16 殴り書きの暗号
遠くからカラスの鳴き声がした。
山稜にこだまするように響いたような気がして、ザウターはふと顔をあげる。
視界が少しかすんだ。
月の照らす遠くの尾根には靄がかかっていた。
首筋にこりを感じて、頚をひねる。骨がちいさく鳴った。
場所は〈星のふる丘の街〉から〈月の城〉へとしかれた街道のさなかだった。
ザウターは昨夜、野営の準備をしてからずっと、ベノワの手記に目を通していた。
その手記は、ハーマンシュタイン卿の命令をうけた偵察隊が、ベノワの居室のベッドにかけられていた封印の魔法をといて入手したものだった。
二週間まえの沙漠の国の夜襲後、ハーマンシュタインはザウターを呼びだした。
もう明け方だったが、燃えさかる王宮やくずれた城塞都市からたちのぼるけむりが、白みはじめた東の空さえも黒くそめていた。
沙漠の国の公都を一望できる岩山の高台で、ハーマンシュタインは右手に〈沙漠の花〉を、左手にベノワの手記をもってたたずんでいた。
ハーマンシュタインはフルフェイスのかぶとが付属された全身鎧に身をつつんでいたため、表情も人相もうかがうことはできなかった。
「お呼びですか――」
ザウターが背後にたつと、ハーマンシュタインはゆっくりとふりかえり、右手の宝石のかけらをかかげながらねぎらった。
「ごくろうだった。こうして、目的物も手に入った」
ザウターは「いえ、ひとえに卿の作戦のたまもの。ティファナもよく働きました」と、かしこまった。
「ティファナは眠っているか」
「……はい。猛獣や幻獣を派手にあやつったあとはいつもそうです」
「うむ、あれはそういう能力なのだ――さておき」
ハーマンシュタインは言葉を切った。
「おまえにはこのあと、草原の国に向かってもらう。そこで宝石のかけら〈荒城の月〉を手に入れるのだ」
「……草原の国?」
「そうだ。〈月の城〉だ。知っているか」
ハーマンシュタインは問いながら、左手にもっていたベノワの手記をザウターに手渡した。
ザウターはそのひもで綴じられた羊皮紙の束を受けとると、「名まえぐらいしか聞き及んでいません」と答えた。
「所在は調べよ。そしてそこにきっちり二週間後の夜にたどりつくように出発するのだ。よいか、その手記のもちぬしの部屋が城の一角にある。日没から二時間後、そこにかならずいるようにするのだ」
「……はい」
「城の内部は罠が多く、なかなか骨が折れるそうだが、先遣隊の残したメモをもっていけば参考になるはずだ。それからティファナをつれていけ。具体的になにが起こるかはそこにいけばわかるだろう」
「――承知しました」
ハーマンシュタインはザウターに背を向けて、もう一度、戦火におおわれた城郭をみつめた。
そして「頼んだぞ」と低くつぶやいた。
ザウターとティファナは夜が明けると同時に沙漠の国を発ち、草原の国へと向かった。
ティファナは「わーい、遠足遠足!」とはしゃいでいたが、ザウターには腑に落ちないものがあった。ハーマンシュタイン卿の命令があいまいなせいだった。
そのもやもやがすっきりするかもしれないと思い、ザウターは城を目前にした野営にさいして、わたされた手記を読んでみることにしたのである。
ベノワの手記は序盤から中盤にかけてはそれなりにしっかりとした文章で、豪商の人生についてしるされていた。
日記とメモをあわせたようなもので、おそらくベノワも最初はそういう意図で活用していたのだろう。
しかし、そこから後半にかけては、徐々に感情のスケッチや短文、単語だけのとりとめのないセンテンスが増えて解読しづらいものになり、終盤は記号や数式、図形の組み合わせといったただの殴り書きの暗号みたいなものになっていった。
後年のベノワの生活については、別個に調べた情報をもとに類推して補足した。
ザウターは、ハーマンシュタイン卿の命令の意図をくむために手記を通読してみたのだが、動物や道具のかたちが点線で描かれていたり、E、M、Sなどとしるされた中ぐらいの球とちいさな球、大きな球が楕円や直線でつなげてある図形をみても、それがなにを意味するかは皆目わからず、不可解な数式や旧の暦といった数字の羅列をみても、同様の感想しか抱かなかった。
今回の任務に関係がありそうなフレーズには「荒城の月、ミシェル→月の裏側」などといったものがあったが、考えてもそれがなにを表現しているのかは想像すらできなかった。
