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嘘つき師匠と弟子  作者: 三池


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弟子と雨降る森の朝 01

過去編になる予定でしたが、予定よりも長くなりそうなので、ティニの短編を挟みます

 早朝の森に、しとしとと雨が降り注ぐ。細かい水滴が霧のようになっているせいで、鬱蒼とした森は尚更不気味にかすんで見えた。


 アルイマの大樹の家に泊まった日から、しばらく雨が続いていた。この辺りに雨期が来たのである。


 大雨というわけではないが、子連れな上、先を急ぐ理由のない旅なので、ユーダレウスは雨が止むまで大樹の家に滞在することに決めたのだった。


 好き放題に跳ねた曇天色の髪をした子供・ティニは、ベッドの上に立ちあがり、小窓から雨の様子を何とはなしに眺めていた。


 ここで寝泊まりするようになって数日、ティニの目覚めはいつも、師であるユーダレウスよりも少しだけ早かった。

 別に、目が覚めたら自分を起こせと言いつけられているわけでもないので、ティニはいつもなるべく静かに師が起きるのを待つことにしている。


 いい加減外を眺めるのにも飽きて、ティニはベッドに座り込み、そっと後ろを振り返る。そこには、ユーダレウスが眠っていた。

 月の色によく似た長い髪を枕の周りに無造作にばら撒いて、仰向けで腹の上に手を組み、ぴくりとも動かずに静かな寝息を立てている。


 この家にはベッドが一つしかなかった。しかし、それは身体の大きなユーダレウスが二人並んで寝てもまだ余裕がありそうな程、広いベッドだった。

 ティニとユーダレウスとで寝転がっていても、いつものテントでの雑魚寝と大した差はなかった。むしろふかふかとしているので、ティニは寝つきが良いくらいだ。


 ベッドを揺らさないように慎重に手をついて、ティニは眠るユーダレウスの顔をそっと覗き込む。

 寝ているはずなのに、眉間には不機嫌そうに皺が寄っていて、少し面白い。好奇心に負けて、そこに指を伸ばしたが、ユーダレウスが向こうに寝返りをうったことに驚いて、急いで手を引っ込めた。


 起きているのだろうかと思って、ティニはじっと様子を伺う。しかし、そうではないらしく、ティニは少し残念な気持ちでため息をついた。もう少し後でないと、師は起きないということを、ティニはこの数日で覚えていた。


 特に何か用事があるわけではなかったが、雨のせいか、鳥の鳴かない静かな森の朝は、独りぼっちでいるような気がして寂しいのだ。


「まだ、おきませんか、師匠……」


 小さな小さな声で呟いてみても、起きる気配はこれっぽっちもない。いっそ起こしてしまいたい気持ちを振り払うように、ふるふると首を振ったティニは、またベッドに立ち上がった。

 躓かないようにユーダレウスの足元を跨ぎ、ベッドを降りてブーツをはく。今日も、先に起きて身支度を整えてしまうつもりだった。


 下の階に降りて洗面所で顔と口を漱ぐ。鏡に映った寝癖だらけの髪を、水を付けた手で撫でた。何度も櫛の様にした指を通すと、少しだけ整ったけれど、これ以上頑張っても綺麗にまっすぐにはならないのをティニは知っている。

 諦めて洗面所を出ると、キッチンの側にあるテーブルの上に、二つの水差しと簡単に食べられる果物、そしてサンドイッチが置いてあるのが見えた。水差しにはそれぞれ果物のジュースと水が入っている。サンドイッチの皿には、籠のような物がかぶせられていた。何かの魔術がかかっているらしく、籠の下のパンは、どれだけ時間が経っても焼き上がってからそう時間がかかっていないかの様に柔らかい。この数日ですっかり見慣れた光景だった。


 ユーダレウスにも、ベッドで寝たらいつもより遅く起きるという自覚があるのだろう。先に起きて、お腹を空かせたティニが自分で食べられるよう、いつも何かしらの軽食が夜のうちに用意されている。

