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嘘つき師匠と弟子  作者: 三池


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29


 師が言った「知り合いをたくさん作れ」という言葉の意味がようやく分かったのは、とある老人の死の間際に付き添った時の事だった。


 見送ることは、苦手だった。それがかつての弟子ならば尚更。

 だというのに、その弟子の息子に「父の旅立ちの時に付き添ってほしい、父の最期の望みを叶えてほしい」と切に頼まれ、断り切れなかった。師も認めたお人よしの肩書は伊達ではないのだ。




「――……お前の旅路の先に、光あれ」


 すっかり年老いたかつて弟子だった男は安心しきった顔で眠りについた。ユーダレウスは、浮かべていた穏やかなつもりの笑みに、苦みが混じるのを誤魔化すようにきつく目を閉じた。

 誰かが鼻をすする音に目を開いたユーダレウスは、はっとなった。

 今しがた、瞑目した祖父にすがって泣く孫が、祖父の幼い頃の泣き顔とまったく同じ顔をしていたのだ。

 髪の色も目の色も、鼻の高さすら違うというのに、それは確かに見覚えのある泣き顔だった。ユーダレウスは弔いの場であるにもかかわらず静かに驚嘆し、そして少しだけ微笑ましく思った。


 それにつられて、脳裏にいつぞや拾った弟子との日々が色鮮やかに蘇る。


 次の世界へと旅立って行った弟子の、ほんの微かな欠片。それが、すぐそこで母の腕に縋って、感情に任せて泣いている。


 ――そうだ、あいつも死んだ親を恋しがって、ああして良く泣いていた。


 困り顔の母親が、幼子に古びた木彫りの馬を見せた。途端に泣き笑いになった子供は、しゃくりあげながら馬を両手で握りしめた。


 ――あれは、あいつがあんまり泣くから、仕方なく作ってやったもんだ。不細工だって笑ってたくせに、まだ持ってたのか。


「……あの、父の、最期を看取ってくださり、ありがとうございます。おかげさまで、父の望んだとおりになりました」


 目元を乱暴に拭って言う男の声は、はっとするほど彼の父と同じ声をしていた。


 ――これは、そう、俺のところから独立するとわざわざ言いに来た時の声だ。弟子のくせにいらん気を遣って。涙ぐんでいたんだ、あいつは。


 そこかしこにちりばめられた面影が、大切にしまい込んだはずの思い出を次々に引っ張り出していく。


 その優しい記憶は、置いていかれることへの孤独や寂しさ、それそのものを消してくれるわけではない。そうと感じる心に寄り添って、苦しみの棘を柔らかく覆い隠してくれるものだった。

 けれどそれは真っ暗闇で灯した小さなランプのように、魔術師の心を眩しく照らしていく。


『世界で誰より自由にあれたとしても、その心が孤独を感じるのなら、物置に閉じこもっているのと変わりないのだから』


 懐かしい言葉が、ようやっと腑に落ちた。


 新たな旅を始めたユーダレウスは、どこまでも自由勝手に生きた。同時に、いつでも漠然とした渇きと共にあった。たくさんの人に囲まれながら、孤独であった。


 これまでユーダレウスは、無意識に何ものに対しても一線を引いていた。先にいなくなってしまうものに安易に近づいて、置いて行かれたことを認識するのが恐ろしかったのだ。

 だからこそ、自分を置いて行ったものをあえて思い出すこともしなかった。


 しかしそれは間違いだった。


 たとえ、本当の名を呼んでくれる者がいなくなってしまっても、名を呼んでくれた人たちがいたことを思い出すことはできる。痛みや苦しみ、哀しみが薄れても「そうなった」という事実だけは決して忘れず覚えている。

 顔立ち、声色、共に見た景色。何を忘れてしまっても、大切な人がそこにいて、自分が共に在ったという記憶は決して消えない。常に頭の中にないのは、少しの間、無意識に片付けてあるだけだ。


 そして、人は、誰しも何かと繋がって存在している。本人が「自分は孤独」と思っていても、生きている限り勝手に何かと繋がっているものだ。そして、繋がった先にあるものもまた、何かに繋がっている。その連鎖は、この世界が存在する限り、途切れることはない。


 ユーダレウス自身が、覚えておきたいものを覚えている限り、覚えておきたい記憶が遺してくれた欠片に触れて思い出し続ける限り、そこがどこであろうと小さなランプは温かな光を灯し、孤独の闇を減らしてくれるだろう。

 

 どうやら自分は目を瞑って歩いていたらしいと、ユーダレウスは呆然とする。

 師は何度も言っていた。人と関われ、親しい者を作れと。たくさんのものを見ろと。

 言いつけの通り、人と距離を置くことなく真に関わっていれば、ユーダレウスには孤独も渇きも感じている暇などなかったはずだ。

 師は、寂しがりでお人よしな弟子の為に、自らを守る方法をあらかじめ教えてくれていた。ことが始まる、何十年も前から。


 なぞなぞの答えが分かったような気持になって、弟子の旅立ちの席だというのに微笑みそうになり、ユーダレウスは慌てて口元を手で覆った。


「あの、ユーダレウス様」


 かつての弟子が繋げた一人が、父によく似た形の、赤い眦をぬぐい、月の色によく似た銀髪の魔術師に顔を向けた。

 ユーダレウスが思案に耽っていた頭を上げると、幼い子供はすっかり泣き疲れて、母の腕に抱かれ、真っ赤に火照った顔のまま眠っていた。不細工な木彫りの馬は、まだその手に握りしめたままだ。

