拾ったのは死神でした
「家に入れてしまった」
バイトから帰ると、家の前に女の子が倒れていた。
扉の前でうつ伏せになっている。
人間、こういうとき焦ったりしないようだ。最初に驚き、そのあと感心する。こんなこと本当にあるんだ、と。
警察に電話しようと思ったけど、近所に迷惑になりそうだし、なんなら近所から注目を浴びてしまうのも嫌だったため断念した。
それに、女の子はただ眠っているだけみたいだったから、そこまで深刻でもないんだろうと都合よく解釈して、こうして家に入れてしまったわけだ。
「うちに用があったのかな?」
改めて女の子の顔を眺める。こんな黒髪美少女の知り合いに覚えはない。一言でも顔を合わせて話していたら絶対に忘れない。
ということは、うちに用事があったわけじゃない?
アパート暮らしだし、その可能性はある。ただわたしの部屋は二階の奥だから、そこまで来ているということはやっぱり他の部屋に用事があったとは考えにくい。
うーん、わからない。
やっぱり起きてから聞いた方がいいかも。
そんなふうに考えていると、それまで心地良さそうに寝息を立てていた女の子がゆっくりと目を覚ました。
「起きた?」
「あれ……? ここどこ?」
「わたしの部屋だよ」
しんどそうに身体を起こそうとしたので、背中に手を添えて補助する。軽い。
「あ、ありがとう」
「それで、どうしてわたしの家の前で寝てたの?」
「なんでだろう……え?」
女の子は自分の行動を思い出そうと頭を抱えたところで、ぴたりと行動を停止した。
それから慌てた様子で頭部の様子を確かめ始める。「え、え」とただでさえ肌の白い顔がどんどん青ざめていく。
どうしたの、と聞こうとしたとき、
「仮面は!?」
と深刻な表情を向けられた。
「頭に仮面付いてなかった!?」
「ああ、それならあそこにあるよ」
わたしは机の上を指さした。
そこに置かれているのは、どこかの民族的なデザインをした髑髏の仮面だ。怖い雰囲気は一切ない。むしろ可愛らしさの方が強い。黒いマントも畳んで、一緒に置いてある。
「取ったの!?」
「ん? そうだよ。のりかなにかが付いてみたいで少しくっついてたけど、ぺりっと取った」
「ぺりっと!?」
「うん。剥がれかけのかさぶたを剥いたときみたいな」
「そんな感覚で!?」
この慌てっぷり。
もしや取ってはいけなかったのかな。仮装の衣装みたいだし、このあとイベントに行く予定があったのかもしれない。
「なんかごめんね。そうだ、付けてあげるよ」
仮面を手に取って付けようと試みる。結び付ける紐がないため、案の定すとんと床に落ちた。
女の子の気持ちも同様に落ちた。
滑り止めに落ちた受験生の顔に似ている。
「これからイベントでもあったの?」
「イベント? 特にないけど」
死んだ顔のまま答えられた。
「え、じゃあ普段からそんな恰好してるの?」
「うん。当然じゃない」
私、死神だよ?
