するよりも、よほど神経を使った。
額ににじむ汗をぬぐいながらブルーベックは自分が空腹であることに気づいた。
街を出発してから定期的に休憩をとり、準備していたパンや干し肉などを口にしていたが、それほど満たされてはいなかったので、安心したことでそれに拍車がかかったのだ。
ブルーベックは周辺一帯を見渡し、城の裏手に河をみつけた。
街のほうまでずっと流れている長い河で、源流はもっと先の高山地帯だった。
清流として有名だったし、街のはずれのみずうみではブルーベックも毎日その恩恵にあずかっていた。
きっとアユやニジマスが獲れるにちがいない。
そして、河辺に沿って少しのぼったところに常緑樹の林がみえた。
そこではグミやヤマモモの実が採れそうだった。
丘には丈の高い草もはえ、岩塊もたくさんあり、身をかくせるところは多そうだった。
〈月の城〉の周辺環境がよくわからなかったので、ブルーベックは到着してからの過ごしかたがあまり想像できずにいたが、昼のあいだに工夫をすることで、寝食にもさほど困らないのではないかと安心した。
それからブルーベックは思いのままに散策し、浅瀬できれいな水を飲み、藪でマルベリーを摘んで食べた。




