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「元気そうだな」
「はい。ちょっと寝坊しちゃいましたけど」
照れたように俯くティニを見て、やはりあの日の記憶が戻ったわけではない様だとユーダレウスは確信する。それどころか、あの嵐のような一晩すら覚えていないらしい。それがティニの心にとって良いことなのか悪いことなのか。心理学の専門家ではないユーダレウスにはよくわからない。
ただ、あれを受け止めるには、ティニはまだ幼すぎる。
そう考える自分は甘いのだろうかと自問しながら、ユーダレウスは素知らぬ顔で懐から取り出した髪紐を口に咥えた。
「あの、師匠。なんでミアさんのおじいさんは守り石で治らなかったんですか? やっぱり、まじないはインチキなんですか?」
雑に髪を束ねていると、ティニが問いかけてくる。
答えの代わりに「持ってろ」とタオルを渡すと、ティニは素直にそれを抱え持ち、流れる水の音を聴きながら静かに師の返答を待っていた。
「……守り石は大概どっかに綻びがある、不完全なものばかりだ」
差し出されたタオルで顔を拭きながら簡潔に答えると、ティニからはさらなる質問が重なった。
「それ、みんなは知らないんですか?」
昨日広場で見た、まじない師が売る守り石に群がる人々の光景を思い出しているのだろう。ティニはいつもより硬い表情をしていた。その幼い眉間の皺に、なんとなく既視感を感じながら、ユーダレウスは湿ったタオルを洗濯籠に放り込む。
「いや。大抵の人間は、不完全だと知ってるだろうな」
「じゃあ……」
「どうして買ったりなんかするのか」それを聞こうとして、ティニは言葉を止め、ちらりとミアのいる方を見た。こちらの話は聞こえていないようで、気を取り直したように祖母に向けて何か話しかけて微笑んでいた。
ユーダレウスがその気遣いを褒めるように、曇天色の頭を撫でる。くしゃくしゃになっていた髪が多少整った。
「完全でなくとも、ちゃんとまじないがかかっていれば、ある程度は厄を除けられる。だから、人はそれにすがる。素人にはどれくらい効くかなんて、見分けはつかねえけどな。んで、そこにつけ込んでただの石ころを売る詐欺師もいる」
「大方、ミアはただの石ころを掴まされたんだろう」と告げると、再びティニの眉間に皺が寄る。ふと、鏡を見たユーダレウスは、先ほどの既視感の原因にようやく気が付きひとり苦笑する。
「……みんな、まじない師じゃなくて、魔術師に頼んだらいいのに」
「そうだな。だが、それには問題がある」
小さな声で呟くティニに応えながら、ユーダレウスはそちらに手を伸ばす。親指でティニの眉間をこすり、まだ浅い皺を丁寧に伸ばした。
「師匠、問題って何ですか?」
こすられた眉間が気になるのか、ティニは自分でもそこに触れながら師を仰ぐ。見つめてくる無垢な青い瞳から視線を逸らしたユーダレウスは、顎先に指を滑らせた。色が色なので見えにくいが、うっすら生えた髭が指先に引っかかる。
間を開けず「ししょう!」と焦れたように寝間着のシャツを引っ張られ、ユーダレウスはうんざりとした表情で天井を仰いだ。
「魔術師に頼みたくても、この世界には、魔術師なんて、もうほとんどいねえんだよ」
「どうしてですか?」
「さあな」
ユーダレウスは軽くあしらうと、ティニの両脇に手を入れて小さな体をひょいと浮かせる。そのまま洗面所から弟子をつまみ出すと、バタンと扉を閉じた。