女の子は平然とそう言った。
「……死神ってあの死神?」
「その死神」
「魂を奪ったりするあの死神?」
「どの死神!?」
「しないの?」
「するわけないじゃん! 犯罪だよ!」
わたしが知っている死神のイメージが崩れる。死神といえば髑髏に黒マントで、大鎌を振って魂を刈っているイメージだ。恐怖の象徴とも言っていいくらいなのに、死神にも犯罪があるらしい。
ただまあそれが信じられるかどうかは別の話だ。
「やっぱり死神ってそんなイメージなんだ……。心外も心外。心外甚だしいよ」
「そこまで言わなくても」
「これでもいろいろイメージ向上キャンペーンやってるんだよ! 怖い髑髏の仮面はやめたし、黒だけの服装もなし! 免許制にもなって福利厚生もばっちりなんだから!」
「そ、そうなんだ……」
死神界もいろいろ大変らしい。
福利厚生について聞いてみたい。
それよりも本題に戻らないと。死神ならなおさら、どうして寝ていたのかわからない。
「それで、思い出せた?」
「それが全然なんだよねえ。仕事で来たのは間違いないんだけど、どうして寝ちゃったのかは思い出せない」
「そっかあ」
「最近休みなかったから、その反動が来たのかなあ。でもそこまで働いてないと思うんだけど」
「何連勤してるの?」
「えっと……。もうすぐ三十五年かな?」
「三十五年!?」
その連続勤務年数もそうだけど、それだけ働いている事実により驚かされた。少なくとも大学生のわたしと見た目的な年齢に差異はないのに、わたしよりも実年齢は上ということだ。
さすが死神と言うべきなんだろうか。
「三十五年なんて普通だよ? あ、でもそうか。人間にしてみれば結構な年月だよね。私たちには寿命がほとんどないに等しいし、三十五年って大した時間じゃないんだよ」
「ひとつ聞いていい?」
「いいよ?」
「何歳なの?」
「もうすぐ二百二十……二百歳かな!」
その二十歳のサバ読みは意味があるのかな。二百歳の時点で、それ以降は百単位で数が増えないかぎりは誤差のように思える。
そしてそれが死神界ではどんな立ち位置なのかもわからない。この国と同じで二十歳から大人判定なのだろうか。だとすれば二百年は大人をやっていることになる。
二百年も大人……。
吐きそう。
「ねね、死神らしいところ見せてよ」
正直まだ疑ってはいる。
そういう設定を語られている可能性は充分にある。
「死神らしいところってなに?」
たしかに。
「ノートなし。刀なし。道化師っぽい格好もしてないし。うーん……」
「ノートならあるよ?」
「ほんとに!? 出して出して!」
まさかあのノートが実在するなんて!
女の子は手の甲を下にした拳を作った。それっぽい所作にわくわくが止まらない。その拳が開かれる瞬間には最高潮になっていた。
けれどそこまでだった。
開かれた手の中にあったのはたしかにノートだった。ただし半分しかない。それが予想外なのか女の子も驚いていた。
「あ、あれー? なんでかな?」
一度ノートを戻してから、また出現させる。何度それを繰り返しても結果は変わらなかった。
「…………」
「…………」
「ほ、他のことにしようよ!」
彼女が死神かどうかはともかく、手品の類でノートを出したり消したりしていないことはわかったため他のことで証明する必要はない。だけど彼女の心がどんどん折れ曲がっていくのが、見ているだけでありありとわかったため、なにか他のことで自信を取り戻させたかった。
というかほとんど魂が抜けているような……。
ふふ。
死神の魂が抜けている。
彼女には悪いけど結構面白い。
「し、身体能力! 身体能力には自信があるよ!」
そう言われたら見せてもらうしかない。
女の子は立ち上がって準備運動を始める。わたしと身長はそう変わらない。彼女の方が少しだけ高い気がする。
なにを見せてくれるのだろう。
準備運動を終え、彼女は部屋を見回す。そして本棚の前に立つと、深呼吸をしてからそれを持ち上げた。高さ二メートル、幅一メートルほどの本で埋め尽くされた本棚を。
「すご……」
声を漏らしたのを聞いたからなのか、彼女は本棚を下ろした。振り返ったその顔は紅く染まり、息も少し上がっていた。
「これ……」
「なに?」
「これ、死神っぽくなくない?」
「…………」
返す言葉がなかった。
「でも信じるよ」
「よかった!」
嬉しそうな笑みを浮かべてもらえて、わたしの方が胸を撫で下ろした。
そういえば、まだ自己紹介をしていなかった。死神のことで頭がいっぱりで基本の基本を忘れていた。まあ、死神でなければわたしから名前を名乗ることはしなかったけど。
「わたし、シノカ。水木紫花」
「私はエレシュム! エレシィって呼んで!」
握手を求められたのでその手を握った。
それと同時にエレシィのお腹が鳴った。肉食動物が獲物を前に唸っているかのような音だった。相当空腹らしい。
「ご飯にしようか」
「だね」
エレシィの顔がまた紅くなっていた。
残っている話はご飯のときでも、そのあとにでもしよう。