ハーマンシュタイン卿が〈荒城の月〉の所在を断定した要素がザウターには見当たらなかった。
盗賊団連合の情報では、ベノワは罠の名手として有名で、城のトラップは同業者のあいだでも資料として重宝されているとのことだった。宝石のありかにもそういった巧みな罠がしかけられているということだろうか。
しかし、罠がしかけられている程度ではザウターたちが選ばれてそこに向かう必要もないだろうし、そもそも偵察隊がみつけだしているか、なにより当の昔にだれかに盗みだされていてもおかしくないだろう。
ハーマンシュタイン卿は日時と場所を指定して、「宝石のかけらをもちかえれ」としか命令しなかった。
ザウターは逡巡したが、やがて迷いをふりきった。
いち歯車として動く自分は、まずなによりも命令されたことを万全にこなせばいい――そう考えて、終盤のページを流して手記を閉じた。
ベノワの人生について、ザウターには共感できることはほとんどなかった。
そもそも商才というものの特異性が認識できていないし、世間がたたえる人物をおだてるようなパブリックな面などもザウターはもちあわせていない。
手記からかんがみる個人的な感想をいえば、どちらかといえばベノワは負け犬だった。
平凡な悩みにおしつぶされて、思いこみで逆境におちいり、おぼつかないたちまわりで物事を受難にしてしまった不器用な人物だった。
たとえばベノワが同時代を生きていたとしても、ザウターはベノワの人生にはなんら感化されなかったと断言できたし、現在でも〈荒城の月〉という接点がなければベノワについて知ろうとする機会もなかっただろう。
なにはともあれ、疑問にはなんら解決がつかないまま、朝を迎えてしまった。
徒労感だけが残り、ザウターは少し身体を動かしたいと思った。
しかし、ベノワの手記を黙読しはじめたときからずっと、ティファナがザウターの伸ばした右ひざを枕にして寝入っていたため、ザウターは身じろぎひとつできなかった。
ティファナはときどき寝言をつぶやいたりしたが、ザウターにはよく聞こえなかった。
目前でくべていたたき火が弱くなって、ほぼ消えかけている。
くすぶりをみつめながら薪をつぎたすことをいつからか忘れてしまっていたことに気づいた。
しかし、月あかりが明るく手記を読むことに不自由しなかったことと、暖をとる必要があまりなかったこと、ティファナが同行しているかぎり猛獣の出現に手を焼くこともなかったので、ある程度はいたしかたないことだった。
ティファナはふたつの特殊な能力をもっている。
ひとつは奇妙な〈魔女の角笛〉でたくさんの幻獣を召喚できること、もうひとつは魔法の〈銀の鎖〉をからませることで野獣たちを意のままにあやつれることだった。
猫のように気分屋で、気性もどちらかといえば激しく、慣れていないとなかなかつきあいづらい性格ではあったが、それらの能力を駆使すると戦力という意味ではザウターをこえているものがあった。
ハーマンシュタイン卿によって付与された技能だったが、おそらく生来かねそなえた素質ゆえのものだろう。
「……んん」
ティファナがうめきながらもぞもぞ動いた。
身体つきや衣装は成熟しているのに、まだ少女のようにあどけないしぐさだった。
ザウターはティファナの額にはりついた前髪をわけてやった。
ティファナは鼻をひくひくさせ、眉をよせてしわをつくり「うーん」とちいさく吐息した。
ザウターは顔をあげて目を細める。
東の空が明るくなってきていた。
にじんでいたザウターの瞳にくっきりと一条の光が射す。
太陽がのぼってきた。
まぶしい陽光にザウターはまばたきをする。
ふいに、手記に書かれていた「月の裏側」という単語を思いだした。
じっさいに月へと宝石のかけらをかくしにいくことができたなら、それは確かにだれにもうばわれないだろう。
しかし、空を飛ぶにも限度はあり、そんなはなれわざはどんな魔法使いにも不可能にちがいない。
ゆえに、暗喩か暗号か。
仮にどういう状況が「月の裏」だと想定できるだろうか。
たとえば単純に「暗闇」という意味で、夜空が曇っていて、暗雲に遮断されることで宝石がみえなくなってしまうという条件はどうだろう――しかし、ザウターはそこでかぶりをふった。
そうした天候などの要因は、頻繁に起こることもありえる。
そうすると「月の裏側」が長期間つづくこともあることになり、宝石の稀少性を裏づける要因にはなりえない。
