やめさせたのは料理でした
二人暮らし初日の朝の目覚めは最悪だった。原因は異臭。生臭さではなく焦げ臭さだったのは不幸中の幸いと言えなくもない。
ベッドから下りてキッチンに向かう。そこには陽気に鼻歌を歌うエレシィの姿と黒い煙があった。
「なにしてるの……?」
「あ、おはよう!」
振り向いた彼女の顔は満面の笑顔だ。この異臭の中でよくもそんな顔ができるなあ。
「朝ごはん作ってたんだよ! 食べる?」
「朝ごはんね……」
エレシィの陰に隠れていたその朝ごはんを確認する。うん、黒い。黒いオブジェがある。形状から考えて台座となっているのは食パン。刺々しいのは野菜スティックだと思う。
なんで並べずに刺しちゃうかなあ。
死神的センスなんだろうか。
「これ見てなんとも思わないの?」
「え、なにかおかしい?」
失敗したなんて思うはずがないか。思っていたらそもそも満面の笑顔も、堂々とした朝食宣言もあるはずがない。
つまりわたしの追求すべきところは別にある。
「味見した?」
「ばっちしだよ!」
「…………」
こうなるとなにも言えない。
ここはポジティブに――ポジティブに考えてみよう。見た目最悪。匂い最悪。だけども味はまだわからない。ゲテモノを珍味と謳って喜ぶ連中も存在することだし、この料理もまた珍味として結構いける可能性がある。
ただまあゲテモノだから口に運ぶのも嫌なんだけれど。
とりあえず牛乳は用意した。いつでも流し込む準備はできた。飲物用意するのまだだった、とエレシィが冷蔵庫を開けるわたしの背後でこぼしていたけど、異臭で目を覚ませて本当によかった。
朝からわたしを殺そうとしてない?
イメージどおりの死神らしく。
テーブルに並べられた朝食を眺める。黒いオブジェとなみなみと注がれた牛乳。モノクロだ。こんなシックな朝食がかつてあっただろうか。いや、あるわけない。
この光景に苦笑いしか浮かんでいないはずなのに、向かいに座るエレシィの笑顔が眩しい。こっちの表面に深く刻まれた気持ちに気づいていないみたいだ。
「食べて食べて!」
「……うん。いただきます」
オブジェを持ってみる。思ったよりも軽い。黒い色が重たく思わせていたんだろう。その軽さが厄介で、すぐに口の前まで持ってこれてしまった。
だけどこれ以上進まない。
口を開けてみるも躊躇われる。
味が怖いどうこうよりも、これを食べたら口の中が血まみれになりそうなのが怖い。
そんなわたしの心配をよそに、エレシィはオブジェを食べ始めた。バリッ、と元食パンだったとは思えない音が聞こえてくる。鉱物? 好物なのこれ?
せっかく作ってくれたんだから、という気持ちを抑え込み、自分の身の安全を優先するように、オブジェを皿の上に戻した。
「ごめん、今朝はちょっと食欲ないみたい」
「そうなの? 違うもの作る?」
「だ、大丈夫! 大丈夫だから!」
真面目だし、優しい子なんだけどなあ。
もしかしたら不器用なのかもしれない。
「料理は結構してたの?」
そう訊くとエレシィは照れ笑いをした。
「実はあんまりしたことないんだよねー。お母さんたちがなかなかさせてくれなかったし」
家族も自分の身を守ったのかな。なかなかということは、教えようとして失敗したのかも。やっぱり不器用?
「これもね、ちょっと失敗しちゃったんだ」
「へえ……」
ちょっと!?
白を黒に変えたことをちょっとって言った!?
ともかく、この発言でわたしは確信した。そして死神ではない神様に誓った。
「得意じゃないならわたしが作るよ」
この子にだけは料理をさせないと。
「しのかは料理上手だよね! 昨日のも美味しかった! なんて料理なの?」
「ただの焼きうどんだよ?」
「なんて?」
わたしの返答に、エレシィは首を傾げた。
そうか。思えば、エレシィとは種族が違う。昨日は当然のように焼きうどんを振る舞ってしまったけど、彼女がそれを受け入れるとはかぎらなかった。
ましてや普通の人相手だったしても、一言声をかけるべきだった。苦手なものはあるだろうし、アレルギーのこともある。
もてなすのがへたくそだなあ。
友達の少なさがばれてしまう。
今日の授業は別に出る必要はないし、このあとの予定は決まりだ。
「エレシィのこと、たくさん教えてね。好きな食べ物とかわかるとご飯も作りやすいし」
「任せてよ!」
「あ、そうだ。エレシィの写真撮っていい? というか写る?」
「今なら写るんじゃないかな? 試してみよ!」
エレシィの横に移動して、スマホを構える。画面に映る自分の姿を見て、エレシィは目を丸くしていた。
「どうしたの?」
「これが今のカメラなんだねー。わたしの知ってるのとは形がずいぶんと違う」
「まあカメラっていうよりは電話……パソコンなのかな。まあとにかく多機能機器だよ。ささ、笑って笑って」
そう言うとエレシィは満面の笑顔になった。すぐに笑顔を作れるとかアイドルみたいだ。
かく言うわたしはそんな笑顔を作れないので、口角を少しだけ上げるくらいだ。
画面をタップしたあと、きちんと撮れたか確認する。うん、綺麗に撮れている。友達がしていたように自撮りをしてみたけど案外うまくいくものだ。
「記念写真?」
「そうそう。それと報告かな」
「報告?」」
アプリを開いてメールを作成する。件名は考えるのが面倒なのでだいたい日付だ。さっきの写真を添付して、文章を打ち込む。
『新しい友達ができたよ。名前はエレシィ』
死神だということを伝えても仕方ないので、そこは割愛させてもらう。特に付け加えることもないからこのまま送信した。
「こうやって友達ができたみたいに嬉しかったこととか、楽しかったことは親に報告してるんだ」
メールアプリを閉じて、チャットアプリでメールを送ったことを伝える。二度手間ではあるけど、メールはメールの利点、チャットはチャットの利点があるため、一概には無意味とは言えない。
返事がないから顔を覗くと、嬉しそうな顔がそこにあった。
「ど、どうしたの?」
「私のことそう思ってくれたんだなって!」
そういうことか……。
うわっうわっ、本人を前にしてなんてこと言ったんだろ!
意識し始めたら凄く恥ずかしくなってきた。
「顔紅いよー?」
「見るなあ!」
エレシィは少しいじわるだ。