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13 棘だらけのかたまり

 ベノワは病にかかった。

 恋はもはや、激しい病だった。

 ベノワの心は燃えさかり、幾晩も高熱にうなされるような夜を過ごすことになった。


 ベノワは偏執狂のようにミシェルの婚約者について調べた。

 婚約者はミシェルの幼なじみであり、父親は王直属の湾岸警備隊の隊長だった。

 貿易の安全や湾岸の保全を一手につかさどる要職であり、ベノワも数回、会合で顔をあわせたことがあった。


 しかし、その調査に意味などなかった。

 よく知る人物だったとしても、婚約を破棄させることなどできようもなかった。


 ベノワは何度も夢をみた。

 時に海辺で、時に街角で、ほほえんでいるミシェルとならんで過ごし、笑いあっている夢だった。

 そして、起きたあとは絶望した。


 夜中に叫びたい衝動にかられることもあった。

 ブランデーを何杯飲んでも、一向に忘れることもできず、ただ身体を壊しただけだった。

 心だけでなく、身体までもむしばまれていった。


 強気の仮面をかぶり生きてきたベノワには相談相手もいなかった。

 ただひたすら秘密裏に自分のなかでふくらんでくる複雑で鋭利な感情をおさえこむことに必死だった。

 まるでとげだらけのかたまりを飲みこんでしまい、胃や腸がひき裂かれるのを待っているみたいだった。


 それはどんな勉学や能力の研鑽よりも痛みをともなうもので、いっそのこと活火山に身を投擲したり、底なし沼に身を沈めてしまったほうがましではないかと思われるほどだった。


 仕事や職務に支障をきたすような苦しみだったが、もう商売の基盤をつくりあげていたベノワは、直截手をくださなくても組織を動かすことが可能になっていた。

 

 いままで、ことあるごとにみずから手腕をふるってきたベノワが一切現場にでなくなったことを関係者たちはふしぎがった。

 しかし、それまでのベノワが善良かつ有能だったため悪い噂がたつようなことはなかった。


 あるとき、共同事業体に属している仲間で、老齢の商人がすっかり顔をみせなくなったベノワのところに赴いてきた。

「――どうしたね? 燃え尽きるにはまだ早いのではないかな?」


 商人の言葉に、ベノワはかぶりをふって応えた。肯定にも否定にもとれる動きだったので商人は眉根をよせた。


「……ほかになにかをくわだてているというのでもなさそうだな。なにがあったのかは知らないが、私は君の一見温和だが攻撃的でもある商売のやりかたが好きだったんだ。望んだものをつぎつぎと手に入れていく姿勢に、君が王都に現われた頃から注目していた。うそではない。君を裏から理事会に推薦したのも私なんだからね。

 こんなことはわざわざ話すつもりはなかったんだが、要するにそれだけ私が、いまの君のありさまを残念に思っているということだと解釈してほしい」


 ベノワは商人の顔をみて、口もとにしわをつくり微笑した。「いろいろ、すみません」


 商人はベノワの老けこんでしまったかのような表情にとまどったが、それを気にしないそぶりでわざと強い口調でつづけた。


「君はもうすぐ誕生日だったね。いまさら誕生祝いなどもらってもうれしくないかもしれないが契機づけにどうかと思ってね、もってきたんだよ――」


 やや得意げに笑みをうかべると、商人は桐の箱をとりだし、そのなかにある紫色をした布に厳重につつまれた代物をベノワのまえに置いた。


 しかし、倦みつかれた瞳でみつめるだけで、ベノワがいつまで経ってもそれを手にとらないので、商人は嘆息しながらみずからの手でその布をはいだ。


 宝石だった。

 高さ20センチ、横幅15センチほどの台座つきの宝石だった。

 台座はまるで樹の幹のようなざらついたものだったが、宝石はひとつの大きなしずく型で、よくみれば表面がダイヤモンド状に多面的に研磨されていた。


 宝石の表面がベノワの部屋のランプの灯りをあちこちに強弱をつけて照りかえしている。

 一見異様なものだったが、ベノワの目には特別な宝石にはみえなかった。

 

 呆然と宝石をみつめてなにもしゃべろうとしないベノワに、商人は張り合いがなさそうに説明した。

「収集者の夢が叶うという宝石の伝説を君も知っているだろう? 各国に散在している宝石のかけらの逸話だ。神話ともいうかな」


 返事をしなければ話が終わりそうだったので、ベノワはうなずいた。

「……はい。散らばっている宝石のかけらをすべて猟集すれば夢を叶えることができるというものですね。しかし、噂はあれど、それをやりとげた者はいまだにいないと――どこかで読んだことがあります」


 商人はあごひげを手で梳きながら微笑した。


「そう、それだ。〈伝説の宝石〉はまるで生きもののような流動性をもっており、なかなかひとつになろうとしないという。ふしぎなものだな。そして――」


 商人は宝石の台座をつかんでもちあげた。


「これがそのひとつ――〈荒城の月〉と呼ばれているものだ。

 宝飾としての価値はそれほどなさそうにみえるし、じっさいそのとおりなのだろうが、伝説の付加価値があるため、これを入手するにはなかなか骨が折れた。しかし、私はもう歳だし、こんなものを眺めて暮らすつもりもなければ、叶えたい夢もそれほどない。だから君のような人材にこそ、こういうものは有益ではないかと思ったのだよ」


 ベノワ自身、宝石の来歴や神秘性、稀少性にも興味はなかったが、商人の配慮に応えなければならないと考え、ベノワは宝石のかけらを丁重に拝受した。

「ありがとうございます。励みになります……」


 商人はそんなベノワをみて頚をかしげた。


「君はもっと鉄の壁のような人物かと思っていたのだがな。冷酷とか、そういう悪い意味ではないよ。ただなにごとにも屈することなく、みずからの地盤をしっかりと守りつづける雰囲気とでもいうかな。

 まぁ、いい。なにがあったのかはあえて訊かないが、早く君がたちなおって、昔のように野心的な君がみられるようになることを祈っているよ――」


 商人が帰っていったあと、ベノワはぼんやりと脱力して、宝石のかけらをみつめた。

 

 複雑に研磨された面の一角に、みずからの顔がゆがんで反射していた。

 夢を叶える宝石という響きはまるでむなしく、ベノワは夕暮れになる頃、宝石のかけらを抱えながら涙を流した。


 ベノワは、自分が孤独にむせび泣くような人物だとは思っていなかった。

 脆弱な心がずたずたになって、ちからを失っていた。

 商人の仲間たちにいわれるまでもなく、以前のような溌剌とした自分にもどりたいと切に望んでいるのはベノワ本人だった。


(本当に夢を叶えてくれるのならば……わが恋がたきを消してくれ――)


 淋しさにふるえながら、ベノワははかなくあえいだ。


 そして、満月がうす暗い雲にかくれる頃、ベノワはやがて宝石のかけらを放りだして、ベッドに倒れこむようにして眠った。

 夢はみなかった。

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