 その気遣いにティニは嬉しくなって、小走りでテーブルに近づく。新鮮な果実の、爽やかな甘い香りが鼻をくすぐった。


 サンドイッチの間に挟まっているのは赤いジャムだ。一昨日一緒に作ったアルイマベリーのジャムだと思うと、少しだけティニの心が躍った。


 用意された果物と軽食を一通り眺めるが、不思議とまだ空腹は感じなかった。

 いつもそうだ。


 一人ぼっちでは、お腹が空かない。


 ティニは自分の腹に手を当てる。うんともすんとも言わないそこに見切りをつけて、両手で慎重に水の入っている水差しを持つと、木のコップに注いで、喉の渇きだけを潤した。




 ティニは服を着替える為に二階へと戻る。


 着る物はユーダレウスが夜の内に用意してくれる。今日用意されていたのは、肘を覆う袖丈の襟のないゆったりとしたシャツと、ふくらはぎの真ん中までの丈のズボンだった。簡単なつくりの為、着ることは難しくなかったが、今まで見たことがないような色の服だった。


 シャツは夏の空のように真っ青で、ズボンはレモンのような真っ黄色だ。


 目に痛い組み合わせはともかく、こんな鮮やかな色の服をティニは見たことがない。


 師匠はどこで買ったのだろう。もしかしたら、師匠が魔術で色を塗ったのかもしれない。でもいつだろう? もしかして、自分が眠っている間に急いで、こっそり塗ったのかもしれない。できないことはないはずだ。だって、師匠なのだから。


 服の入手方法について、あれこれと楽しく妄想しながら、ティニは脱いだ寝間着を綺麗に畳む。ベッドの脇のチェストの上にある、ユーダレウスの鞄の隣に置いておく。


 ティニは、そっと指で師の鞄を突く。この鞄からティニは物を出すことができない。おそらく、物を入れることもできないだろう。

一度、こっそり手を入れてみたことがあるが、何にも触れることができなかった。それどころか、鞄の底が指に触れることさえなく、そこには少しひんやりとした何もない空間が、ただ広がっているだけだった。


 ここがつながる先が、鞄の中ではなくどこかの別なところだということをティニは理解している。


 理解してはいるが、どう考えても何もないのに、師はどうやってここからあらゆる物を出したり、またはここに物をしまったりしているのかいつも疑問なのだ。

 なにしろ、ユーダレウスはいつも、ここにただ手を入れるだけで何でもとり出してしまうのだから。


 いつか、教えてくれたらいいのに。そんなことを考えながら、ティニは真っ青なシャツの裾をつまんで少しいじった。



 すっかりやることがなくなると、ティニは近くにある本棚から一冊の本を引っ張り出した。厚みは棚に納まっている他の本に比べたら半分ほどだが、大ぶりなためティニには少し重たく感じる。表紙には可愛らしい絵柄で微笑む、誰かの絵が描かれていた。


 これは、朝の間、師から何かをしろと言いつけられているわけでもないティニが、昨日見つけた暇つぶしだった。


 ティニはベッドの端にちょこんと腰掛け、膝に本をのせると昨日開いた辺りをもう一度開く。


 そこには、三角の耳に長い尻尾を持つ、猫のような生き物が描かれていた。

けれど、ティニが知る限り、猫は後ろの足だけで歩いたりしないし、ブーツをはいたりもしない。人と話をしたりもしない。

 だから多分、おそらく、この生き物は猫ではないのだと、ティニは結論づけていた。


 ティニには文字が読めないので、本当のところはよくわからない。ただ絵を眺めているだけでも面白いので、次々にめくってはこれは何が描かれているのだろうかと想像して楽しんでいた。


 師に頼んだら、読んで聞かせてくれるのではないだろうかと、昨日からそんなことを考えてはいるが、まだ実行に移すことはできていない。

 そもそも、本棚に納まっている本に触ってもいいと言われていないのだ。ユーダレウスはティニが本に触れていることすら知らないだろう。


 貧しい旅芸人の一座にいた時の記憶の方が長いティニにとって、娯楽品である本は高級なものだった。

 退屈さと好奇心に負けて、あるべき場所から引っ張り出してしまったが、バレたら叱られるかもしれないという懸念がずっと心に引っかかっていた。

 だから、ティニはいつも、この本をユーダレウスが起きる前にこっそり本棚に戻す。

 それに、ユーダレウスが起きたあとは、それだけで嬉しくなって、絵のついた本のことはどうでも良くなってしまうのだ。


 ティニは一旦本を閉じると、そろそろ起きないかなという期待と、もう少し本を眺めたいという気持ちに挟まれながら、もう一度、眠るユーダレウスの顔を覗き込む。じっと見つめてみたが、瞼が動くことはなく、穏やかな寝息もそのままだった。