 やはり、つくづく似ていないのに、どうしようもなく似ていると思う。ユーダレウスは、穏やかな心地で視線を逸らし、向かいの男を見た。


「……何だ」

「よろしければ、その、父の話を聞かせてくださいませんか? 何分、若い時の事を話さない人で……」


 失われてゆくものが、そこにたしかに存在したという記憶。

 その名を呼び、寝床となること。そして、それを誰かに繋ぐこと。


 ユーダレウスは思案する間もなく、男に向けて頷いてみせた。


「ああ、もちろんだ」


 それはきっと、普通の人間よりもたくさんのものを見て、そして思い出すことができる、自分にしかできないことなのだろう。





***



 あの日から、いったい何年経ったのか。覚えてはいない。覚えている必要もない。ただ、法外な単位で数えねばならないことは間違いないはずだ。


 ユーダレウスが未だに旅を続ける目的は特にない。

 強いて言うなら、一つ。知り合いを増やし、愛しいものを増やし、その記憶を心に留め繋いでゆく。それすら使命とは思わないのだから、旅の目的というには不適当だ。

 帰る場所は見失ったままだ。どこにも帰れない迷子は、迷子のままでいろということなのかもしれないが、それでも良いとユーダレウスは思う。何しろ、この世界のすべてがユーダレウスにとって安息の地となり得る場所なのだから。

 それに、ユーダレウスが持つ時間に限りはない。ならば好きなだけ迷子を堪能してやろうじゃないか。


 精霊たちの集う場所で、ただふて寝をしていたあの日々を思えば、随分変わったものだとユーダレウスは自嘲する。

 あの愚か者に必要だったのは、起き上がることと、そして目を開けること。それだけだった。



 平凡な色の髪がユーダレウスの視界の端で揺れ、思考が中断する。そちらに目を向けると、つい数年前に弟子にした子供が緊張した面持ちでこちらを見上げていた。


「師匠、お聞きしたいことがあります」


 この弟子は、幸か不幸か、瞳に精霊に好かれる色を持っていた。それは、精霊が姿を隠したこの世界で、望めば魔術師になれる可能性があるということだった。


 ユーダレウスは立ち止まると、弟子に向き合った。見下ろされた少年は、少しだけ緊張した面持ちで師を見上げた。


「……なんだ」

「師匠は、精霊に名前を付けないのですか?」

「ああ。付けない」


 ユーダレウスは迷いなく答えた。それに対して、稀有な色彩の瞳は幼さゆえの純粋な探究心に満ちていった。



 精霊の名を呼ぶことで得られる力は、人間が持つには過ぎたるものだ。邪な心を持つ者に渡れば、冗談ではなく世界が滅びかねない。


 しかし、これは真実を先に知ってしまったら、成立することはない。


 純粋に名を呼ぶために名を尋ねるのと、端から利用するために名を尋ねるのとでは、全くもって意味が違うのだから。


 また、精霊に名を付けること、それそのものは、禁忌ではないとユーダレウスは考えている。

 兄弟子、ロタンは精霊の怒りによって苦しみを与えられたが、姉弟子のジルは加護の効力が薄まったものの永らえた。同じように名を付けた者でも違いがある。

 懐かしく過去を思い出す最中に二人の相違点を見直せば、その答えはおのずと出た。


 名を付けることではなく、名を呼んで精霊を己に縛り付けた上で、力を搾取することこそが、精霊を死に至らしめる最大の禁忌なのだと。


 同胞を死へと近づける行為は、世界に数多いる精霊たちの怒りを誘因する。ロタンたちが受けた仕打ちは、彼らの怒りであった。

 その中で、ジルが死に至らなかった理由。それは、ジルと契約していた精霊が彼女を必死に守っていたからだったのではないかとユーダレウスは推測している。

 ジルの精霊だけではない。名を付けられた精霊たちは皆おそらく、契約を破棄できないのではなく、そうすることを選ばなかったのだ。勝手な名で理不尽に縛られ、力を搾取されているにもかかわらず、契約した魔術師を他の精霊たちの怒りから守るために、彼らの精霊のままでい続けた。


『ユーダレウス』が関わらないでいるのなら、精霊の愛はそれほどまでに一途で深いはずなのだ。


 ロタンたちはそれに気が付かず、精霊を死なせ、その守りを失ったがために、精霊の罰をその身に受けることとなったのだ。



 どこかやりきれない思いで、ユーダレウスは弟子の瞳に映る自分を見た。


「――それは、どうしてなのですか?」


 弟子の、知的好奇心に輝く瞳が眩しかった。思わず、平凡な色の髪をかき混ぜて、稀有な色を持つその目を見ないように誤魔化す程に。


 これより後に精霊の名を呼び、そして『ユーダレウス』を名乗る者はもう現れないだろうと、他でもないユーダレウス自身はそう思っている。

 月色の髪に、研ぎ澄まされた剣の瞳。精霊の愛する稀有な色を二つも揃え持っている者が、既にそう名乗っているのだ。これ以上、精霊が心惹かれる者はないと思うのは、ユーダレウスの自惚れではないはずだ。


 しかし、これから先もユーダレウスは弟子に嘘をつき続けるだろう。自分以外、誰も真実を知らない嘘を、いかにも導く者のような顔をしてまことしやかに語るのだ。


「精霊に名を付けることは、禁忌だからだ」


 もう二度と、誰も間違わないように。





 ユーダレウスは思う。

 奇跡のようなことだが、もし、この旅を終えられるときが来たら。


 自分はきっと、新たな旅立ちの(とこ)の中で「ああ、ようやく終わるのか」と満足することだろう。


 平凡な、しかし艶やかな茶髪と、驚くほど鮮やかな青い瞳をその身に宿し、いつだって穏やかな笑みを浮かべていたあの魔術師のように。



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