あるいは視点をかえてみて、観察者が目を閉じていれば宝石が出現する、宝石に背を向けていれば手にとることができるなどの条件はどうだろうか――しかし、それが魔法の一種や罠のたぐいにもたらされる条件だったとして、よしんば視界に入っていたら宝石にふれられないという発想がまちがっていなかったとしても、結局のところ物理的にそこにあることは確かなのだから、積年の侵入者たちの探索で、ほかのだれかがその謎を解明し、宝石を発見していてもふしぎではなかった。
ザウターは闇雲に思考することはやめた。
やはり、堂々めぐりだった。
ザウターは「朝だぞ」とティファナにちいさく呼びかけた。
ティファナはうにゃうにゃとつぶやき、右腕で鼻をぬぐい、スーと空気を吸いこんだあと、ザウターのひざにあたまをのせたまま仰向けになって「うーん」と伸びをした。
そして、むっくりと上体を起こすと「ふぅ」と胸にたまったものを吐きだしてから、大きくあくびをした。
「起きたか」とザウターがつづけると、「まだです」とティファナは眠そうな目をこすりながら、へその左側をぼりぼりとかいたり、あごをさすったりした。
ザウターは無言で水ぶくろの栓をぬき、ティファナに勧める。
ティファナはぼんやりしたままそれをうけとると、のどを鳴らしながら遠慮せず飲み、満足するとどさっと水ぶくろを地面に置いた。ティファナには物をちらかす癖があった。
牛の胃袋製の水ぶくろは、地面にころがっているとしなびたカエルのようにみえた。
ザウターが水ぶくろをひろいあげて栓をしていると、ティファナが「あれ? ザウターは寝なかったんだ」と、長いまつげをしぱしぱさせながらザウターをみる。
ティファナの鋭さに一瞬驚いたが、ザウターはそれをおくびにもださずに「まぁな」と返事をした。
「寝なかったというより、眠れなかった。いや、時間を忘れたというかな。〈月の城〉やベノワについて調べようと思ってたら、夜が明けてしまった。結局なにもわからなかったけどな」
ザウターが水ぶくろをしまうと、ティファナが「ふぅん」とみょうな声をだした。
そのあと「なぁんだ。となりでセクシーなティファナちゃんがセクシーな寝息をたててるから興奮して眠れなかったのかと思った」とか「ザウターは無駄に仕事熱心だよね。その情熱をもっとべつのほうに向けたらいいのに、たとえば恋とか」などと、ティファナがぼやいているのを聞きながら、ザウターは立ちあがり、くすぶるたき火を完全に鎮火し、出発の準備をはじめた。
ティファナが、耳をかさないザウターにぶぅぶぅ抗議をしていたが、ザウターは気にせず空を仰いだ。
すでに風がでてきていた。
太陽のそばには、寄り添うように月がうかんでいた。
呪縛により沈まない月は、白く染まっている。
天気が荒れる気配はなかった。
「んん、なんだか寝汗をかいちゃったなぁ。お風呂とか入りたいなぁ」と不平の対象がザウターから衛生環境に変わったティファナの手をひっぱって立たせた。
ティファナはよろよろっとしたあと、パッとはずむように跳ねた。
自由奔放な猫の動作に似ていた。
「お城まではどのくらいかな?」ティファナが手を望遠鏡にして、遠くをみつめる。
「昼過ぎには到着すると思うが問題はそこからだからな――ベノワの部屋がある尖塔はずいぶんと奥まったところにあるようだ。あまり時間にゆとりはないと思ったほうがいい。城のなかをくまなく調べていかないといけない可能性もある」
ザウターがなにげなく、寄り道好きなティファナを牽制すると、ティファナは「ふぅん、クマさんなのか」と不服そうに頚のうしろで手をくんだ。理解不能だった。
ザウターが二人分の荷物ぶくろを背負って歩きだすと、ティファナがぴょんぴょんとそれにつづき、二人は街道にのった。
〈星のふる丘の街〉から〈月の城〉まではずっと舗装路がしかれており、それは草原の国が費用を負担してできたものだった。
ザウターはふと、ななめ読みした手記の内容を思いかえして、敷石の舗装路をわざわざ草原の国がもうけたのは、当時の国がベノワにまだなにかを期待していたせいではないかと考えた。
僻地への路をつくることで、ベノワを世俗から切りはなさないように努めたのではないか――もしそれが事実なら、それはやはりベノワが傑物であった証拠なのだろうと、ザウターは足もとでようやくベノワの偉大さを想像した。
背後を気にすると、ティファナは道端から摘んだスミレをくるくるまわしながら歩いていた。