 残念なのか、それとも安心したのかわからないようなため息をつくと、ティニはまた本をめくる。


 今度は、赤い頭巾をかぶった女の子の絵だ。食べ物の入ったカゴをぶら下げているから、きっとピクニックにでも行くのだろう。

 ページをめくると、さっきの猫のように、やはり後ろ足で歩く獣が現れた。

耳が三角で、尻尾はふさふさとしていて長く、鼻づらも長い。多分犬だとティニは結論を出した。


 親しく話しかけているし、花畑へ導いているようだから、きっとこの少女とは友達なのだろう。


 ふと、初めてできた友達の笑顔が思い浮かび、ティニは心が温かくなる。その小さな口元は、よくよく見なければわからない程度に綻んでいた。


 ティニは次のページをめくる。

 おばあさんの格好をした犬がベッドに寝ていた。先ほどの犬と似ている。家族なのだろうか。ベッドにいるということは、おばあさん犬は眠っているということだ。

 では、この赤いフードを被った女の子は、友達の家に遊びに来たのだろうか?だとしても、友達のお祖母さんが眠っているところに、何をしに来たのだろう?


 字が読めたらわかるのに。もどかしい思いで首を傾げながら、また紙をめくる。


 すると、大きな口をあけ、恐ろしい顔をした犬の顔が、二枚のページを使って迫力たっぷりに描かれているのが目に飛び込んできた。


「ぅわぁっ!」


 思わずティニは声を上げ、本を取り落とす。床に落ちたそれは、バタン、と大きな音を立てた。


「ん……ティニ、なにしてる……」


 小さな呟きの声と、背後でもぞりと布が動く音がして、ティニは跳びあがった。


 師匠を起こしてしまった。いや、早く起きてはほしいのだけれど、それでも、こんな失敗で起こしてしまうなんて。


 ティニは半泣きになりながら、急いで師の方を振り返る。砂糖をまぶしたようにきらきらと光る、月の色によく似た髪と、大きな背中が見えた。その腕はさっきまでティニが寝ていたところに伸びている。


「……師匠?」


 一応、声をかけてみる。案の定、求めていた返事の代わりに、寝息が聞こえてきて、ティニはそれ以上声をかけるのをやめた。多分、大きな音で一度起きたけれど、ほんの一瞬でまた寝てしまったのだろう。


 ユーダレウスは別に、惰眠を貪る(たち)ではない。けれど、ここのように、ちゃんとした家や宿で寝泊まりすると、起きても少しだけ鈍くなるのか、すぐにもう一度眠ってしまうことがしばしばあった。


 ティニは静かにベッドから降りると、本を拾って壊れたところがないか確かめる。幸い、折れてもいないし傷もついていなかった。本をそっと傍らに置くと、ひんやりとした床に座り込み、両膝を腕で抱え込んだ。


 師の声が聞こえて安心したような、中途半端に声をかけられたせいで、余計に寂しくなったような、どっちつかずの気分だった。


 相変わらず、腹の虫は目を覚まさない。だから、用意されている食べ物に手を付ける必要はまだない。

 旅芸人の一座にいた頃、ティニは豪華とは程遠いが毎日食べ物にはありついていた。けれど、移動の途中で簡単に食べ物を手に入れることができないかも知れない以上、お腹がすいていないのに食べることは食糧の無駄である。食べられるときに食べるという感覚は、まだ幼いティニにはなかった。


 この数日、ティニの腹の虫はずっとこんな調子だったのだが、ユーダレウスは、ティニが用意したものを食べないのは、内容が気に入らないからと思っているらしい。

 始めはただのパンだけだった軽食は、二日目には果物がつき、三日目の今日は、パンにジャムを挟んだサンドイッチになっていた。この調子だと、明日はもっと手の込んだものが用意されてしまうかもしれない。


 けれど、どれほど美味しそうになっていったとしても、一人ではあまりお腹が空かないティニが、一人でそれに手を付けることはないだろう。


 ユーダレウスが一緒に食べるのならば、たとえぱさぱさになってしまったパン一切れでもとびきり美味しいはずなのだから。


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